Track.8-7「ならその責任はお前のもんだ」

「んじゃ、乾杯」


 グラスは無い。二人ともが瓶に直接口を付けるラッパ飲みの形式スタイルを取った。

 浅からぬ仲ではない航と景。つい数日前には死闘を繰り広げたというのに、こうして酒を交わしているというのは実に不思議だ。


「っぷは!――ビールなんて久し振りに飲んだっすよ」

「へぇ、どれぐらい振りだ?」

「そっすね――夷ちぃのとこに厄介になってからっすから、ざっと4ヶ月っすか」


 とは言うものの、景のこの態度はあくまでも航や常務である和泉緑朗に対してのみのものだ。言わば同じ穴のむじな、“復讐者”である創設者に対してのみ、景は少しばかり心を開いている。


「四月朔日夷のところに行った理由は?」

「そんなんもう知ってるっしょ――クローマークが復讐という根幹を忘れて、ただの民間魔術企業に成り下がったからじゃんすか」


 心が完全に開かれていないのは、景が未だそこに執着を覚えている証左に他ならない。創設者の一人である眞境名マキナ連歌レンカが行方不明となり、緑朗は社の発展を、そして航は社の基盤を担った。ただ独り取り残されたように、景だけが復讐に囚われていた。


「……もう何年だ?」

「5年っすよ。そんなことすら忘れてんすか」


 仄かに頬を赤らめながらグイと酒を呷る景の言葉に苦笑した航は、遠い目で辺りを見渡した。

 景が幽閉されているこの異界の様相――古城の地下牢、と言うが易いか。切り出した石を重ねて積み上げられた壁と柱が天井を支えており、黒い鉄格子を挟んで石の床に二人は座している。

 古めかしく廃れた空間ではあったが手入れは行き届いており、埃の堆積や設備の欠損は無く、壁に数か所下げられたランタンの柔らかい明かりも十分な光量だ。


「……忘れたわけじゃないんだ」


 ぼそりとした呟きを、しかし景は聞き逃さなかった。


「ただ、今は思い出せないだけだ」

「それを社会通念上、忘れたって言うんじゃねーんす?」

「いや――封じ込めてる」

「……成程なーる


 そう聞いて納得したのは、景もまた航と同じように方術を修めているからだ。

 方術士に限らず、魔術士は自らが知覚・干渉を行える次元軸を昇華して用いる“固有座標域”ボックスを有する。いや、固有座標域自体はあらゆる霊的存在が持つ仮想領域だが、それを知覚して使用可能とするのは霊銀ミスリルを介さないといけない。だから恒常的に霊銀ミスリルを扱う魔術士のみが用いることができる、ということになる。


 そして固有座標域はさらにその深淵に存在する“虚数座標域”ブラックボックスという領域を内包する。特に方術士はこの領域を“黒い匣”と呼び、他者はおろか自身にすら秘匿すべき様々な情報を封じ込めるのだ。

 それを熟知しているからこそ、景は航の『封じ込めてる』という言葉のみを聞いて、航が彼の根幹に関わる記憶を黒い匣の中に収めたのだと理解したのだ。


「でもさ、何で?」

「済まんが、今となっては俺にもどうして俺がそうしたのか、その理由も目的も解らない。ただ俺に判るのは、そうするしかなかった、ってことだ」

「ふーん……でも良かったよ。あんたが、相変わらずの復讐者だってことが判ったから」

「俺だけじゃないさ。和泉常務も、根っこの部分を放り出してるわけじゃない」


 景に対する詰問はすでに終わっている。現在の彼はこの異界の中で、上役がどのような裁定を下すのかを待つ身だ。

 術具は取り上げられ、魔術学会スコラから認可を受けた霊銀ミスリル不活性剤も投与されているため、今の景は一切魔術を行使することが出来ない。本来であれば魔術を用いて害意を及ぼしたために学会スコラ預かりとなるのが慣例だが、RUBYルビの魔術警護のために多くの学会スコラ魔術士が詰めていることもあり、学会スコラは景の処遇の一切をクローマーク社に任せてもよいと判断したのだ。

 例外的措置とは言われてはいるが、学会スコラに一目置かれる民間魔術企業に対してその措置が取られることは少数派では無く、そのこともまた民間魔術業者が学会スコラとの繋がりを持とうとする要因のひとつだ。


「――でも結局、通常業務の多忙さを言い訳にしてお前の気持ちとか、色んなことをないがしろにしてきた結果っちゃ結果だ」

「あー、まぁ、……そっすね」

「でもそれは情状酌量の余地があるってだけで、お前への裁定が覆るとかそういうことは無い。魔術士である以上、魔術を用いて害意を働いてはいけないし、尚且つお前は社が持つ極秘情報を横流しした、って罪もある」

「あー、裁定決まったんすか」

「ああ」


 空気の質量を増大させる神妙な面持ち。航はしっかりと景を見据え、景もまた冷めた表情で見詰め返す。


「お前はやっぱり、学会スコラ送りだ」


 目を見開き、跳びかかる勢いで鉄格子を掴む景。冷めた表情は激昂のそれに一変し、荒く息を吐いては唾とともに怒号を撒き散らした。


「ふっざけんな!」

「煩ぇよ。文句なら受け付けるが、喚き散らしたところで何が変わるわけでもない。学会スコラで更生プログラム受けて、どうにもなんなかったら配列固定。一生後悔して生きればいいさ」

「てめぇ――」

「ガキじゃ無ぇんだ、罪を犯したらどうなるかぐらい判るだろ。こうなったのは俺達にも原因はあるんだろうが、罪を犯したのはお前で、お前の自由意志の判断だ。ならその責任はお前のもんだ」


 航は相変わらず石床に尻をつき、冷淡な素振りで瓶ビールを煽る。しかしその眼光は尖鋭で尚且つ重厚だ。射貫かれた景は狂犬のように鉄格子を掴んでわなわなと震えていたが、航の様子からもうそれが覆らない決定事項なのだと悟ると、涙を溢して地面に蹲った。


 学会スコラ送りというのは、魔術士に対する少年院送りといった意味合いだ。魔術を用いた犯罪に手を染めた魔術士は更生施設で更生プログラムを受ける。それを修了することで、再び魔術士として社会貢献するためにだ。

 プログラムに要する期間は罪の重さによって変わる。数年単位のものもあれば数十年のものもあり、数百年を要する場合もある。無論、人間はそんなに長く生きられるわけではなく、更生プログラムを受けている間は時間が止まっていることも無い――そういう魔術刑が無いわけではないが。


 そして、それでもどうにもならない、魔術士としてやってはいけないと判断された魔術士に適用される魔術刑が、“霊基配列固定措置”――通称“配列固定”だ。

 読んで字のごとく、霊基配列の一部を日常生活に支障の無い範囲で固定するこの措置を受けた者は、結論から言うと使。つまり魔術士では無くなるのだ。

 現状、世界において魔術士で無くても生きていくことは十分に出来る。しかし魔術士にとって魔術を取り上げられることは命を奪われることとほぼ同義である。特に、生まれつき魔術に導かれ魔術に塗れて生きてきた魔術家ほど。


 景が属する大神家は魔術の大家では無いが、しかし彼にとって魔術は復讐を果たすための道具であり手段だ。それを奪われるということは彼が復讐者ではいられなくなるということに他ならず、彼にとってそれは死んだも同然だ。


 慟哭の止む気配の無いまま、航は立ち上がり、古城の異界から立ち去る。

 数時間後、憔悴しきった景の元に、魔術学会スコラから派遣された移送員6名が現れた。

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