Track.5-30「あ、ども。土足ですみませんね」

 それからは2人で旅をしながら、裏稼業で日銭を稼ぐ日々が続く。

 アリフは当初、リニを裏稼業に連れていきたくは無かったが、それをリニ自身が拒んだ。

 二人は家族なのだ。家族は、運命を共有するという思想が彼らにはあった。だからアリフが手を汚すなら、リニも手を汚さなければならないと、リニは強くアリフに告げる。

 アリフには呪術を用いた遠隔攻撃とクリスを錬成しての斬術および体/躰術による近接攻撃の両方の手段がある。しかしリニは、自らの体内に巣食う悪霊の本来の姿を解放しての肉弾攻撃をしか戦闘手段に持っていない。だから必然的に、二人が共闘することになれば前衛を妹が担うことが多くなる。


「私、痛いのはもう平気だよ」


 その言葉がアリフをより一層打ちのめす。しかし、だからこそアリフはリニとともに戦うという選択をした。

 隔絶が悲劇を生むことは、2人のどちらもがよく知っていた。常に一緒に居れば、怖いものは無い。


「わかった――2人で、強くなろう。2人で、幸せになろう」



 そして平穏と2人だけの幸福を求めて日本へと辿り着いたアリフとリニは、やがて弓削家という弦術士の一族と邂逅した。

 偶々、弓削家が魔術にも聡い使用人を欲しており、アリフが妹を引き連れそれに手を挙げたのだ。

 アリフは20歳になり、リニも13歳になっていた。


 弓削家は非常に裕福な家庭だった。魔術学会スコラには所属していないというのも、アリフには好都合だったし、何よりも弓削家には絲士という一人息子がいた。彼の身の回りの世話は、妹のリニに担当させることにした。


 アリフの暗躍が始まったのは2年が経過し、弓削家がこのインドネシア出身の呪術士兄妹を完全に信用しきった頃からだ。

 希釈された毒のように家督を持つ父親の身体を蝕み、母親には少しずつ悪霊を寄生させていった。気付かれず、確実に殺せる段階レベルまで進めるのに更に2年を擁した。


 そうして生殺与奪の権を掌握したところで、アリフが行ったのは“交渉”だ。

 アリフとリニを弓削家の使用人として置き続けることと、家督を継ぐ絲士にリニを嫁がせること。絲士とリニが家族となった際は、アリフすらも使用人ではなく同じ家族の一員として扱い、受け入れること。――家族の一員として扱うことには、無論財産の分与にも効力が及ぶ。

 これらの“契約”を交わすことで、アリフは絲士の命が失われるその時まで、弓削家の全ての家族に平穏を齎し、そして天寿を全うさせることを確約するとした。


「私は、――いえ、私たちは。ただただ、幸せな家族が欲しいのです」


 命を脅かしておきながら何を宣うのか、と弓削善継ヨシツグは問い質したかったが、しかしそうできる状況になく、ただその契約を受け入れることしか出来なかった。


「大丈夫ですよ、あなた。アリフに任せておけば、大丈夫――」


 妻の彩弓アユミは寄生された悪霊に冒されもはや傀儡も同然だ。どうしてこうなるまで気付かなかったのかと善継は嘆いたが、それすらも遅く、意味は無い。


「――という契約を交わしたよ」


 そして中学生をもうすぐ卒業する絲士もその契約のことを聞かされ、頷くしかなかった。

 魔術に生きる者にとって、魔術を介して交わされた契約は絶対だ。魔術士の契約とは脅迫や違法であってすら効力を発揮し、一度交わしてしまえばその契りを破ることは破綻もしくは破滅を意味する。


 こうして弓削家を乗っ取ることに成功したかに思えたアリフだったが、しかしそこに予想外の方向から異物が現れる――糸遊愛詩の存在だ。

 一目見て、その存在の危うさに気付いたアリフとリニ。幸いなことに、愛詩は自ら身を引いた。

 しかし“弦を張らないことを覚えて絲士を安心させたい”と言った愛詩に念のための悪霊を監視役につけたアリフは、愛詩が幻術士の少女に師事したことを知る。


 その白い少女は、明らかに格上だった。だからこそ規模は小さくとも異界を創り上げ、迎え撃つ準備を整えた。

 リニに込めた悪霊も数段格の上であるものに挿げ替えたし、形代や呪術人形をも準備した。

 アリフ自身とリニが致命的な損傷ダメージを受けた際には、傷の全てを形代に肩代わりさせると同時に自室へと転移する呪術も新しく組み上げた。


 しかし結果はどうだ。

 改めて、上には上がいることを。世界は広いことをアリフはぼんやりと認識した。

 無論、そのような認識を受け入れる筈もない。


 漸く見つけた、家族の幸せなのだと。

 アリフは双眸を開き、リニの思念に霊的に接触し念話を試みる。


『――リニ。無事か?』


 兄の用意した異界の森で雁字搦めの繭に囚われていたリニは、結局自らの舌を噛み切って自害することで自室へと脱却を図った。兄の用意した呪術が無ければそれすらも叶わなかったと思うと、より一層兄への敬愛が溢れ、だからこそあの仇敵2人を是が非でも抹消しなければいけない焦燥に駆られる。


『うん。大丈夫だよ、兄さん』


 リニが自室に帰って来ていることを知ったアリフはその座標へと転移する。方術とは違い、霊的な接触を用いた転移だが結果は方術のそれと何ら変わりはない。


「あいつら、赦せない」

「当然だよ、リニ。私たち家族の幸せを脅かすものは、誰であろうと排除すべきだ」


 再度継戦の意思を固める2人。しかし相手はどちらも格上の存在だ、戦い方は考える必要がある。

 異界すらも相手に掌握されてしまったが、寧ろ真界での決戦は好都合だろう。何故なら真界には弓削家の3人が実存する。父親の善継は毒に蝕まれているために動かしようが無いが、母親の彩弓は傀儡だ。盾にもなれば憑依した悪霊を解放して攻撃手段にも運用できる。

 勿論絲士の存在も自分たちに有利に働くだろう。何せ、絲士は契約を破れないのだから。


 そう考えを纏めたアリフは、弓削家の3人を使うことを脳内でリニに伝える。リニは逡巡したが、兄の『全ては家族となるためだ』という言葉に強く頷いた。


 そして2人は、扉を開けて広い廊下へと出た。

 あの2人の位置は客間だ。幸い、そこには彩弓と絲士の2人が揃っている。


「リニ、行くぞ――」

「はい、兄さん――」




「あ、ども。土足ですみませんね」


 異界が閉ざされたとこにより、夷と愛詩の二人はそのまま弓削邸の中の客間へと転移した。

 そこには偶々、弓削彩弓と絲士がおり、夷は目が合うや否や呆然としている二人に対して気軽にぺこりと頭を下げる。


「え、先輩?」

「あ、ゆ、弓削君……」


 合わさった目にあわあわとたじろぐのが愛詩だ。唐突の再会に面食らい、先程までの戦闘モードはすっかりと消え去ってしまった。


「先輩がどうしてここに?」

「え、あ、えっと、えっと……」

「あー、詳しい説明は取り敢えず後にさせてもらえるかなー?先にそっちを処理しなきゃいけなさそーだし」

「そっち?」


 割り込んで入った夷の言葉をうまく噛み砕けない絲士だったが、“そっち”というのが自分の隣にいる母親の、彩弓のことだとすぐに思い知らされることになる。


「ぁ――ぐっぉ、――ゲ――ェ」


 天井を仰いで口を大きく開いたかと思うと、張り裂けそうな口いっぱいにいくつもの夥しい紫色の触手を吐き出した彩弓。

 白目を剥き、直立した身体はびくんびくんと波打っている。それが絲士の方向を向くと、その両肩をがっしと掴み、粘性を持った汁に塗れた触手を伸ばしたのだ。


 ダザン――――


 それを、夷が魔杖より引き抜いた細身の魔剣で一閃する。

 鋭い銀光の斬撃は彩弓の口から湧き出た触手群とともにその両腕をも切断した。


「ァアアアアアアアアアアアアアア!!」

「母さんっ!」

「夷ちゃんっ!?」

「煩いなぁ、ちゃんと治すよ」


 切り付けた直後に魔剣を魔杖に差し戻し、それを固有座標域ボックス内に格納した夷は、翻る身体を彩弓と絲士の狭間に割り入れると、彩弓の切断された両の前肢を掴み上げて目を見開く。

 淡く、琥珀色と薔薇色が混じり損ね上下で色の違うオッドアイ。その真中に開く瞳孔が、魔術を宿して霊銀ミスリルの流れを見抜く。


「――“伽藍ノ堂”ナキス


 掴み上げた両腕から、彩弓の体内に“無”が流れ込んで浸食する。本来は空間に拡がり伝搬するこの魔術を、夷は対象に接触することで浸食の速度を向上させ、また指定した対象のみを除去するという限定性を付加していた。そしてそうすることで、【伽藍ノ堂】ナキスという幻術の消耗を極端に抑えることにも成功していた。


 結果、彩弓の体内に巣食っていた悪霊の数々は“無”に蹂躙されたことで全てが消去された。

 次いで行使した【罪業消滅】サンスカールラにより、斬り落とされた両腕も復活する。


「わ、私――」

「母さんっ!」


 夷が解放した母親に駆け寄り案じる絲士。解放されたばかりの彩弓は何が何だか解らないと言った素振りを見せたが、しかしやけに晴れ渡った脳に困惑を隠せない。


「――解せないな。すらも瞬時のうちに処断するか、幻術士ミスティファイア

「何?やっと幻術士のこと認めてくれたの?」


 そこにアリフとリニが駆け付けたことで、絲士は更なる混乱に陥る。

 アリフとリニが戦意を宿していることはまだいい。何故なら彼らは契約の関係で、弓削の一族に仇なす者を排除する役割にあるからだ。

 しかしその相手は自分と年も変わらないような女の子が2人で、そしてそのうちの1人は愛詩なのだ。それに、母親の身体を巣食っていたあの触手が何だったのかも。


「認めるわけにはいかんよ――我ら家族に不幸を齎す者は全て、我ら兄妹が始末する契約にある」


 アリフの物言いは、絲士にはあくまで敵を排除する守護者としての言葉に聞こえた。

 そもそも絲士は、契約の全てを聞かされていない。契約を交わす手前で父とアリフの間に何があったのかは勿論のこと、その契約の期限は絲士の命が潰えるまでだと言うことも。


「ああ、その契約ね。ほら――」


 先の異界での戦闘で接触ついでに脳内を読み取ってその契約の全貌を把握していた夷は、だからこそその行為に及んだ。


「夷ちゃんっ!?」


 その衝撃に、絲士は抱えていた母親の身体を放してしまい、支えを失ったことで彩弓は床に尻もちをつく。


「――貴様ぁぁぁあああっっっ!!!」

「ぁ――、っ」

「絲士、さん――――っ」


 左腕が突き抜けて、舞い戻る。

 その手には、未だ生々しく拍動を続ける。無論、どの動脈も乱雑に千切られ、脈とともに血を吹き出している。


 絲士の左胸には、夷がそれを力任せに引き抜いたために出来た大きな風穴が空いていた。目は大きく見開かれ、しかしもう光を宿してはいない。

 その隣で夷が心臓を握り潰して無へと還元すると、それが合図かのように絲士の身体は床に崩れ落ちた。


「――こうしたら、もう無効だよね?」


 白い悪魔が嘲笑っている。

 夷は、弓削絲士を自らの手で殺害したのだ。

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