Track.6-21「“おいでませ、阿吽”――」

「“唐菖蒲グラジオラス、咲け”」


 直剣型甲種兵装・唐菖蒲グラジオラス――刃渡り36cm、刃幅5cm、厚さ5mm、柄の長さ18cm、全長54cm。

 片手でも振り回せる小型な形状フォルムと、両手でも扱えるよう柄を長くし重心を調整した新型の甲種兵装であり、花の名前を冠すことからチームFLOWの正式採用装備であることが伺える。

 “咲け”という起動式ブートワードに反応し、それが放つ斬撃は強化され、またその状態では拡張斬撃を放つことも可能だ。


「――“咲き誇れ”!」


 スケアクロウ芽衣は突進してきた実果乃の軍用アーミーナイフによる高速の突きを横っ飛びに躱すと、右手に構えた唐菖蒲グラジオラスを振り上げるようにして拡張された斬撃を放った。

 その刀身が描く軌跡は起動式ブートワードに反応して伸び、真っ直ぐに実果乃の右肩に突き刺さり――弾かれた。


 ガギィッ!――


「く――っ」

「煩わしいっ!」


 実果乃は鬼のような形相で黒く変色した左手を地面に向けて振るう。開いた五指は石畳を抉ると、それを地面から剥がしてはスケアクロウ芽衣へと飛ばした。

 飛来するつぶての嵐にスケアクロウ芽衣は両手を交差クロスさせて防御体勢を取る。


“物理防壁”ウォール!』


 そこにドンピシャのタイミングで峠縁佐那オペレーターから防御支援が届き、襲来した礫は不可視の霊銀ミスリルの壁に阻まれ四散した。

 しかし地面を穿った直後に再度突進していた実果乃は再三の突き刺しを繰り出す。

 低く屈んだ体勢から伸び上がるような刺突。礫に目を奪われていたスケアクロウ芽衣は反応が遅れ、先程の礫で物理防壁ウォールも全て剥がれきってしまっている。


「先輩っ!」


 交差クロスさせた手を振り払うように解放し、左手の手甲で突き出された刀身の側面を打ち付ける。


 ギガッ――軍用アーミーナイフは外側に弾かれ飛んだ。無手となった実果乃は一瞬の逡巡の後に、そのまま突き出した右手をさらに伸ばす。

 前に強く踏ん張ったスケアクロウ芽衣は重心を後ろへと移動シフトさせると、力強い輝きの宿る唐菖蒲グラジオラスを振り上げてその右腕を斬り上げる。

 しかしやはり、黒く変色した腕に刃は通らず――


「――“狂い咲け”」


 黒い腕に接触した刀身から、本来その腕を斬り落とす筈の斬撃はその黒い表皮を伝って肘から肩、首へと渡ると、右の首筋から跳ね上がり、右顎からこめかみにかけてを大きく斬り裂いた。


「がっ――ぁ!」


 顔は黒く変色していない。

 黒く変色した部位は強靭な力を持ち、また堅牢な硬さを誇るが、変色していない部位はそうではないらしい――自らのが功を奏したことを確認したスケアクロウ芽衣は、踵で石畳を蹴ってさらに後退した。


「――くそがぁっ!!」


 顔面の右側に大きく傷のついた実果乃はそれを右手で覆い隠しながら、激昂して大きく吠え上げる。

 しかし図書館の壁を伝ってその頭上へと忍び寄っていた心が、落下しながらその頭頂から黒曜石の槍ホルカンカを串刺しにした。


「くそはあなたですよ?」

「げ、ぁ――っ、――――」


 脳天から突き刺さった槍の鋭く細い穂先は頭蓋を割って顎と喉との境を裂いて出で、その勢いで実果乃を前のめりに地面に縫い付けた。

 突き抜ける衝撃で実果乃は一度身体を大きく震わせ、そこから小さくガクガクと痙攣し出した。

 実果乃の細い身体が上下する度に割れた喉からボタボタと黒ずみ濁った血が溢れ、石畳にまるで重油を溢したような染みを作る。


「――――生命活動、停止を確認」


 【命を視る眸】ジウスドラにより実果乃の生命力が尽きたことを視認した心はそう呟き、峠縁佐那オペレーターはそれを現場にいる客員に一斉に通達した。


「……いッてェ~」


 痛みを噛み締めながらゆっくりと立ち上がる九郎。

 スケアクロウ芽衣しばらくの間、唐菖蒲グラジオラスを構えたまま警戒を続けていた。

 それを視た心は、はっと何かに気付いたように再度実果乃を見下ろす。

 自ら突き刺した黒曜石の槍ホルカンカで地面に串刺しとなった遺骸。それを、【命を視る眸】ジウスドラでは無く――左目に施した【霊視】イントロスコープで、右目を手で隠しながら。


「――――あはっ」


 力任せに身体を後ろへと引いたために、脳天から頭蓋を突き破って喉元までを貫通した槍の柄が、その愛らしい顔面を縦に割る。

 しかし、黒く変色した両手が二つに避け開いた顔の両頬を押さえると、そんな傷など無かったかのように断面は接合し、再び愛らしく憎たらしい薄ら笑いが生まれる。


「そんなっ!?」


 ぎょろりと振り向いた、濁りきった双眸。

 それを捉えると同時に、心の華奢な身体は同じように華奢な身体が振るう左腕の一撃によって3メートルほど車両側へと弾き飛ばされる。


「危ねェッ!」


 それを、咄嗟に前進した九郎が痛い身体を推して柔らかくキャッチした。しかし勢いに負け、尻餅をついて背中からまた地面に倒れる。


「ぐ――、ゥ」

「乾さん、すみません……」


 迂闊だった――心はそう胸の内で自分をなじった。

 しかし、敵がまさか異骸リビングデッドであろうとは誰が予想できただろうか。


 【命を視る眸】ジウスドラはあくまでも通常の生命をしか感知できない。

 霊銀ミスリル汚染によって生まれた、通常の生命活動をしていない異骸リビングデッドまでは感知できないのだ。

 ただし、それが異骸リビングデッドであることは【霊視】イントロスコープを用いればすぐに検知できる。

 心は、“右目”を手に入れたことにより常軌を逸した種類の瞳術を、しかも併用することが出来るようになったが、今回の失敗ミスはそれゆえに偶発したものだ。

 慢心――そんなつもりは無かった筈だったが、結局、心は持て余すほどの力を手に入れたために、基本を疎かにしてしまったのだ。そして瞳術の基本とは、先ず何よりも霊銀ミスリルの動き・働きを可視化する【霊視】イントロスコープだ。特に異骸リビングデッドは生前の人の姿をしていることも多い。


 しかしもっと言えば。

 その場にいる警護員誰しもにもそれは言えたことだ。


 瞳術に優れる心の専売特許などでは決して無い。

 誰かが【霊視】イントロスコープ注視フォーカスし、実果乃が常人ではなく異骸リビングデッドであることを予め見抜いていれば。

 芽衣が生まれ持った嗅覚や直感力にこだわらず【霊視】イントロスコープを修めていれば。

 ベテランの筈の朱華乃や九郎が、警戒や敵制圧を優先せずに【霊視】イントロスコープで視ていれば。

 唯好や七薙だけでなく、殆どの警護員が芯の通った緊張感を維持できていれば。


 結果論だが、この状況は生まれなかった。

 事態はもっと、すんなりと解決していた筈なのだ。


 そして

 スケアクロウ芽衣は実果乃が再動した直後に飛び出していた。結局、彼女は彼女で【霊視】イントロスコープの代わりとなる自らの直感力を信じたのだ。


 “それでは死なない。何故ならすでに死んでいるのだから。”


 スケアクロウ芽衣にしてみれば“かもしれない”程度の予感だったが、五分五分程度の割合なら信じるに値する。

 問題は、異骸リビングデッドと判ったところで、そのコアの位置がどこにあるか、だ。

 何せ相手の身体は殆どが黒く変色し、その部位に関して言えば無類の堅固さと強靭さを誇っている。

 が立たない、とはよく言ったものだ――とスケアクロウ芽衣は独り言ちた。

 そして肝心の変色していない頭部でさえ、その脳をぐちゃ混ぜる程度には心の槍の一撃は強烈だったはずだ。あれをものともしないのなら、実果乃という異骸リビングデッドコアは頭部には無いだろう。


 なら身体か――しかしどうやって、探し当てたところでどうやってそれを貫けばいい?

 スケアクロウ芽衣は再びキツネの手を作って赤い蜉蝣たちをバラ撒きながら考えるも、正解に等しい思考は一切思い付かなかった。


「あはっ、あはははあはははは!」


 その最中にも、自らが身体強化バフ憎悪増徴・固定デバフをかけた相手がその細い豪腕を振り被り強襲してくる。

 先程よりも段違いにはやく鋭い両腕の連撃――時折蹴り技も連なってくる――に、峠縁佐那オペレーターの支援も段々と間に合わなくなってくる。


(こうなったら――っ!)


 状況を見かねた心は、右目にすでに装填されている禁忌の瞳術――【邪眼・蛇髪の女王】イヴィルアイ・メドゥーサを行使するための準備を始める。


 が。


「やめなさい」


 濃い藍色のジーンズに。

 ネイビーのダウンジャケット。

 横分けにして額を出した、爽やかさを纏う好青年が、険しい顔をして心の斜め前に立っていた。


「――いつの、間に?」


 碧枝アオエウイ――魔術学会スコラ所属の魔術士であり、間瀬奏汰の率いる調査団員の1人であり、RUBYルビ魔術警護依頼に際して学科スコラからクローマーク社に派遣された監視・助言役である。


「禁忌の術を、行使しなければならない場面でもあるまいし――そういうのは、切らなければならない場面で切るものですよ。それに――今ここであなたが切ったら、僕はあなたを連行しなきゃいけなくなる。あなたがいなくなったら、今回の依頼は相当難しくなるでしょうからね」

「――え、あ、はい……」


 諭され呆然とする心ににこりと微笑みかけた初は、直ぐに表情に真剣さを灯して前を見据えると、両手の五指それぞれを揃えて胸の前で合掌した。


「“おいでませ、阿吽あうん”――」


 彼の周囲の大気が、ひどく清廉な雰囲気を抱き。

 空間を割り裂くことなく、とても静かに、その双剣は現れた。

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