Track.8-27「だからお前は正義を語っていい」
ライブ配信を観ていたおよそ十万人弱にもその光景は届いていた。当たり前だ、そうじゃなければ意味が無いのだと夷はほくそ笑む。
SNSでは“森瀬芽衣”という名前がトレンドに入り、掲示板サイトは荒れに荒れた。複数のまとめサイトで更新が相次ぎ、事実は贅沢な
しかしそんな装飾など彼女にとってはどうでもいい。
重要なのは、“森瀬芽衣が魔術士という立場で影から
そしてそれは確実に観衆の無意識に根差し、そこから“森瀬芽衣に戻ってきてほしい、彼女こそ
あとは魔女を生み、それを打ち倒せば終わりだ。
襲撃から身を挺して護った彼女が、周囲の期待を一身に背負って表舞台へと躍り出る。
きっとその顔は咲き誇る満面の笑みだろう。それを見届けられるかどうかは知れないが、夷はそれが出来なくとも満足してこの世を去れると頷いた。
「だから、後は――――」
「――
ぎょっとして振り向いた。すでに夷の眼前には、筋肉を弛緩させる無力の檻から抜け出した茜が迫っていた。
「ちょ、――っ」
「待たない」
極限まで捻られた右の正拳が空間を抉りながら突き進む。その凶悪な加速度に
両者はともに、一時的にその場から消え去るという特性を持っているため緊急回避の手段として用いられることが多い。
しかしその違いは用途の違いと同意であり、
自身を遠方に複製し、自らの権限全てを複製体に転移させて自らを棄却する、という一連の流れを瞬間的に行うことで方術
だから瞬時の判断で行使したのは、自身の座標を虚数に書き換えて一時的に存在を隠匿する
しかしその判断にこそ、取り返しのつかない過ちがあったことを、夷は自身の胸を茜の正拳が穿った瞬間にしか知れなかった。
座標が虚数だろうが。
そこに夷という存在はいるのだ。
いるのなら――あらゆる“抵抗”、そして“阻むもの・遠ざけるもの”をこそ“
「……ぐ、」
そして。
穿たれたなら――その身の内の
「ぁ……っ」
両膝が床に衝く。その勢いのまま地に尻もちをつき、蹲るようにして倒れた夷。
「おい、やったのか?」
「んなわけねぇだろ、あからさまにフラグ立てんな」
そう――茜はそれがブラフであることを見抜いていた。
きっとこれまでの夷なら――彼女は夷のこれまでをすら知らないが――それで全てが終わっていただろう。何せ、魔術士を魔術士じゃ無くさせるのだ。魔術を使えない魔術士はもはや敵にはなりえないと、この業界ではよく謳われる。
「あ、やっぱバレてた?」
茜は咄嗟に飛び退いた。
倒れた夷の身体から滲んだのは、得体の知れない全くの静寂。
茜が顔を顰めたのは、彼女が波紋のように波濤した“無”の拡がりを幻視したからだ。
「ざぁんねぇん」
すく、と立ち、まるで何事も無かったかのような表情で夷は茜を仰ぎ見た。その表情はいつもの悪童めいた意地の悪い笑み。
ふぅ、と彼女が溜息を吐いた頃。茜が幻視した“無”は綺麗さっぱり無くなっていた。
「お前――それ――」
「言わないよ?いくらきみとわたしの仲だってさぁ――手の内曝す莫迦いないでしょ?」
ぞわりと背筋を走る悪寒に
「お前、
「まぁ、最近?出来るようになりましたよ」
サンキュ、と吐いて落ちた
センターステージに対峙する夷は、
「ヨモさん――あいつ、やばいっす」
「んなこた解ってんだよ」
「違います」
「何が違うんだよ」
「やばいの次元っすよ――あれは、“無”そのものだ」
そこで茜が思い返したのは、自宅の道場にて父から受けた言葉。
「――読めるようになったのか」
問われ、正座する茜は首肯した。途端に父、
「何で泣くんだよ」
「――可愛い我が子の悲運を嘆かない親がいるものか」
「悲運って……何だよ、それ」
強く鼻を啜った津は、重く強い語気で言い放つ。
「その力を使えば、お前はいずれ“無”に飲まれる。かつてお前の母さんがそうだったように」
「――は?」
正座したまま対峙する二人の表情はあまりにも違い過ぎた。
「いいか、よく聴け。その異術は安芸家の女系にしか発現せず、多くても一世代に一人しか現れない」
「ああ……うん」
「その力の根源は“無”だ。無に浸れば力の行使とともに削られ、いずれ無へと還る。お前が宿したのは、そんな馬鹿げた力だ」
「でも……」
「それでもお前は使うんだろう」
「え?」
「俺には解る――――お前は、俺と、
「……あのさ」
茜はあまり母親のことを覚えていない。彼女が母を喪失したのは小学校に上がったばかりの頃で、きっと悲しみからだろうか、その当時の記憶は濃く靄がかかったように封じ込められている。
「オレの母さんって……」
「異術士だった」
「あー……そう……」
今の自分のように、自らが決めた正義のために拳と術とを振るう豪傑だったよと聴いた茜は複雑な感情に追い込まれた。
茜にとって、正義とは一体何なのか、未だによく解らないのだ。
ただ判明していることと言えば、正義と言うのは多分液体で、思う以上に膨大な容積を持ち、だから簡単に溺れてしまえるということだけ。
「それでいい。正義だ何だと言っても、拳を振るう以上それは暴力に他ならない」
「……うん」
「だからお前は正義を語っていい――正義とは暴虐だ」
「――――出し惜しみしている場合じゃ無いってことは、判るよな?」
「は?」
「ああ、ごめん。独り言っす」
ふぅ――と息を吐いて。茜はその名を、心で呼んだ。
「ヨモさん、全力全開で行きます」
「おいおい、今更かよ。どんだけスロースターターなんだって」
「それは勘弁してください。オレも、出来れば死にたくないもんで――あー、っくそ。本当に――」
がちりと歯車が噛み合い、茜の中にある全てが解き放たれる。
“無”を根源とする
「行くぜ――――
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