Track.8-8「彼氏作らないんですか?」

 RUBYルビ魔術警護の日勤統括の一人を担っていた大神景の空いた穴には、調査チームWOLFリーダーであり景の兄である太雅が務めることになった。そのこともあり、主に一期生の主要メンバーの警護を担当していたWOLFの面々は警護担当から外され新たに増設された“遊撃要員”というポストに就くことになる。


 学会スコラから派遣された魔術士が警護要員となったことで大きく様変わりした人員配置だが、特に大きな混乱が無かったのは流石と言えた。

 中には警護要員から外されたものの、刃詩遊子のように最終決戦の日に向けて自らを鍛え直す者も現れ、張り詰めた緊張が高まる中で時間は刻一刻と過ぎていく。


 しかし唯一その中に、普段と実に変わらない緩みを持つ者がいる。

 何故なら彼女は知っているからだ。クリスマスライブ本番二日目の日まで、新たな襲撃は無いということを。


「……で、この後そっちのアジトにオレが行くんだな?」

「そうですね、その予定です」


 JR池袋駅東口から徒歩2分程北上した線路沿いの喫茶店でテーブルを挟んで座る2人の影――安芸アキアカネ糸遊イトユウ愛詩イトシだ。

 テーブルの上にはかぐわしい湯気を立たせる珈琲と紅茶がそれぞれ琥珀色の表面に二人の表情を映している。顔立ちは違えど、神妙そうなという表情は同じだ。


「確認だけど……は大丈夫なんだよな?」


 カチャリ――カップとソーサーが擦れる音。少し温まった珈琲を喉に流し込んだ茜は、未だ嫌疑を向ける眼差しで愛詩に問う。


「大丈夫です。そこは、心配しないでください」

「つっても信用できる材料が無いから――それでも足突っ込むしか無ぇ、って話なんだけどさ」

「そうですよね……すみません」


 重苦しい緊張を厭った茜は、唐突に話題を変えた。二人ともが華の女子高生だ――異術士と魔術士という裏家業はあるにせよ、表向きはそうだ。

 学校は何処に通っているのか、という問いに対して素直に答えた愛詩の言葉に面食らいつつも、段々と会話に花が咲き出し、修学旅行は何処に行くのか、部活は何をやっているのか、彼氏はいるのか、等、連想される限りの問いを茜は掛け、そしてそれに愛詩は答える。

 仲睦まじく、とはいかないが、繰り広げられる問答は女子高生のそれだった。


「え、彼氏さんの画像とかあんの?」

「え、えっと……」


 ポケットから取り出したスマートフォンを弄り、表示させたのは弓削ユゲ絲士イトシの弓を射る写真だ。夏の入部からまだ半年も経っていないが、今では道着も佇まいもなかなかに様になっており、その顔貌から校内にファンも出来つつあった。


「え、めっちゃイケメンじゃん。なんてーか、王子様って感じ」


 顔を綻ばせた茜の言葉に愛詩の頬はほんのりと紅潮する。実際にはまだ正式にお付き合いをしている間柄では無いのだが――使用人たるリニとの弦術勝負が控えているためだ――しかし学校に於いては周知の事実として広まっており、そして受け入れられている。愛詩自身も恋人という風に紹介を受ける時は否定を口にしているのだが、二人の間に流れる雰囲気は恋人同士のそれと何ら変わりが無い。


「えっと、安芸さんは、彼氏とかいらっしゃらないんですか?」

「彼氏?いないけど?」

「えっ、でも安芸さんモテそうですよね?」

「モテるかっつったら――そうね、不良とか札付きの悪とかそういうのにはモテモテだった時期もあったけど……そういうのは卒業したからなー」

「彼氏作らないんですか?」

「あ、オレさ、同性愛者みたいなんだわ」

「えっ?」

「まーこの話するとオレ自身もややこしくて未だにはっきりしてないからさ、取り敢えず今はそういうことにしてよ」

「あ、はい……」


 ちょうど愛詩のスマホがメッセージアプリの通知でぶぶぶと震え、表示されたメッセージに目を通した愛詩は茜に目配せをした。時間だ、ということだ。

 席を立った二人は個々に会計を済ませ、ドアを開いて表通りへと出る――するとそこには、黒塗りの高級車レクサスが停まっており、うやうやしく頭を下げて一礼する褐色肌の男がにこりと目を細めていた。


「アリフさん」

「遅れまして申し訳ない、愛詩様。さぁ、お乗りください――貴女も」

「……仰々しいな」

「遅れ馳せながら、本日ご案内させて頂きます、アリフと申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」


 妖艶で美麗な表情を綻ばせながら再び深々とお辞儀をしたアリフに若干引きつつも、茜もそれに倣い頭を下げた。胡散臭いとは感じていながらも、礼を出されたら礼で返すのが武道家の筋である。

 後部座席に乗り込んだ二人はシートベルトを閉め、それを確認したアリフは高級車レクサスを走らせる。

 明治通りを南下して靖国通りへと左折した後しばらく直進し、ビルの地下駐車場へと入ったと思ったら――気が付くと車両は森の道を走っていた。


「今、転移したのか?」

「あ、はい。出入口はどこでもいいんですけど、出来るだけ人目につきたくないのでいつもああやって地下駐車場とかトンネルとか使っています」


 転移したということは、ここはすでに異世界の中と言うこと――それを認識した茜の身体に少しばかり緊張が走り、肺の中の空気さえ縮こまったような気がして息苦しさを覚えてしまう。


「大丈夫ですよ。私たちは、敵ではありません」


 それを察した愛詩は軟度の高い言葉をかける。声音、抑揚、表情。そのどれもが、本心からの言葉であろうと察すことが出来た。

 でもだからこそ茜は緊張を解かない。隣に座る少女がそうでも、この運転手やこれから出会う面々ですらそうだと言う保証は無く、結局ここはまだ敵陣なのだ。自分は罠にかけられているかもしれない、という危険予知は必要だ。それを、これまで嫌というほど思い知らされてきた。


「まだ、味方だって判明もしてないけどな」

「……そう、ですね」

「ああ、糸遊さんとは友達になりたいな、とは思ってるけど」

「え?あ、あ、は、はい……そう言って頂けると、嬉しいです……」

「着きましたよ」


 緩く減速され、停車したのは山小屋ロッジの傍。霧がかかり白んだ森の風景に溶け込んだ、素朴だが趣のある外観だ。

 ざり、と砂利を踏んで近づくと、開け放たれた玄関口から飛び出してきた少女が一人。


「茜くんっ!」


 比奈村ヒナムラ実果乃ミカノだ――制服姿の彼女は茜に真っ直ぐに駆け寄っては跳び付くような勢いで正面から抱き締めた。

 顎の下に納まった彼女の頭髪からは、甘い蜜のような香が茜の鼻先をくすぐる。


「実果乃」

「好き、茜くん好きぃ……」


 抱き締めた茜の胸に顔を埋める彼女の表情は恍惚としており、茜のかけた声が届いているかは定かではない。

 茜は逡巡した。

 やはり彼女は、どこかおかしい。立川駅のホームで交戦した際の彼女が見せかけを転写した魔術人形であることは【空の王・君臨者】アクロリクス・インベイドの能力で見抜いているし、今の彼女が本物だということもそうだ。だからこそ、自分の記憶の中にある彼女とは合致しないその様子に、彼女が本当に“異骸”リビングデッドとなってしまったんだとしてしまった。

 やがて茜がうわごとのように自分の名前を呼ぶ彼女の華奢な身体を抱き締めた時、玄関口にいたもうひとつの影は口を開いた。


「……来てしまったんですね、本当に――また、筋書シナリオが変わってしまったじゃないですか」

「――阿座月アザツキ真言マコト


 納得がいかないとでも言うような表情の言術士は、重苦しい語調で茜をアジトへと招き入れる。

 息をひとつ飲み込み、茜はその誘いに応じて実果乃をはべらせたままでその敷居を跨いだ。

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