Track.5-2「幻術士だからって何でもできると思わないでくれるかな?」

「病院で怪我人作るとか医者舐めてる?」


 安芸の胸ぐらを掴み上げる常磐さんの女神の笑みが異常に怖い。

 

「済みませんでした。カッとなってやりました。反省しています。次からは時と場所を考えますっ」


 しかし安芸もあたしを殴ったことについては譲れないところがあるようで、加えてあたしを殴ったところで苛々が収まったのもあり、剽軽ひょうきんな笑顔を崩さない。

 ……凄みの効いた常磐さんの笑顔に対抗できる安芸って凄い。


「森瀬、わりぃ」


 常盤さんが用意してくれた氷嚢で口の右側の端を冷やすあたしに、安芸は何度だってそう謝った。いや、確かにあたしの表情は仏頂面だろうけど、別に怒っているわけではなく、ただちょっと吃驚しただけだ。

 それに、本気の安芸なら右手で殴る。それを利き手じゃない左手で殴ってきたのは、つまりそういうことだ。


「安芸、あたし、気にしてないよ。寧ろ、そうしてくれてありがとうって感じだし」


 頭を下げた安芸の肩に手を置いてそう告げると、後ろの方で谺さんの「どういう関係なん?」って疑問が薄らと聞こえた。


「森瀬、俺からも謝らせてくれ」


 今度は四方月さんだ。表情はいつもの四方月さんと、真面目な四方月さんのちょうど間、って感じ。


「お前にあんな思いをさせて、上司として済まなかった」


 頭を上げた安芸と入れ替わりで四方月さんも頭を下げる。下げたまま、そのままの姿勢で言葉は続く。


「百目鬼瞳美の件は確かに、俺たちの実力不足だったかもしれない。でもな森瀬、それは絶対にお前だけのせいじゃない。俺にあの言術士の言霊を抵抗レジストできる実力があれば。巨人の軍勢や幹部らをもっと早く掃討出来る戦力があれば。結末は、変わっていたのかもしれない」


 調査団の面々が、もっと実力に富んでいれば。

 医院ここが襲撃された直後に速やかに侵攻をかけていれば。

 間瀬さんの指示や対応が、もっと的確だったら。

 四方月さんはそんな“たられば”を、沢山繰り返した。


「――きりがないだろ?だから、お前一人が抱え込むような問題じゃない。それに、先程も言ったが俺はお前の上司という立場だ。部下の責任は上司が取るもんだ。で、俺たちは間瀬、引いては魔術学会スコラに雇われた身だ。最終的な責任は学会スコラにぶん投げちまえばいい」

「ちょっ、四方月さん!?」


 谺さんが慌てて横槍を入れるけれど、頭を上げた四方月さんはにかっと笑う。


「正直、俺も今回は若干甘えがあった。四方月宗家に海外から名のある調査団も参加してたし、ベテラン揃いでもあった。俺たちはその中で、いい経験積ませてもらえばいいなぁぐらいの感覚もあったかもしれない。それは、俺が弱いせいだった。だから俺も強くなる。強くなりに来た、って言ったお前たちに、恥をかかせないくらい強くなる。だから頼む。もう一度、頼ってくれ」

「……あたしだって、――あたしだって、もう一度頼ってもらえるくらい、強くなります。だからもう一度、あたしにチャンスをください。お願いします」



   ◆



「幻術士だからって何でもできると思わないでくれるかな?」


 夷の歪な双眸から放たれた視線は、吐き出された言葉とともにその少女を突き刺した。

 招き入れられた事実からの予想だにしない状況変化に、少女は戸惑い、あたふたと身動みじろぎをするばかりだ。

 そんな彼女とは対照的に、白く香り立つお茶の入った湯呑を持ち上げて夷は丸みと厚みと帯びた縁に薄く尖った唇をつける。


「あぢっ」

「大丈夫ですか?」

「猫舌なんだよね」

「そうなんですか」


 その言葉を聞いて少女は、確かに仔猫のような顔だな、と思った。体つきは華奢を通り越して細すぎるきらいがあるが、しかし願望だけで言えば彼女以上の可憐さと美人さを持ち合わせている人物を、少女は知らなかった。


「お茶は嫌い?」

「え?あ、いえ。いただきます」


 意識すると、忘れていたが確かに少女の喉は渇いていた。厚手の湯呑から伝わる通り煎茶は熱かったが、それでも少女の体は久しい水分の補給に嬉しがった。

 ゴクゴクと飲み干す少女を、どこか不機嫌そうに夷は見つめている。その眼差しに何となくの後ろめたさを感じふと少女が縁側に目を遣ると、強く西日が差していた空は山吹色の奥に深い藍色を覗かせていた。



 少女、糸遊イトユウ愛詩イトシの依頼とは実に単純シンプルなものだった。

 無論それは、魔術という領域に足を踏み入れている連中からすればただ解り易いというだけの話であり、単純シンプルだからと言ってそれが受け入れられるかには関係は無い。


 そして夷にして見ればその願いは突拍子が無さ過ぎた。確かに彼女は彼女の目的遂行のために“弦術士”という存在を欲していたが、それが向こうからのこのことやって来るとは思っていなかった。

 17周目にしていきなり現れたこの邂逅に疑問を挟まずにはいられなかったのだ。


「どうやってこの家にたどり着いたの?」

「え、どうやって……とは?」


 小首を傾げる愛詩に、夷は湯呑をテーブルの上に置いて続ける。


「魔術、使ったんじゃないの?」


 その言葉に要領を得た愛詩は、おもむろに立ち上がると夷に対して身体の左半身が正対する体勢となり、左足を夷の方に一歩踏み出したかと思うと、流れるような動作で右足を左足に引き付けつつ体の向く前方――夷から見ると左――に少しだけ出す。

 それと同時に、腰に下げられていた左手は軽く握った拳から撓めた人差し指が伸びて正面と差し出され、そして同じく軽く握り拳を作った右手は腰の右側に置かれる。

 差し出された無手の筈のその左手の内に、夷は“弓”を幻視した。その動きは、弓手が射位に入り、足踏みを行って胴造りを終えたのだ。


 正面の構えにて取懸とりかけた愛詩は、無対象の弓を打起うちおこして両腕を掲げると、双眸で夷を捉えたままに両拳を左右に開きながら下ろして引分ひきわけを行った。

 “かい”が成され、射出の準備が整った。弓と矢がその手に握られていたなら、はなれの瞬間に夷の額を容赦なく穿っただろう。夷の目には、自らの額と愛詩の伸ばした左手の人差し指を繋ぐ、霊銀ミスリルいとが視えていた。


 それは実に不可思議だった。弦術士の弦の生成とは普通、術士から対象に向かって伸びるものだ。

 しかし愛詩が行った生成は、起点と終点の間に突如として完成された弦が現れた。今しがた記録した映像を解析すると、両者間にある霊銀ミスリルが彼女の放った魔力によって共鳴し合い、収束して弦を創り上げたことが判明した。


 魔力とは霊銀ミスリルに対する干渉力だ。それが強いほど、遠く広い範囲の霊銀ミスリルに対して一斉に命令を出すことが出来る。

 一般的な弦術士が自らを起点とした弦を伸ばすのは、一般的な魔力ではそれが限界だからだ。弦を徐々に伸ばすことで、弦の終点から魔力を放出してしかさらに弦を伸ばすことが出来ないからだ。

 つまり、目の前の少女の魔力は、桁外れだと言うことだ。夷はそう結論づけると、まるで新しい玩具を見つけた悪童のように双眸に輝きを点した。


「こ、こんな感じです……」


 弓手の姿勢を崩した途端、弦は再び霊銀ミスリルに還元された。

 なるほど、面白い――心の中で独り言ちた夷は、目の前の少女が“素人”であることを確信する。


「今のは、検索対象にわたしを指定して弦を張った、でいいのかな?」


 にこにことしながら問い質す夷に、再び腰を落ち着けた愛詩はやはり小首を傾げ、そして恥ずかしそうにはにかみながら返す。


「その……感覚では解っているんですけど、魔術のことがよく解らなくて……」

「うんうん。それで、魔術を習いたいって思ったのね」

「はい、そうです」

「何のために?」

「何、の?」


 湯呑の中のお茶は冷めつつあった。嚥下する喉がごくりと鳴き、テーブルに底がこつりと触れる。


「あのね?魔術って言うのは手段なの。鋏使いたいから買うって人、普通いないでしょ?手段っていうのは目的達成のためにあるから。解るかな?」

「あ、えっと……はい」


 視線を落とし、暗紫色の瞳が揺れる。

 夷は何も言わず、ただ彼女の言葉を待った。そして、意を決して吐き出された告白を、俄かに受け止めきれずにたじろぐ。


「――好きな人が、魔術士なんですっ!」

「動機は不純なのかよ」

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