Track.4-19「――格好いいから、“お嬢”で」
「駄目だ、
竜伍の再三の哀願も、玄靜の意志を徹すことは出来なかった。
四月朔日家は魔術士の一家だ。元より嫡子は魔術士になるべきであり、双子の片割れをそうさせないだけ慈悲を遣った、というのが玄靜の言い分だった。
「――幻術など、何の役に立つんですか」
竜伍の言葉に玄靜は目を見開いて立ち上がり、つい腕を突き出したがどうにかそこで思い止まった。
幻術とは“見せかけ”であり“まやかし”である。五感で傍受する偽の情報を創り上げ、錯覚させて惑わすだけの手品と何ら変わりない無用の術、というのが近代から続く幻術に対する評価であった。
竜伍の弁に反し、幻術は思いの外、有用な術ではあった。
2003年に於いては実用化はされていても流通はしてはいないが、魔術通信を用いた際に空間に投影する
また、情報伝達信号のみを操る点から、
しかしやはり、業界の評価が覆るのには時間がかかる。
故に幻術士たちは自らのことを、
そんな幻術士も、日本では世界に比べその地位は少しだけ高い。
20世紀半ばに世界を巻き込んで行われた第二次魔術大戦に於いて、当時の日本軍が擁する魔術士の一人が東南アジアでの撤退戦において単身
後に
言術が
四月朔日家は、
幻には“正”の符号と“負”の符号がある。
正の幻とは、そこに無い筈のものが有る、という幻である。
有るはずが無い炎の壁や幻想上の生き物でしかない竜の姿を投影し、或いは誰かの足音や体臭、体温や感触を捏造する。それが
対して
姿が見えず、歩けど足音を立てず、残り香も無ければ触れても解らず気配も無い――それを極め、遂には“無を創った”のが、
事実、その極まった魔術で以て玄靜は、ひとつの街を本当に“無”へと変えて見せた。
人を、営みを、文明を、火器を、諍いを。
先の大戦に於いて玄靜は、単身で戦場となった街を地図上から抹消したのである。
元々は摩利支天を信仰する密教の修験者としての来歴を持つ四月朔日家は、玄靜の台頭で暗殺者という社会の必要悪としての役割を担うようになった。
そして竜伍は、半ば没落した魔術士の家の生まれで、尚且つ家督を継げない次男坊だった。
魔術士の家柄は伝統芸能に似ており、家督は長男が継ぐものだと相場が決まっている。これは現代日本において未だ顕著であり、バラエティ豊かな魔術士の血筋が跋扈する日本という国が、世界水準から見ると魔術後進国であると揶揄されるひとつの要因とも言われている。
竜伍と夏蓮は、所謂“魔術婚”だった。
魔術婚とは、魔術士に生まれた者がより高性能な霊基配列を望み、同じく魔術士の生まれである者と見合い、婚姻を結ぶような結婚の在り方である。
より真理へと到達できるよう、同じか或いは似通った魔術系統の家同士がそれを行ったり、または多様化のためにこれまで混じらなかった血を求めて全く異なる系統の魔術士同士がそれを行ったりしたが、四月朔日家のように嫡子に恵まれず、家督を継げない長女が、他家の家督を継げない次男以下の男性と結ぶこともあった。
そして竜伍は、魔術を心底嫌っていた。半ば没落しているとは言え、魔術士というだけで名家の
だから授かった子が双子だと判ると、繰り返される議論の果てに玄靜と竜伍、そして夏蓮の間にひとつの取り決めが成された。
長子は家督を継がせるため玄靜自らが魔術士として育て。
次子は竜伍と夏蓮の望む通りに育てることを許す、と。
そうして物心着く前から夷と咲は分かたれることとなる。夷は摩利支天のお堂がある四月朔日の生家に残り、そして咲は竜伍と夏蓮が連れ都心の方へと移り住んだ。
「お祖父様。わたし、不思議なものが“視”えるんです」
玄靜の手で厳格に育てられた夷は、物心着いた時には既に
外界の
その点に於いて、物心着いた時から
幻術の手解きを授けると、夷は荒野に咲く花のように知識という水を吸って目に見える成長を見せた。
夷は実に器用で、右手の人差し指に収束させた
また、家にある様々なものから、様々な要素を消し去ってみせた。
色を消せばその物は空間の中で唯一モノクロームに映り。
重いという感触を消せば、持ち上げようとすると手応えを全く感じなくなる。
使用人が休憩によく聞いていたラジオは度々何も聞こえなくなることもあり。
いつの間にか夷が離れや蔵に移動している、ということも多々あった。
魔術の合間に
幻術とは結局のところ、情報伝達信号のみの遣り取りであり、種が暴かれては弱い。だからこそ魔術ではない技術をも取り入れることで、魔術の効きに幅を持たせる。特に負幻に於いてその手法は、幻術の未来を拓く解のひとつと言えた。
十の年になる頃には、夷は実に悪戯好きな小悪魔のように育っていった。
玄靜は厳格に育てたつもりであったが、やはり孫は可愛かったのだろう。生来の人付き合いに不器用な性格も災いし、生まれたての仔猫のような愛玩性に富んだ容姿を持つ少女は、その相貌に見合った悪戯っ子に成長したのである。
そしてその頃から本格的な幻術の指導が始まり、夷は小学校には行かず家庭教師が着くようになる。
「初めまして、お嬢さん。
そこに現れたのは、玄靜自ら選定した言術士の青年だった。まだ16歳だったが、理力に富み、そして
しかしそのために彼は仕事で長らく付き添えない場合もあると、予め了承を求めた。
「初めまして。阿座月くん、って呼んでもいーい?」
人懐っこいようでその実悪魔が誰かを陥れようとするような笑顔を称え、夷は了承とともにそんなことを訊ねた。
「あと、わたしを呼ぶ時は“さん”要らないからね?」
「はぁ。では、どうお呼びすれば?」
「そうだなぁ、――格好いいから、“お嬢”で」
真言に魔術の基礎を、そして玄靜に幻術を学び、夷は魔術士としての才覚を二段飛ばしほどの
こと創り上げる幻の精度で言えば――正も負も――すでに玄靜に匹敵するほどだ。
だから後は、身体が作り上がって
しかし彼は知らない。
夷には元々、幻術の才覚など無かったと言うことを。
彼女はただ、一周目で得た知識をフル活用し、一周目を凌ぐ速度で二周目を生き急いでいるのだと。
そして彼は知らない。
夷の呼吸器系に、ここから二年後までに重大な欠陥が現れ、
故に、彼は知らない。
その愛らしい少女が、やがて慢性的な
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