Track.8-13「つーことで、敵陣に踏み込んでみた」

   ◆



「お前、大丈夫か?」


 会議の後、池袋の街へと戻ってきた茜は別れ際に愛詩にそう訊ねた。

 茜は愛詩とまだ数回程度しか顔を合わせてはいないが、会う度に彼女の顔の憔悴が色影を濃くしていたからだ。


「……大丈夫、ありがとう」


 全く信用できない返答に呆れの籠った呼気を吐き捨て、茜は訝しむ眼差しを素直に投じる。


「オレはさ、報酬がきちんと支払われればそれでいい。思うところはクソほどあるけど、いちいち口出ししてしてらんねーし」

「……うん、本当に、大丈夫だから……実果乃ちゃんも、ちゃんと――」

「お嬢様、そろそろ」


 運転手を務めるアリフに急かされ、愛詩は小さく手を振る。

 窓越しにその手に手を返し、車影が見えなくなるまでその場で茜は見送った。



『――あー、報酬の話だけどさ。ちゃん土師が魔術師ワークスホルダーになるのは待っててもらっていーい?』


 家路へと向かい、ブルートゥースのイヤホンを耳に嵌めて音楽を垂れ流しながら思い出す、異界での会議の終わり。


「前払いがいい、って言ってんだけど」

「いやほら、そーするとさぁ、筋書きシナリオから外れちゃうんだよね。ちゃん土師がいとちゃんの力借りて真理の一端に到達するのはさ、出来ればライブの後がいいんだよなぁ」


 そこで茜ははららを見た。凛と伸ばした姿勢のアイドルは涼しい顔を続けている。その表情から、何を考えているかは読み取れない。

 しかし表情からは読み取れなくても、体内を流れる霊銀ミスリルの揺らぎは彼女の動揺を伝えてくる。日曜深夜に放送されるRUBYルビの看板バラエティ番組などでも、涼しい顔とは裏腹に心配性だったり、意外とドジな一面もあったことを茜は思い出した。


「……分かった」

「物分りが良くて助かるよん」


 だが頷くことを決めたのは夷の言葉でもはららの揺らぎのせいでもない。肝心の橋を渡す愛詩の様子が、あまりにもグズグズだったからだ。

 夷が自分だけが死ぬのだと告げてからずっと彼女は鼻を啜ったままだ。一度離席して泣きに行ったくらいだ。

 茜には、夷と愛詩がどのような間柄なのかの検討がつかない。夷自体に関しては家柄のことやこれまでどのような人生を送ってきたかは、常磐美青が編集した彼女の記録映像を見て知っている。彼女に侍らう阿座月真言についても、断片的には分かっている。

 しかし彼女の記録の中に、糸遊愛詩という人物は出て来なかった。ぽっと出の新キャラだ。聞くところによるとすでに真理の一端に到達した”結実の魔術師”スレッドワークス――だから、夷同様にえげつない存在なのだと思い込んでいた。


 でも、彼女の様子は友達を敬愛する普通の女子高生と何ら変わりないように思えた。

 愛する友人が死に臨もうとしている中で、それを阻んで長い生を望むのではなく、それを支えてその夢が叶うように共に努力する道を往くことを選んだ。けれどやはり、それでも友に待ち受ける死という運命を完全に受け入れることは出来ていない。


 彼女は――愛詩は言っていた。描かれた筋書きシナリオに沿って物事を運んでいけば、夷の願いは果たされるのだと。だから茜は、愛詩のために自らも筋書きシナリオに沿うことに頷いたのだ。

 全てが終われば、魔術師ワークスホルダーとなった土師はららが死して異骸リビングデッドへと変貌した比奈村実果乃を生前のままに蘇らせる。本当ならばすぐにでも彼女に会いたかったが、少しだけ我慢することにした。


「さぁて――」


 ひとつ伸びをして張り詰めた緊張を解き放ち、茜は池袋駅の東口の階段を降りていく。

 出来るだけ仮眠を取りたい彼女は、自宅へと向かうJR山手線ではなくクローマーク社へと向かう東京メトロ有楽町線の改札を抜けた。会社には仮眠室もあればシャワールームもある。

 付け加えれば――今しがた会議で聞いたことを、航には伝えなければならない。


 茜が協力するのはあくまで愛詩だ、夷じゃない。

 向こうもそれを折り込み済みで、だからこそ自分は不要の役立たずだと切り捨てられた。


 しかし収穫が無かったわけではない。それを伝えることこそ、自分の役割だと――それはクローマーク社側としても、夷の思惑としても――茜は認識していた。



   ◆



「つーことで、敵陣に踏み込んでみた」

「アホか、お前は」


 12月13日、午後5時12分――クローマーク社二階の中会議室で、仮眠から目覚めたばかりの航は茜の報告を聞いて即座に罵声を浴びせかけた。

 それから無線式インカムを通じて奏汰に呼びかけ、奏汰の率いる調査チームの5名――奏汰、葛乃、初、鈴芽、リリィと、夜勤に備え早めの移動をしていた芽衣、現在勤務中の心と通信魔術による緊急会議を始めた。尚、望七海は夜勤に備え仮眠中だ。


「入手源は明かせないが、襲撃に関する有力情報をゲットした。それを元に、クリスマスライブ当日の人員配置マッチアップを決めていこうと思う」

「……四方月さん、いいんですか?普通こういうのって、他の統括とかも巻き込むものじゃないんですか?」

「いいんだよ、今回のこの業務に於いては、俺は誰よりも多くの権限を持っているからな」

「職権乱用じゃなければいいんですが」


 呆れ声を垂れ流した奏汰に対してにかりと笑い、光術と流術、方術を複合ミックスさせた通信魔術によって浮かび上がった面々のバストアップ映像を見渡しながら航は言い放つ。


「細けぇこたぁいいんだよ――で、こっからは安芸、頼む」

「うぃっす――――」


 そして茜は夷陣営の襲撃要員の数とそれぞれの性質、おおまかな行使しうる魔術の系統と、それからどの場所から襲撃を仕掛けるのかを真摯に説明した。


「ああ、あと一応――土師はららはやっぱり黒だよ。でも、襲撃自体には関与しない」

「やっぱりそうか……でも関与しないって言うのはどういうことだ?」

「土師はららは主にRUBYルビ側の動きを伝える役割。あと、骸術ネクロマンシーによって異骸リビングデッド化した比奈村実果乃を抑える役割、ってとこ」

「成程ね」


 緊急会議は会議室にいる三人――航、奏汰、茜を中心に進んでいく。その様子を眺めながら、耳を欹てて一語一句を漏らさぬよう集中しながら、それでもやはり芽衣は心の内でショックを感じていた。


 土師はららは、努力の人だった。表向きは清楚系の代表、と言わんばかりの凛とした佇まい、丁寧な所作に言葉遣い、名家の生まれともあって心よりもれっきとしたお嬢様というイメージが強いが、実際にはおっちょこちょいであり、苦手な物事が多い不器用な人間だった。

 RUBYルビの一期生メンバーというアイドルになるまではダンスを齧ったことも無ければ歌もそこまで上手くない。SNSでは発足当時『顔で入った』とこぞって言われたものだ。


 しかしそれが違うと、彼女はアイドルになるべくしてなったのだと周りから認められるようになったのは、彼女がRUBYルビを何よりも最優先にしており、RUBYルビそのものが、RUBYルビのメンバー個々が輝くためなら自分は切り捨てられてもいいと、終始グループ自体・メンバー個々のサポートに執心していたからだ。

 その上でRUBYルビのパフォーマンスが上がるためには、そのメンバーの一人である自分もまたパフォーマンスを上げなければならないという信念のもとに、実にストイックにグループの活動に従事し続けてきたからだ。


 発足から半年が経ち、デビューシングルの発売が決まったと同時にグループリーダーに彼女が就任した時は、誰一人納得しない者はいなかった。

 それほどまでに彼女の情熱は、誰よりも『RUBYルビをもっと広めたい、RUBYルビのメンバーをもっと輝かせたい』という想いに燃え上がっていたのだ。

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