Track.5-3「ああ、デリカシー無さそうだもんな」
「芽衣ちゃんも、過去を見て来たってことでいいのよね?」
すっかり不機嫌の収まった常盤さんはあたしに訊ねる。抓られた安芸の赤くなった両頬にあたしに宛がわれた氷嚢を押し付けながら、あたしはその問いに首肯する。
「せやけど吃驚したぁ。まさかアイドルと一緒に異世界調査やってるって思わへんかったわ」
「アイドルって言ってもあたしはデビューしてないですし、それにもう辞めてます」
「四方月さんは知ってらっしゃったんですか?」
腕を組んで難しい顔をしていた四方月さんに、百戸間さんが訊ねる。
「いや、正直知らなかったよ。ただ、俺の同僚は知ってた」
「同僚って誰です?玉屋さん?」
安芸が氷嚢を左から右に移動させる。常盤さんはテーブルの上に用意された個包装のマドレーヌを碧枝さんに勧めている。
「おう、玉屋だ。で、俺も前に、玉屋に勧められてその
「へぇー……の割には、面接とかでも何も言わなかったじゃないすか」
安芸に突っ込まれた四方月さんはぼりぼりと頭を掻く。すると四方月さんの視線があたしの視線と重なって、あたしはついいつもの癖でその目をまじまじと見詰めてしまった。
「あー、……別に言ってこないから内緒の話だって思うじゃん?人には色々と事情があるもんで、おいそれと踏み込んでっていい間柄かって言われたら、それもまたどうなんだろうなぁってさ」
「え、四方月さんっぽく無い」
思わず口をついて出た言葉に、四方月さんは顔を顰める。
「俺っぽく無いってどういうことだよ」
「いえ……四方月さんって、そういうことあまり考えずにずかずか踏み込んで来そうだな、って思ってたから」
「ああ、デリカシー無さそうだもんな」
「あるわっ!!」
安芸の言葉をきっぱりと切り捨てた四方月さんの怒号に、常盤さんがわざとらしく咳払いをした。研究室の中とは言えここは病院だ。
「話を戻すけど――芽衣ちゃんはあの四月朔日夷に対して、どうしたいって言うのはある?」
◆
北陸は
中学生の頃は帰宅部だった愛詩は、初めての部活、しかも武道に最初こそ練習や上下関係の厳しさを目の当たりにして辛いと思うことはあったものの、持ち前の素直さや
言ってしまえば、それは異術士が異術に目覚めるように、愛詩の霊基配列が射位に入り会を成した愛詩と的との間に、弦を創るようになったのだ。
しかし魔術の訓練を受けてなどいない愛詩はそうとは知らずに、何だか調子のいい日は矢と的の間に奇妙な
事実、
しかし完璧な形で会に入れた瞬間、奇妙な
安定して集中力が持続する間は放つ矢が何度も的中するのに対し、一度集中が途切れてしまうと的に掠りすらしない歪な射力に、弓道部員たちは大いに困惑した。
12月に行われる選抜大会では団体戦の一員として抜擢されたものの、群馬くんだりまで遠征した結果は散々なものだった。
年が明けても、大会で“やらかして”しまった愛詩の集中力は戻ってこなかった。
射る矢が大きく的を外れて飛んでいく様子に、進級と同時に退部しようと本気で思った程だった。
大会は残念だったけれどと、顧問の先生や先輩から、期待を肩に載せる声は続いていた。何せ愛詩は高校に入学して初めて弓に触れたのだ。そんな初心者が調子のいい日は的の中心を穿つのだ。文武両道を謳い、特に運動部に力を注がれている中で大した実績の無かった弓道部は予想外の“天才”の登場に沸いていたのだ。
無論、それを快く思っていない者もいなかったでは無い。
表立って何かがあったわけでは無いが、視線や言葉など、その端にちらちらと悪感情が見え隠れしていた。素直な愛詩は、やはりそれは自分のせいだと、周囲に打ち明けはしなかったものの全く気にしないことも出来ないでいた。
精神的なストレスが余計な思考を生み、ケアレスミスや集中の出来ない悪循環が続く。それが周囲の期待を折っていくようで、自信の喪失に繋がり、また矢が的から外れてしまう。
周囲の声に流されて退部こそしなかったものの、新しく下級生が入学する頃には愛詩の射る矢は的に線を結んではくれなくなってしまっていた。
体育館で新入生に対する部活動紹介を終え、そして学園の隅に設けられた弓道場に、珍しい競技に触れてみたいだけの新入生に混じって、数名の入部希望者が集まった。
中には中学から弓道を嗜んでいる新入生もいたが、一人一射という入部体験を指導する上級生のサポートをしていた愛詩は、弓に触れたことは無いと言いながらも堂に入った弓構えを見せたその新入生の男の子に目が釘付けとなってしまった。
今にして思えば、弓に触れたことが無いというのも頷ける程度の、技術も何も無い素人丸出しの構えだった。体の軸はブレているし、肩も入っていない。それでは離れをした際に弦が左前腕に当たって最悪切創を作ってしまう。
無論、そういったことを上級生が指導して、取り敢えず最低限の形を作って矢を射てもらい、弓道という競技の面白さに触れてもらうのが体験入部の趣旨なのだが。
そして上級生の指導が終わり、体裁だけが整った筈のその弓から。
愛詩は視たのだ。まるでブリリアントカットのダイヤモンドが見せるような虹色の煌きを放つ
目を疑っても、何度も擦ろうとも、それは夢でも見間違いでも無い。
確かに愛詩はその瞬間、自身が最高の会に入った時に見た弦と、同じ弦を視認した。
しかし不思議だったのはその行方だ。弦は的へと向かわず、その他の生徒たちが見せた的外れな軌道を真似て大きく外側へと蛇行した。
そして無様な離れにより弦が矢を押し、矢は風を切って蛇行する軌道に乗り、やはり的を大きく外れて地面に突き刺さった。
「練習したら、これが的に当たるようになるんだよー!」
指導に当たった上級生はそう告げるが、当の本人は乾いたような笑顔を見せて、弓と装具を返却すると射場から離れて体験志望の新入生たちが並ぶ壁の方と進んでいく。
身長は然程高くは無く、線の細い青年だった。何処となく育ちの良さそうな雰囲気を纏っているが、だからと言って特に目を引くような存在では無い。愛詩とて、先程の弦の件が無ければすぐに視界からも記憶からも消えてしまっていただろう。
新入生たちの最後列まで回った彼は、こほこほと咳をした後に、出入口のところで先輩が配る部員たち総出で作ったパンフレット――入部届在中――を受け取り、そのまま弓道場を出て行ってしまった。
すぐにでも駆け寄って問い質したい愛詩は、しかし体験入部のサポートという役割を放棄できるほど自分勝手にもなれず、そして人の記憶というものは実に曖昧なもので、弦のことが衝撃的過ぎて愛詩は彼の顔貌や人となりを、正確に記憶しきれていなかったのである。
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