Track.8-10「だって遊び足りないじゃん」
◆
無を無で相殺する。
無限を無限で相殺する。
白い空間の中では時間経過すらもが無く、だからこそ夷は凡そ3分強という活動限界を超えて魔術を繰り出すことが出来る。
しかしやはり何もかもが
だから、夷には
道理が無いのだから、“無理”そのものだ。
『……結果は見えている。ありとあらゆるが無駄であり、ゆえに其方の行いは無為である』
「はあ?いやちょっとわかんないなー、もしかして
煽り文句すら全く意味は無い。そんなことは夷も解り切っている。
「
足元から拡がってきた“無”を、同量の“無”をぶつけることで振り払う。
「
自身の座標を一時的に虚数とすることで非在とし、繰り出された“無限”の質量を躱す。
「
遠方に自身を創り出し、切り替え、現在の自身を棄却することで瞬間の移動を行う。
「
判断を誤ったことで齎された左腕の喪失を、無かったことにする。
そのどれもが、結局は
(そもそも、無って何だ――無はゼロだ、何も無いってことだ――)
しかし繰り出される魔術には
(無限――限りが無い、ということ――可能性――拡がり続ける)
もう、何度と無くこの交戦を繰り広げてきた。
負けても別に害は無い。ただこの空間から弾き飛ばされて、現実に意識を取り戻すだけだ。夢が終わって、寝ぼけ眼で目覚めるだけだと言うことも夷は知っている。
繰り返してきた16回の17年間で勝てたことは一度と無い。有れば
真理に時間の概念は通用しない。何故なら時間の概念は真理に包括されているからだ。
だから真理の一端に触れた
(そもそも、何で負けても殺されない――
しかし。
『――もうお終いにしよう』
「
『飽いた』
夷の薄い眉がぴくりと動く。脳機能を複製して七十二に増設した。
それでも足りない。足りる気がしない――だが諦めるには彼女の想いは強すぎた。執念であり、焦燥であり、切望であるその想いは、有限だからこそ在り得た、死に際の蠟燭の灯火に似ている。
自分は死ぬ、十八を迎える前に。
才能には恵まれたが、素質には恵まれなかった彼女は、しかしだからこそ祖父と同じく
その結果、霊的に繋がったままの隔たれた双子の妹を蝕んでしまった。
蝕まれた妹は、自分をどうしようも無いと恥じながらも抗えずに、そんな自分を本当に愛してくれる友達の存在を夢想した。
だからその夢想を、現実にしたかった。
いつしかそれは、自分の最愛へと変貌した。
妹はそれが形になる前に死に、せめて二人の幻想を、現実へと結ぶことを誓い。
そうやって幻創した最愛の友人の、夢を叶えたかった。
笑えない彼女の笑顔を取り戻して、その夢が叶う瞬間を見届ければ。
くだらない自分にも、何かの意味はあったのかなと――
そうやって17年を、16回犠牲にして。
17回目の今――それを最後だと言い聞かせた。
無限なんて幻想だ。あらゆるものには限りがある。
あらゆるものは無へと還り、あらゆるものは無から生まれる。
「嗚呼――そうか」
『っ!?』
ぶつり――何か太く強靭なものが断たれたような音が鳴り響くことは無く。
しかし
夷がもう、
「――嗤っちゃうね。あんた、わたしが認識していないと存在すら出来ないんじゃん」
『――――』
無とは、それを認識しなければただ何も無いに過ぎないもの。
“ゼロ”という概念をインド人が見つける前は、存在すらしていなかったもの。
だから夷は自分に、認識を阻害する負の幻術を行使したのだ。
それまで
同様に、耳識も鼻識も舌識も身識も意識も無意識も。
そして、阿頼耶識も、阿摩羅識も。
それら全てから、
しかしそうすることでしか太刀打ちできない相手と戦っていることだけは理解していた。だからその在り得無さに笑みを溢し、笑い声を上げた。
気配が納まっていくことすら彼女には感じられないが、しかし彼女は勝利を確信していた。
呆れるような必勝法だ。対話のためには認識するしかなく、しかし認識していれば負けるしかない――無と無限とを司る
「ん?」
そして夷は、自らの霊的座標に強制的に
自らに行使した負の幻術を解くと、忘失していた
『契約と行こう――魔術師、四月朔日夷よ』
頸部に夥しい違和感――燃え盛るような熱と、凍り付くような寒さが同居し、激しく硬質な何かががちんがちんと打ち鳴らされるような異音が響く。
頭に割れるような痛みを覚え、体中の
「う……ちょっと……おぇ……きっつ……」
再三泥を吐き出し、しかし終わると嘘のように痛みと違和感は消えていた。がちんがちんと鳴り響く音ももう聞こえず、体内の
『対価は要らぬ。好きなだけ力を使うがいい』
「――ありがと」
夢から覚めるように瞬きの合間に意識は現実の身体に結びつき。
目を開いて上体を起こした夷は、ぐっしょりと濡れた服のままでぼんやりと霞がかった頭を振る。そして重くも達成感の籠められた溜息を深く着いた後で、ベッドから降り立った。
「ああ、アッキー来てるんだっけ」
ダイニングルームでは、今しがた安芸茜がテーブルに着いたところだった。
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