Track.8-10「だって遊び足りないじゃん」

   ◆



 無を無で相殺する。

 無限を無限で相殺する。


 超越者インペラトル“阿摩羅”アマラと夷との戦いは何もかもが動かない、実に静かで、それでいて夥しい遣り取りの繰り返しだ。


 白い空間の中では時間経過すらもが無く、だからこそ夷は凡そ3分強という活動限界を超えて魔術を繰り出すことが出来る。

 しかしやはり何もかもが“阿摩羅”アマラにとっては無意味だ。当然だ、相手は“無”であり、“無限”そのものなのだから。そして、夷が絞り出している力こそ、その根源は“阿摩羅”アマラのものなのだから。


 だから、夷には“阿摩羅”アマラに勝てる道理が無い。

 道理が無いのだから、“無理”そのものだ。


『……結果は見えている。ありとあらゆるが無駄であり、ゆえに其方の行いは無為である』

「はあ?いやちょっとわかんないなー、もしかして日和ひよった?お疲れちゃんですかー?」


 煽り文句すら全く意味は無い。そんなことは夷も解り切っている。


“伽藍ノ堂”ナキス


 足元から拡がってきた“無”を、同量の“無”をぶつけることで振り払う。


“唯我独存”ニルラクシャ


 自身の座標を一時的に虚数とすることで非在とし、繰り出された“無限”の質量を躱す。


“厭離穢土”キャラーカ


 遠方に自身を創り出し、切り替え、現在の自身を棄却することで瞬間の移動を行う。


“罪業消滅”サンスカールラ


 判断を誤ったことで齎された左腕の喪失を、無かったことにする。


 そのどれもが、結局は“阿摩羅”アマラから勝手に借り受けた力だ。

 “無幻の魔術師”ゼフィラムワークスとして機能するしかない限り、夷に勝ち目は無い。

 “阿摩羅”アマラは事あるごとにそれを諭し、だからこそ夷は幾重にも渡る攻防の中で思考を回転させ続けている。


 “無幻の魔術師”ゼフィラムワークスとしてではない遣り方で、“阿摩羅”アマラを超える力を捻り出すには、どうすればいいのかを――


(そもそも、無って何だ――無はゼロだ、何も無いってことだ――)


 しかし繰り出される魔術には方向性ベクトルがあり、この空間内では時間経過という概念が無いにも関わらず、速度が存在する。


(無限――限りが無い、ということ――可能性――拡がり続ける)


 “阿摩羅”アマラという超越者インペラトルは確かに存在しているし、ただ見えない姿を持っており、聞こえない音を発しているだけなのだ。知覚できない存在が在る、と言い換えていい筈だ、と夷は考えを連ね続ける。


 もう、何度と無くこの交戦を繰り広げてきた。

 負けても別に害は無い。ただこの空間から弾き飛ばされて、現実に意識を取り戻すだけだ。夢が終わって、寝ぼけ眼で目覚めるだけだと言うことも夷は知っている。

 繰り返してきた16回の17年間で勝てたことは一度と無い。有れば“阿摩羅”アマラの力を支配し切っている筈だし、そもそも真理にそのことが刻まれれば何度周回ループしようと絶対にそうなる筈だ。


 真理に時間の概念は通用しない。何故なら時間の概念は真理に包括されているからだ。

 だから真理の一端に触れた魔術師ワークスホルダー達は、例え時間が巻き戻ってしまったとしても魔術師ワークスホルダーとなる運命にある。真理に名を刻まれるからだ。


(そもそも、何で負けても殺されない――超越者インペラトルは勝ちを得た相手を飲み込む筈――どうしてこいつだけ、違う理で動いている――)


 領域化リジョナイズして複製した脳機能は既に三十六に達した。並行して思考をぶん回しながら、欠けた身体を幻創によって取り戻し、自在に空間を跳躍しては無と無限に無と無限とをぶつけ続ける。


 しかし。


『――もうお終いにしよう』

だよ、だって遊び足りないじゃん」

『飽いた』


 夷の薄い眉がぴくりと動く。脳機能を複製して七十二に増設した。

 それでも足りない。足りる気がしない――だが諦めるには彼女の想いは強すぎた。執念であり、焦燥であり、切望であるその想いは、有限だからこそ在り得た、死に際の蠟燭の灯火に似ている。


 自分は死ぬ、十八を迎える前に。

 才能には恵まれたが、素質には恵まれなかった彼女は、しかしだからこそ祖父と同じく“無幻の魔術師”ゼフィラムワークスへと到達する道を選んだ。

 その結果、霊的に繋がったままの隔たれた双子の妹を蝕んでしまった。

 蝕まれた妹は、自分をどうしようも無いと恥じながらも抗えずに、そんな自分を本当に愛してくれる友達の存在を夢想した。

 だからその夢想を、現実にしたかった。

 いつしかそれは、自分の最愛へと変貌した。

 妹はそれが形になる前に死に、せめて二人の幻想を、現実へと結ぶことを誓い。

 そうやって幻創した最愛の友人の、夢を叶えたかった。

 笑えない彼女の笑顔を取り戻して、その夢が叶う瞬間を見届ければ。

 くだらない自分にも、何かの意味はあったのかなと――


 そうやって17年を、16回犠牲にして。

 17回目の今――それを最後だと言い聞かせた。


 無限なんて幻想だ。あらゆるものには限りがある。

 あらゆるものは無へと還り、あらゆるものは無から生まれる。


「嗚呼――そうか」

『っ!?』


 ぶつり――何か太く強靭なものが断たれたような音が

 しかし“阿摩羅”アマラは、二度と夷に攻撃することは出来なかった。


 夷がもう、“阿摩羅”アマラを認識していないからだ。


「――嗤っちゃうね。あんた、わたしが認識していないと存在すら出来ないんじゃん」

『――――』


 “阿摩羅”アマラの返答は無い。いや、在ったとしても、それはもはや夷には届かない。

 無とは、それを認識しなければただ何も無いに過ぎないもの。

 “ゼロ”という概念をインド人が見つける前は、存在すらしていなかったもの。


 だから夷は自分に、認識を阻害する負の幻術を行使したのだ。

 それまで“阿摩羅”アマラを視認していた眼識を限定的に閉ざし。

 同様に、耳識も鼻識も舌識も身識も意識も無意識も。

 そして、阿頼耶識も、阿摩羅識も。


 それら全てから、“阿摩羅”アマラに対する認識のみを取り除いた夷は、もはや何と戦っていたのかすら理解できないでいる。

 しかしそうすることでしか太刀打ちできない相手と戦っていることだけは理解していた。だからその在り得無さに笑みを溢し、笑い声を上げた。


 気配が納まっていくことすら彼女には感じられないが、しかし彼女は勝利を確信していた。

 呆れるような必勝法だ。対話のためには認識するしかなく、しかし認識していれば負けるしかない――無と無限とを司る超越者インペラトル“阿摩羅”アマラとは、その二律背反を御さなければならない存在だ。


「ん?」


 そして夷は、自らの霊的座標に強制的に接続アクセスされた霊脈レイラインを感知した。

 自らに行使した負の幻術を解くと、忘失していた“阿摩羅”アマラからの声を聞いて、自らの選択が間違いではなかったと再確認した。


『契約と行こう――魔術、四月朔日夷よ』


 頸部に夥しい違和感――燃え盛るような熱と、凍り付くような寒さが同居し、激しく硬質な何かががちんがちんと打ち鳴らされるような異音が響く。

 頭に割れるような痛みを覚え、体中の霊銀ミスリルが荒れ狂い、途端に喉から赤黒く灼けた泥のような肉の成れの果てを吐き出した。


「う……ちょっと……おぇ……きっつ……」


 再三泥を吐き出し、しかし終わると嘘のように痛みと違和感は消えていた。がちんがちんと鳴り響く音ももう聞こえず、体内の霊銀ミスリルですら整列しているように物静かだ。


『対価は要らぬ。好きなだけ力を使うがいい』

「――ありがと」


 夢から覚めるように瞬きの合間に意識は現実の身体に結びつき。

 目を開いて上体を起こした夷は、ぐっしょりと濡れた服のままでぼんやりと霞がかった頭を振る。そして重くも達成感の籠められた溜息を深く着いた後で、ベッドから降り立った。


「ああ、アッキー来てるんだっけ」


 ダイニングルームでは、今しがた安芸茜がテーブルに着いたところだった。

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