Track.8-11「厄介な成長を遂げたものだ」

 ガチャリ――その場にいた全員が、開いたドアに注目した。


「おはよ」


 白い少女は、伸びをしながら間の抜けた声で挨拶をした。座るために背凭れを掴んで椅子を引こうとしていたアリフは苦笑する。


「もうお昼なんですが」

「職場の仲間に対する挨拶はおはよーごぜーますに決まってんじゃんインドネシア人。お前らの文化どうなってんだ」


 そしてそのまま、テーブルを擦り抜けてどこかへと行こうとする背中に向かい、茜は苛つく声を掛ける。


「何処行くんだよ」

だなぁ、女の子が起きたらそりゃお風呂入るでしょ、悪夢も見たし。アッキーは違うの?」

「こっちはお呼ばれの身なんだけど?」

「まぁまぁ、談笑しながら待っててよ。そんなに時間かからないからさ」

「お嬢、何なら僕が身綺麗にしましょうか?」

「え、何かそれキモくない?」


 言い捨てると夷は廊下へと歩いて行った。嘆息した茜の後ろでは、背凭れ越しにその身体を抱き締めたまま実果乃がにこにこと茜の頭を撫でている。


「実果乃、座ってくんない?」

「え?嫌だ、私茜くんの傍がいい」

「随分と好かれているんですね」


 アリフが揶揄し、茜は再び溜息を吐いた。

 それを冷めた目で眺めていた真言は目を細め、狐のような顔を険しくして言い放つ。


「そろそろいいでしょうか」

「ああ、こちとらいつでもいいんだけど」

「では始めましょう」


 パンッ――柏手が打ち鳴らされるとダイニングルームの空気が一変した。

 ひどく張り詰め、息苦しい。まるで空気が粘性を帯びたようだった。


「12月13日、定例会議を始めます。本日の議題は――糸遊さん、お願いします」

「えっ、わ、私ですか?」


 暖炉に最も近い上座は空席――そこに座るべき主は現在シャワーを浴びているからだ。

 その空席に対して右側奥から真言、愛詩と続き、一番手前側もまた空席だ――そこに座るべき主は茜の背後に陣取っているからだ。

 逆側の奥と真中も空席であり、手前側にはアリフが座している。


 暖炉は今日もまたパチパチとべられた薪から火花を散らし、灰を積もらせている。


「当然ですよ、だって、あなたが連れて来たんじゃないですか――彼女を」


 それぞれの目は上座の対面、下座に座る茜に向けられた。茜はそれらの視線を睨み返し、浅い吐息を散らす。


「何かやっぱ、歓迎されて無い感じじゃん」

「そ、そんなことは無いですよ」

「そうだよ、私は茜くん好きだよ」


 愛詩の否定に続き、実果乃は茜の髪に頬を擦り寄せながら甘い声で囁く。


「では、失礼させて頂きます……」


 こほん、と咳払いがひとつ。愛詩はその直後に唾を嚥下して、落ち着きはらった表情で口を開く。


「本日の議題は、二週間後に迫った最終決戦の段取りの確認です。夷ちゃんはお風呂から上がり次第会議に参加、リニちゃんは本業の都合上不参加ですので、アリフさんに伝言をお願いします」

「承知致しました」

「カゲさんは先日のクローマーク社屋上でのバトルの結果、離脱することとなりました。土師さんは予定ではあと五分程で到着するとのことです」


 茜は、土師はららがそっち側の人間であることは既に知っていた。愛詩から聞き及んでいたからだ。だからここでその名前が出たところで今更驚くことは無かったが、しかし信じられない気持ちが未だ彼女の胸の内でぐるぐると廻っている。


「本日で定例会議も最後となりますが、今回から新たに参加する方として、クローマーク社所属民間魔術士の安芸茜さんに来て頂いています。安芸さん、自己紹介していただいてもよろしいでしょうか?」


 かったるいとでも言わんばかりに深く呼気を吐き出した茜は、右肩に顎を載せる実果乃を押し遣ると椅子を引いて立ち上がった。その右腕に、実果乃の細い体が絡みついて来る。


「あー、今しがたご紹介に預かりました安芸茜です。つっても別に、オレはあんたらに協力する気があるんじゃなくて、あくまで糸遊さんの協力ならする、っていうスタンスなんで、そこんとこよろしく」

「なら我々に賛同するのと同義じゃないか?」


 すぐ左のアリフが整った顔立ちを僅かに綻ばせて問うた。茜は座面に尻を落として落ち着きながら舌打ちをするような表情でアリフを見遣る。


「全然ちげーよ。あと、ひとつだけ条件があるからそれは前払いでよろしくって感じ」

「条件とは?」


 真言がいつになく真剣な表情で茜を睨みつけた。彼は比較的彼女に対して親和性を抱いた行動を取ってきたが、今日の彼に限っては敵意を抱いていると言っても過言では無かった。そしてその様子の異なりを、茜もまた感じ取っていた。


 茜がそんな彼に返答を返そうとした時。


「遅れました、すみません――」


 現れた、茜に勝るとも劣らない長身の娘――土師はららだ。はららは振り向いた茜の顔を見るとぎょっと目を見開いて、驚愕を表情に灯した。


「ああ、ちょうどいいや。オレの条件ってのは、この土師はららが魔術師ワークスホルダーになって、実果乃を完全に蘇らせる、ってこと」

「――え?」

「成程――それは確かに、お嬢様にしか出来ない頼みだ」


 はららは困惑に囚われ、感嘆したアリフを除いて全員が絶句していた。


「……出来るだろ?何しろあんたは“結実の魔術師”スレッドワークス――願いの叶え方なら一発で解るはずだよな?」


 向けられる鋭い眼光にたじろいだ愛詩の姿を見て、飛び出したのはアリフだ。

 自身の固有座標域ボックスから取り出した“アリフのクリス”クリザリフを構えると即座に座したままの茜の首筋に向けて突きの一閃を放つ。


「――っ!?」


 しかしその切先は喉元に食い込むことなく、中空で何か硬いものに弾かれてしまった。


「……やっぱ歓迎されて無いんじゃん」


 自身の右側に抱きつく実果乃を押し遣って面倒臭そうに立ち上がった茜は、実につまらなさそうな表情で以て顔を顰めるアリフに向き直る。


「売られた喧嘩を買うのは卒業してたんだけど――最近は何でか、あの頃に戻ってもいい気分なんだよね」


 胸の前で組んだ両手が、拳の関節をぽきぽきと鳴らす。


「――


 真言が言い放つ。言霊の強制力により茜の戦意を削ぐつもりだった。

 茜の持つ異術【空の王】アクロリクスは彼女に対するあらゆる霊銀ミスリルの干渉を無効化キャンセルする。しかし【空の王】アクロリクスには複数のスタイルがあり、霊銀ミスリルの移動をゼロにして空間に固定する【飛躍者】ヴォールトなどの、【君臨者】インベイド以外のスタイルを取っていると霊銀ミスリル干渉の無効化キャンセル能力は失われてしまうのだ。

 だから真言は茜だけを標的に言霊を発した。アリフの閃撃が来る中で【君臨者】インベイド【飛躍者】ヴォールトの切り替えを余儀なくされる彼女は、そうすることでどちらかには屈するはずだったのだ。


「――っ!」


 そして、だからこそ真言は再び絶句した。

 手を差し伸べて二度目の突きを【飛躍者】ヴォールトの空間固定能力で阻んだ茜の戦意は一切削がれて等いなかった。

 明らかに、【君臨者】インベイド【飛躍者】ヴォールトの双方の能力が発揮されているのだ。


「――悪いな、阿座月さん。オレ、解っちまったんだ」


 そして右足の踏み込みと共に鋭く繰り出された右の刻み突きは、アリフの鼻先で衝撃を散らし、誰も傷つけることは無かった。


「茜くん、かっこいい……」


 押し遣られたテーブルの傍で実果乃は頬を染めた恍惚の表情で茜だけを見詰めている。彼女以外の全員が、茜に対し戦慄を抱く表情で注視しているというのに。


「今のオレは、“空の王”アクロリクスの全ての能力を使えて、なおかつ併用できる。だからもうあんたの言霊は一切効かない」

「――――全く、厄介な成長を遂げたものだ」


 精一杯の強がりにしか過ぎない言葉が二人の間で散ると同時に、部屋の奥――廊下から、バスタオルで濡れた頭をわしわしと拭きながら夷がやって来る。


「おまんたせー……何この空気。ってか莫迦執事、わたしの許可無く勝手にバトってんなよ」

「は、申し訳ございません」

「いえ、謝るべきは僕の方です。お嬢、申し訳ございません」


 頭を下げる二人の男を見ずに、バスタオルを首にかけたままで夷は茜に正対して手をひらひらと振る。


「アッキーごめんね、気の利かない連中ばっかで。もち、わたしも含めてさ」

「……別にいいよ。元からそんなの、求めて無いし」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る