Track.8-12「死ぬのはわたしだけなんだから」

 改めてテーブルに着いた7人。

 切り出すのは夷の役割だった。


「さて――全員、とは行かないけど取り敢えず揃ったので、会議を始めまーす」

「お嬢、すでに始まってはいたんですよ」

「うん、だろうね。で、どの辺まで話は進んでいたのかにゃー?」


 おどける夷と対照的にダイニングルームの空気は重く冷たい。

 その様子を察してか、口を開こうとしない誰しもを眺め回した夷は尖った唇をさらに尖らせて目を細めた。


「……何か空気悪くなーい?誰のせい?」


 はららは思案気に唇を噛み締めている。

 アリフは嘆息しながら両手を振って首を傾げている。

 茜はそっぽを向いているし、唯一にこにことしている実果乃は茜の横顔を見詰めうっとりと目を潤ませている。

 愛詩は何かを言おうとして言えず俯いてしまった。

 罰が悪そうに目を閉じていた真言は覚悟を決めると漸く口を開く。


「僕、ですかね……」

「いやちげーだろ」


 呆れを宿す双眸で夷が睨みつけるのは、対岸に座る茜だ。


「いつまでも過去むかしのこと引き摺ってんなよ、子供ガキかよ」

「はぁ?過去むかしって何時の、何のことだよっ!」

「さっきのいざこざ!」

過去むかしって表現すんなよ!オレはてっきり――」

「てっきり?てっきり、何?」

「いや……」


 覗き込むような夷の丸い視線にたじろぎ、茜はぷいと顔ごと目を逸らした。

 夷は納得こそ行っていないものの、その表情に免じこれ以上の言及を取り下げることにした。


「悪かった」

「素直でよろしい。んじゃ、改めて……えっと、何の話だっけ?」

「お嬢、どこまで会議が進んでいたか、という話でした」

「ああ、そうだったそうだった。で、どこまで?」

「いえ、それが全然です。自己紹介が一通り終わった後、茜君が煽り出し――」


 ぎろり、と睨み付けるも、真言は茜の視線など露ほどにも気に留めていない。


「――いざこざに至った、という感じです」

「莫迦なの?」


 呆れ果てた声音で暴言を吐いた夷は、言葉尻に軽く溜息を付け加えた。


「アッキー、お疲れなの?」

「当たり前だろ、何連勤してると思ってんだ」

「ブラック企業に務めると大変だね」

「誰のせいだよ、誰のっ!」


 声を荒げながらも、茜は不思議な心地に包まれていた。

 先程まであれだけ殺気立っていたこの空間はまるで毒気を抜かれてしまったようで、腹立たしさは消えていないがそれはもう敵意に結びついていない。

 おそらくアリフも、そして真言もまたそうだろう。刺々しかった筈のその刺の材質が、非常に柔らかくぐにゃりとした何かに変わってしまったのだ。


 夷が何かやったのだ――茜は直感的にそう思考した。

 そして密やかに戦慄したのは、恒常的に【空の王】アクロリクスの庇護下にあるはずの自分ですら、その影響を被ってしまっているということだ。

 霊銀ミスリルの干渉ならばあらゆる影響を無効化キャンセルできる筈の限定された最強の鎧を突き抜けて、夷の魔術は茜を貫いたということだ。


「まぁ、それもあと二週間でお終いなわけだし――もうちっとだけ辛抱してよ。それに、もう二週間後のDAY2デイツーが来るまでは襲撃の予定なんか無いしさ」

「……その言葉、信じていいんだよな?」


 訝しむ目で問いを発した茜に、夷は意地汚くにたりと笑みを漏らす。


「逆に、幻術士うそつきの言葉を信じちゃっていいの?」

「――っ」


 ぎり、と茜は歯噛みする。その表情を笑った夷は「じょーだんじょーだん」と訂正を口にする。


「そもそも、別にRUBYルビを潰そうっていう目的があるわけじゃないしさ、わたしだってライブ自体はとっても楽しみにしてるし、もち本番はちゃんとダブルアンコールまで盛り上がるつもりだよ。襲撃自体も、その後のサプライズイベントに被せてるしね」


 その言葉を聞いて茜はちらりと横を見た。

 凛と正した姿勢で椅子に浅く座る土師はららの表情からは、その言葉の真贋は読み取れない。


「それにさ、追加で襲撃なんかしちゃったら、そろそろライブ自体中止になっちゃうんじゃないかなーなんて気がしないでもないしさ」

「解った。信用する」


 少しだけ前傾になった上体を脱力とともに背凭れに預けた茜は、改めて目の端ではららの様子を伺った。

 【君臨者】インベイドの能力により疑似的に【霊視】イントロスコープの瞳術と同じく霊銀ミスリルの流れや状態を視通すことが出来る茜の目に映ったそれは、以前に芽衣や心から聞き及んだそれと全く変わりが無い。

 一般人にしては霊銀ミスリルに揺らぎが無さすぎる――統制されているのだ。


 言ってしまうと、体内を循環する霊銀ミスリルの量によって一般人と魔術士とを分別することは出来ない。それは先天的な要因に多く紐づいてしまっているからであり、後天的に伸ばすことも出来なくはないが、それでも膨大な霊銀ミスリル保有量を持つ一般人に及ばないことが多々としてある。


 しかしその揺らぎ――或いは淀みは違う。訓練された魔術士ほど体内の霊銀ミスリルを掌握し統制する。その方が術式を組みやすく、精密な霊銀ミスリルの操作が可能となるのだ。

 だからこそ逆に体内の霊銀ミスリルを乱雑な――一般人と同じような状態にする魔術士も。暗殺者や刺客といった裏家業の魔術士ほどその傾向が強い。


 茜は【空の王】アクロリクスによりどうしても体内の霊銀ミスリルが非常に穏やかな流れとなってしまっており、その様子は一目見て異常だと判るくらいだ。だからこそそのことを熟知しているし、だからこそはららの霊銀ミスリルの様子を視て訓練はされているが洗練はされていない魔術士だと判断できた。もっと言えば、洗練されていないのだから裏家業に属すような輩ではないだろう、とも。


「まー逆に言っちゃうとさ」


 意識を眼前、対岸の白い少女に引き戻す。頬杖をつく夷はまったりとしたにこやか顔を続けている。その様子が逆に不気味だったが、緊張が張り詰めているよりはマシだった。


「もう最終決戦しか予定立ってないから、アッキーそんなに要らないんだよね」


 告げられ、しかし茜は嘆息こそしたが呆れも憤慨も抱かなかった。寧ろ、おそらくそうだろうと予想はついていた。夷たちが最終決戦を残すのみ、という情報を、すでに愛詩から仕入れていたからだ。


「それに、ほら――アッキーが警護員の配置を牛耳るってわけでも無いじゃんね」

「まあ、そりゃそうだな。進言するにしても何で、ってなるのは目に見えてるし」

「まあでも一応、こっちの布陣は後日追って連絡しとくよ。抜かりがあるとほら、楽しい楽しいライブイベントで怪我人出ちゃうしさ」

「怪我で済むかよ、人死にだろ」

「あー――それは無いかな」

「は?」

「うん。大丈夫だよ、人は、死なない。怪我はするかもしれないけど、死にはしないよ。何があっても」


 脳裏によぎったのは、PSY-CROPSサイ・クロプス異界攻略の際の真言の傷を瞬時に癒したあの魔術だ。しかしRUBYルビのクリスマスライブは幕張メッセのホール3つをぶち抜いて行われるビッグイベントだ。

 昨年の同催しでは二日間で計4万人を超え、今年もまたそれに劣らない数の集客を見込める予定である。


 そんな膨大な数の人間が犇めく会場内で襲撃を起こし、一切人を死なせないというのは明らかにおかしい。

 確かにあの魔術は瞬時にいかなる致命傷をも拭い払う驚異的なものではあったが、流石に規模が違い過ぎると思われた。


 それに、幕張メッセ崩落の過去をすでに茜は一度体験している。

 死が溢れ、屋根や鉄骨が崩れ落ち、阿鼻叫喚の地獄絵図を創り出していた。

 あの過去は夢などではなく、ただひとつ前の周回の終焉――そこから巻き戻った今回の周回でも、同様の惨劇は起こると見ていい筈だ。

 それを、人を一切死なせること無く終わらせるなど――馬鹿げているにも程がある。


「いや本当大丈夫、そこだけは安心していいよ――死ぬのはわたしだけなんだから」


 感情をいとも容易く覆された。それでも何かを言うことは問うことは出来ず、口を噤んでしまう。

 鼻を啜る異音に視線を遣ると、真言と実果乃に挟まれて愛詩がぽろぽろと涙を溢している。隣の実果乃はそれを眺めながら、労わるように頭を撫でていた。


「……わかんねーけどさ、人死にが出ないってのは大いに賛成だ。欲を言えば、その勘定にお前も入れろよ、って思うけどな」

「まー、そればっかりはどうしようも無いことなんだけどね」


 茜の双眸には。

 夷の体内で肉を喰い散らかし荒れ狂う霊銀ミスリルの蝕む牙が痛いくらいに視えていた。

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