Track.7-18「ごめん」

 その物語を端的に言い表していいものかどうなのか迷うけれど、それを許してもらえるのならオレはこう説くだろう。


 それは、差別と復讐、そして空虚の物語だ。


 “禽”トリと呼ばれる男がいた。

 彼が孤児になったのは、彼の両腕が人間の腕ではなく鳥の翼だったからだ。生まれついて間もない頃は何となく、ただ“指が長いなぁ”程度に思われていた彼も、生後1年が経過する頃には産毛だが羽毛も生え揃い、誰がどう見てもそれは腕ではなく“翼”だった。


 “禽”トリを産んだ母親は彼を庇ったが、父親はそうじゃなかった。というのも、彼らの住まうその世界では、人の身に異形が宿り産まれることは稀にあった。そしてそれは、神の呪いとされ、忌むべきものとして扱われた。


 彼の父親は神を崇拝する敬虔な信者だった。規律を守り、道徳心に溢れる男だった。ただ、授かった子が抱いた呪いを受け入れることは出来ず、それが腕では無く翼だと判明した後、三日三晩悩み続け、結局その子を殺そうとした。

 敬虔な崇拝者だからこそ、他の誰でもない自分自身の手にかけることこそが彼自身の責任だと考えたのだ。


 母親はそれを拒み、叶わぬ懇願の果てに息子を抱いて家を、そして町を飛び出した。しかし父親は自身と同じ信者たちを、果てには町を守る衛兵や周辺地理に詳しい狩人たちを引き連れて捜索し、やがて母親を追い詰めた。


 母親は森の密やかな場所に子を隠し。

 自らが囮となって愛しい我が子の生存をこいねがう。

 かつては愛し合っていたはずの父親の手により母親は切り伏せられ命を落とす。

 そして、“禽”トリは森の魔力によってか、それとも精霊たちの導きによってか、その理由は定かではないが見つからず。

 翌日も捜索は続けられたが、もともと魔獣と呼ばれる恐ろしい化け物の闊歩する森だ、もう食べられ命は無いだろうと父親は頭を振って諦め、捜索を打ち切った。


 “禽”トリを拾ったのは、人間を恨む森の古き魔獣だった。人語を解し、苔生こけむした色の長い毛並みを持つ大きな狐のような姿をしており、町の者からは“ロッコ”と呼ばれていた――おそらく、緑の狐だから緑狐ロッコなんだろう。

 初めは人間に対する憎悪から食らってやろうと思ったロッコだったが、その腕に生えた羽毛の存在と、そして森での騒ぎからこの子が実の親に捨てられたのだと勘付いたロッコは彼を食わず、逆に拾って育てた。


 ロッコは“禽”トリを、人間への復讐の手駒として育てるつもりだったが、結局、長くいるうちに情を抱くようになり、彼を愛してしまうようになる。

 それが、善かったことなのかそうでなかったのかは定かではない。ただ確実なのは、魔獣を狩る冒険者たちに“禽”トリが捕まった時、ロッコは愛ゆえに奪い返そうと奮戦し、その果てに命を落とした、ということだ。


 そして“禽”トリは、物珍しい有翼の少年として見世物小屋に売られてしまった。



   ◆



 9月――新学期が始まった。

 いつも通りの通学路を抜けて、いつもの階段を上り、いつもの教室へと向かう。


「おはよっ!」

「何か焼けてない?」

「――――」


 久しぶりに感じる“いつもの遣り取り”を級友クラスメイトたちと交わしつつ、自分の席へと進む。


「茜くん、おはよう」

「おう、おはよう、実果乃」


 夏休み中、結構頻繁に会って遊びに行ったりしていた実果乃とはもう名前で呼ぶ間柄だ。

 さて。実はもう一人、夏休み中に名前で呼ぶ間柄になったやつがいる――アキラだ。


「茜、おはよう」

「お、暁。おはよーさん」


 とてとて、という擬音が似合う歩調で席に座った暁を追い掛けて席を立つ。

 窓際で薄いレースカーテン越しの日差しを浴びるその佇まいは美少女そのものだ――いやこいつ、男の子なんだけど。


「暁、夏休みの宿題やった?」

「え、勿論やったけど?」

「ありがとう!」

「ちょっと待ってよ、まさかやってないの?」

「そのまさかだよ」

「えええ、一ヶ月以上何やってたのさ!」

「え?いや、まぁ……正拳突きとか?」

「身体鍛える前に脳味噌鍛えなよ!」


 と、何だかんだ言いつつも暁はノートを写させてくれる。仕舞いには実果乃にも手伝ってもらい、提出期限である各教科の夏休み明け最初の授業に間に――合うはずも無いので、他のオレと同じ連中同様に「忘れました」と嘘をぶっこいて次の授業に間に合わせる。


 何度も言うようでアレだけど、オレは勉強という奴が苦手だ。

 同じところで同じ姿勢で縮こまっていると、雑念とラベルの貼られた思考が溢れ出してやがてそれがストレスだったりフラストレーションだったりに変貌して困るんだ。

 だから身体を動かす。道場に行き、型を流したり、巻き藁を突いたり、サンドバッグを蹴る。


 そうして身体を動かしていると、余計な雑念はやがて消え去って、まるで自分がひとつの機械になったように思えてくる。

 型をなぞっている間は、カラテ・デモンストレーション・マシーン。

 巻き藁を突いている間は、カラテ・セーケンパンチング・マシーン。

 身体に熱が篭っていくのに反比例して、心や思考は冷気を帯びる。


 一体いつからそうなっているのかは定かではない。遥か昔だった気もするし、結構最近な気もする。ただ、中3の暴れていた時期にはそうなっていたのは確かだ。


 そう言えば。


「あー……“空の王”もそんな感じだったっけか」

「え、何?」


 暁から借りている小説の主人公のことを想起し、つい思考が口を衝いて出たのを耳敏みみざとく暁は傍受し訊ねてくる。独り言に対する訊き返しほど恥ずかしいものは――いや、色々あるわ。


「何でも無ぇよ、独り言」

「にしては、“空の王”って言ってなかった?」

「あー、言った言った。何か似てるところあるよなー、って思ってさ」

「似てる?誰が?」

「オレ」

「えー、そうかなー?だって茜、腕普通じゃん」

「いや外見の話じゃ無ぇよ。似てたまるかっ」


 そうして西日が夕焼け色に空を彩る下、話しながらだとあっという間に感じる道程の終わりにバス停に辿り着いた。

 すでにオレの家方面へと向かうバス停は発車位置に着いていて、スマホで時計を確認するとちょっと走らないとヤバい感じだ。


「茜、またね」

「おう、じゃあな、暁!」


 ICカードをタッチしてギリ空いていた一人掛けの席に座る。

 窓の外に目を遣ると、暁はまだそこで佇んで控え目に手を振っていた。いや、もうその姿は完全に女の子なんだけど。


 まぁ、何とも微笑ましいこった。


「――――あ」


 呟いた。

 そう言えば、借りていた小説をいつ返すのかの話をするのを忘れていた。

 もともとの約束では、夏休み中に読破して今日返す、って話だったんだ。でも実際のところ、まだ半分くらいまでしか読めていない。


(……メッセージ入れとくか)


 ディーゼルエンジンの響く振動を全身で感じながらスマートフォンを操作し、メッセージアプリから謝罪の言葉を打ち込んで送信する。


(取り敢えず、これで良し、っと――)


 いつもなら、暁からの返信は思ったよりも早く来る。返信が来ていることに気付かないでオレが遅れてまた返事をする、っていうのがお決まりのパターンだ。


 でも、その日の返事はやたら時間がかかった。オレが家に着いて飯を食べ終え、道場に舞い込んできた空手キッズどもの面倒を見ながら自らの鍛錬もして、シャワーを浴びてさて寝ようか、という頃に漸く訪れたのだ。


 珍しい、と一言で終わらせることも出来る。

 でもその返信は、やけにオレの不安を煽るものだった。



『その本もらってもいいよ



 ごめん』

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