Track.5-29「……糞野郎っ」
断たれた右腕に幻視したのは、かつての妹の無残な姿だ。
邸宅の一角に設けられた自室に転移したアリフは、右腕を切り捨てられた際のショックが致死量に達したことで発動した
握り、開く。力は入るし、抜くこともできる。
自身の胸に手を当てて再び
脳裏に蘇らせるは追憶――かつての原風景。
ジャカルタ。
インドネシア最大の都市であり、雑多に文化が混在する混沌の都市。
その中心部は観光客に溢れ栄えているが、その外縁、スラム街はまさしく影だ。
立ち並ぶ高層ビルに対して、未開発であることを裏付けるようにトタン屋根の低い建物が並び、地面は川底に敷き詰められたゴミだ。家屋はそのゴミの上に足を高く張られた木組みの上に建っており、雨季には常に洪水の懸念に晒された。
ジャカルタ北部にあるコタ地区は中国系の住人が多いが観光客向けのスラム街ツアーが組まれ紹介される場所でもある。
ツアーガイドは参加者に「可能ならおもちゃやお土産を用意するように」と告げ、スラム街の一角に子供たちを集める。
おもちゃや外国のお菓子などを手に入れた子供たちは喜び、――それを横目に、幼いアリフは物乞いに耽る日々を送っていた。
その輪に加わっていないのは単純に、アリフがコタ地区の住人では無いからだ。そして同様に物乞いとして道行く観光客に声をかける老若男女はどこにでもいる。寧ろそのようなスラム街で観光客を相手に物乞いをする者は
片足を折りたたんで隻足を演じる者。
目の焦点をずらし盲目を嘯く者。
ギターをただ掻き鳴らす者。
祈りを捧げ敬虔な宗教者のように見せる者。
アリフはと言えば。
自らの体内に釘を錬成してはそれを吐き出し、まるで手品師のように人々の注目を集めて金をせびった。
その魔術をアリフは物心着くころには開花させていた。彼の家柄は遥か遠く昔に没落した呪術士の系譜を受け継いでいるが、すでに絶えた血筋だった。しかし彼は先祖返りとして現代にその血を蘇らせたのだ。勿論、そんなことは誰も知らなかったが。
「それは、自分にしか出来ないのかい?例えば僕の身体の中に釘を創ることは?」
「……危ないよ」
10歳になったばかりの時に自身とは違うれっきとした呪術士と出逢い才能を見出されたアリフは、家を離れその男の元で呪術士としての修行を受けることになる。
インドネシアの呪術士は“バリアン”と呼ばれる。バリアンとして大成すれば、物乞いとしてしか生きられない自らの日々を、そして家族を帰ることが出来た。
アリフの家族は多い。父母の他に、弟が3人と妹が5人だ。
学が無く、能の無い家族だった。裏社会の組織を通して物乞いをする未来しか無い家族だった。
それを、自らの才能と努力で覆せるのだと教わったアリフは、人生における初めての昂揚に戸惑いを禁じ得なかった。
そして5年が経ち、アリフは呪術を恐るべき速度で修得していく。
それは才能というよりも、彼の執念の賜物だった。
呪術という魔術系統は、実に雑多で混沌としている。本来であればもっと細分化されるべき系統だが、呪術が旺盛する地域の多くは文明や文化が発達しきっていない。そういった後進の文明・文化同様に、呪術という魔術系統もまた
例えばアリフが最初に修得した、対象の体内に釘を創り出す魔術は鉱術に傾倒しているし、呪術における類似と接触の原理は霊的と物理的な違いはあれど方術に酷似している。
他にも対象の体組織を変貌させたり、対象の身体に全くの異物を癒着させ機能させる呪術は療術や器術、賦術にも該当する。
他にも、幻術のように対象に幻覚を及ぼすものもあれば、巫術のように概念存在を創造し召喚・使役する術もあり――呪術士とは斯様に混沌とした魔術系統なのだ。
アリフも勿論、本来であれば様々な系統に分類されるべき雑多な術を消化し、昇華させた。
対象の体内の
類似と接触の原理により対象の知覚や思考を傍受する
悪霊と言う概念を
自らが創造し実体化させた悪霊を対象の肉に寄生させる
それらを修得する過程は決して楽なものでは無かった。
師は自らの手伝いをさせるばかりで、積極的にアリフに呪術を教えようとしなかったためアリフは師が呪術を行使する様子を見て覚える必要があったし、アリフは男性の力強さに女性のような艶やかさを併せ持っていたため、師に請われるがままに夜伽にも応じた。
それによりアリフはより多くの呪術を修め、結果として師はその様子にある覚悟を固めることになる。
小間使いのつもりで軽はずみに採った弟子が自らの将来や命を脅かす存在になりかねないと考えた師は、最後の夜伽で自らが果てた後、アリフに呪術の矛先を向けた。
いつもよりも激しい責め苦に悶絶していたアリフだったが、こうなることは予想の範疇だった。
師に気付かれぬよう責められながら霊脈を己の内に築き上げていたアリフはそれで以て師の呪術に
師は眼を見開いたが、何かを思う前に脳と脊髄を切り離されてしまったために、驚愕に声を荒げることも、後悔を述べることも、呪詛を吐き散らかすことも出来なかった。
死体を始末し、急ぎアリフは家族の元へと向かった。
裏稼業で稼いだ金があり、またこれから金を稼ぐ手段も手に入れた。これで漸く一家揃って幸せを享受できると思うと、アリフの足は疲れを知らないように夜通し地を蹴った。
遠く見えるは天に伸びる高層ビル。流石にすぐにそこは無理でも、いつかあそこを目指そう。アリフは次の目標を決めると、懐かしくすら思えるゴミ溜めの町に足を踏み入れる。
「ただいま――――っ」
力無い者が奪われる自然の摂理を、まるで縮図にしたような。
5年の隔絶のうちに起きた一家の変貌を、アリフは勿論知らなかった。
きょろきょろと見渡しても、狭い家の中には父の寝姿しか見つけられなかった。
足元には酒瓶が割れた破片が広がっており、その寝息はとても静かだった。
「……糞野郎っ」
この時間帯に父親しか家にいないというのはおかしい。だからアリフは、この父親が金のために家族を売ったのだと悟った。
散らばるガラスの破片を師の下で手に入れたブーツの底で踏み潰しながら近寄り、揺り起こそうとしたところで、そして父すらも帰らぬ人となっていることにアリフは気付く。
師の伝手を使い、裏社会組織に接触したアリフは家族がどうなったかの情報を入手する。無論、実に非合法で魔術的な手段でだ。
物乞いの末路は無残だ。何か一芸に秀でていればまだいいが、何もできないただの物乞いは、観衆の注目と関心、そして同情を集めるためにやがて自らの身体を削っていく。
単純な話だ。目が見える者よりも見えない者の方が可哀想であり、足がある者よりもない者の方が可哀想だと思っているからだ。
だから最初は、そういう振りだけをする。しかし振りには限界がある。何故なら実際にはあるのだから。
行き詰まると、物乞いは振りでは無く本当の欠損を受け入れるようになる。
裏社会組織には療術を修めるバラモンもいるため、傷はすぐに塞がれるが痛みはどうにもならない。それでもその痛みは同情を生み、金になるのだ。極度の貧しさは人を追い詰め、認識を歪める。
親が子の四肢を斧で斬り落とすことだってある。バラモンにより処置された傷痕は、まるで先天的なものであるかのように見せることも可能だ。
時には死んだ我が子を抱いている母親の物乞いも。
自身の家族の行方を得る中でいくつかの裏社会組織を潰して回ったアリフだったが、結局救い出すことが出来たのは末妹のリニだけだった。
両目を失い、四肢を喪失した妹は中国山奥の見世物小屋にいた。長兄同様に女性としての艶やかさを持って生まれたリニはその小屋で慰み者としても扱われ、すでに心の殆どが壊れかけていた。リニはまだ、8歳だった。
アリフはリニを救い出すと、
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