Track.7-19「……本当は一番心配してるくせに」

 トリがその見世物小屋で学んだこととは、飼い主の言うことを聞いておかなければ痛みを覚えてしまう、ということと、そしてその飼い主に限らず“人間”という種はひどくけがれた、醜悪めいたものだということだった。


 まるで息を殺すように心を殺しながら、誰しもを安堵させる笑みが板に付いた頃。

 禽に、転機が訪れた。


 店主が小屋を構える街を、魔獣の群れが襲ったのだ。

 それは実際には、魔獣を従える術を得ていた隣国の侵略だったのだが、辺境の地にある街はそんなことなど知らず、唯々蹂躙されるが儘だった。


 逃げ惑う人々に紛れ、人知れず力を磨いていたトリは硬化させた羽根が形作る剣翼で檻の鉄格子を切り開くと、店主を殺害し衣服を奪い人間になりすました。無論、両腕の羽根は袖を通すには拡がり過ぎていたため、上衣は着ずにフード付きのマントを羽織った。

 辺境の地では行商や旅人も多く、また魔獣の襲来に逃げ惑う人々の中にトリトリだと疑う・看破する者はいなかった。


 店を跳び出す機を伺っていたトリだったが、はたと思い至り自分の他に捉えられている者たちの檻も切って壊した。

 中で蹲っていた異形を宿した動物や魔獣は檻から出るや否や野生を取り戻したかのように店の外へと跳び出し、蹂躙する魔獣の群れに混じって見えなくなってしまった。


 残されたのは彼らの無事を祈るトリ

 そして。

 トリのように、背なに“翼”を持つために捕らえられ、“天の遣い”として見世物にされていた少女だけだった。


「お前は、どうしたい?」


 未だ檻の中から出られずにいる少女にトリはぶっきらぼうな物言いで問いを投げかける。


「――――帰りたい」


 目尻から想いを溢れ出させて呟かれたその言葉をしかと受け止めたトリは手を差し伸べる。


「なら、立て――立って、歩け」


 見上げた少女は、自らの涙を拭うと差し出された手を握り、檻から出た。

 そしてトリは、少女にもマントを被せ、表通りの騒乱に紛れて街を抜け出す。


 一路、目指すは遥か彼方。

 明け方の昏い空を割り差す朝日から隠れるように、トリと少女の旅が始まった。



   ◆



『ごめん』


 その言葉が何を意味するのか確かめたかったオレは、けれどそれをすることは出来なかった。

 翌日の学校に暁が来なかったからだ。

 いつもの教室はいつもの様相を見せながらも、いつもとは確実に違う何らかの雰囲気を纏っている。

 当たり前にあるものが欠落している違和感――平静いつもを装っても、実果乃にはバレてしまったらしい。


「……暁君、どうしたんだろうね」


 メッセージアプリに返信は無い。オレとつるんでいるからか暁とも互いに名前呼びが定着した実果乃の方もそれは同じみたいだ。


「風邪か何かだろ?別に心配することじゃ無くね?」

「……本当は一番心配してるくせに」

「えっ?」


 言われ、気付く。どうやらオレは実果乃の言う通り、暁を心配しているようだ。

 と言うのも――暁は小柄で華奢で、見た目がまんま美少女なのに対して、意外と頑丈タフというか、病欠や体調不良による遅刻・早退をしたことが無い。

 まぁそこはオレも同じではあるんだけど、オレの場合は身体を鍛えているからだってしっかりとした理由・根拠があるわけだけど、暁は違う。


 そんな暁が二学期に入って早々学校を休んだのだ。

 いや、心配・違和感の理由はそこが要点メインじゃない。あいつが、オレたちに何も断りを入れずに休んだ、っていうのが気になる。しかも、その前夜には謎の『ごめん』というメッセージだ。何か遭ったんじゃないか、って気持ちが膨れ上がっているのは確かだ。それを、気取られるのが恥ずかしい、ってだけで。


「――実果乃さ、」

「何?」

「あいつん、知ってる?」

「流石に知らないけど……え、行きたいの?」

「行きたいっつーか……」

「やっぱ心配なんじゃん――妬けるなぁ」

「えっ?」


 最近。実果乃はそんなことをよく言うようになった。

 そしてオレは、決まってどう反応リアクションしていいか判らなくて、何だかむず痒い気持ちに苛まれるのだ。

 これって、幸せなことなんだろうか。実果乃は、オレのことが、まさか好きなんだろうか。いやだって、オレ、女だぜ?


「実果乃さ、」

「今度は何?」

「……いや、何でもない」

「え?……うん」


 流石に馬鹿らしい――オレは中身がこんなんだから男性を好きになったり女性を好きになったりふらふらしている。でも実果乃はオレとは違う。女の子らしい女の子で、だから女の子らしく、イケメンの彼氏とか作ればいい。実際、その方が幸せになれるんじゃないか?


 って言うか、オレ、実果乃のこと好きなのか?

 確かに実果乃は素敵な女性だと思う。外見の話をすれば顔立ちは整っていて、今は女子高生という年代特有のあどけなくも大人びた表情が愛らしく、実に女の子めいている。


 艶やかな黒髪からは気品が漂っていて、斜めに流した前髪から覗くやや広めの額は聡明さを印象付ける。

 きり、と開かれた大きな目、その深淵のような黒い虹彩は神秘を宿していて、覗き込めば一層意思の強い眼差しを返してくる。

 すらりとした鼻筋は造形美という言葉を想起させ。

 淡い唇は柔らかさを確かめてみたくなる程だ。


 白く細長い首筋と、同じく白い細長い指先。

 華奢な体つきと、長い四肢。それはまるで、本当にデザインされたかのようだ。


 その外見に見合った、実に女の子らしい内面をも実果乃は持っている。

 付き合いは確かにまだ短い。漸くそろそろ半年を迎えるか、ってところだ。そんなオレでも、実果乃は自分が女の子であることを熟知していて、そしてより女の子であろうとしていることを、女の子の理想というものに近づこうとしていることを知っている。


 オレには出来ないことだ。

 だからだろうか――こんなにも、彼女に目を奪われてしまうのは。


「ねぇ、行くの?」

「え、何処に?」


 溜息を吐く姿さえ悩ましさが滲み出る。その外観に宿る神秘性を取り払って、その奥に手を突っ込み取り出して眺め回したい――彼女が何に喜び、何に涙し、何に怒りを顕わにするのか。


 知りたい。

 でも。

 それはとても、怖いことだ。

 知ってしまおうとすれば、戻れなくなる。

 この衝動は、危ない。


「暁君の家。行くの?」

「ああ、……担任に聞いてみるか」

「うん、そうしよっ」


 同行する、という含みに実果乃は笑顔を咲かせる。オレはまた何だかむず痒くなって鼻先を爪でかりかりと掻いた。

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