Track.4-18「――面白いじゃない」

「解った」


 観念を口にし、美青は諸手を揚げて降参の意思を表明する。

 しかしその意図は表意に反する。やられっ放しを許す彼女では無かった。


 霊基配列を通さずとも行使できる魔術は存在する――瞳術に、躰術。躰術にはこの状況において即座に有効なものは在りはしないが、瞳術なら別だ。魔術学会スコラにおいて禁忌指定を受けた瞳術の一つや二つ、美青ほどの魔術師が修得していないわけは無かった。


 そして、体内に存在する13の霊基配列を奪われようと、美青には体外に存在する霊基配列――“霊器”と呼ばれる、最終兵器があった。


 首から下げ、白衣の胸ポケットに落ち着いている懐中時計――“羅針計”らしんけいぶそれの支配権までは、奪われてはいない。

 そして“羅針計”らしんけいがその小さな輪郭に内包する霊基配列は、美青が後天的に自身に増設したのと同じ12を数える。

 相手が怪物だろうが、どこの者とも知れぬ敵を前に狼狽えるほどの俗物では無く。

 “時空の魔術師”クロックワークスにして“羅針の魔女”クロノス・ウィッチの異称を持つ、唯一無二の時術師こそが常盤美青なのだ。


 しかしその霊器に意思を通して起動させようとした瞬間、美青は目を見開く。



 ごぷ――。



「あー、ごめんね。汚れてない?白衣って、汚れとか落ちにくそうだもんね」


 突如、眼前の白い少女が血ものを吐いたのだ。

 それは赤黒い泥のような、――【霊視】イントロスコープで視てみれば、有機化した霊銀ミスリルの成れの果てだった。


「あなた、それ、霊銀ミスリル中毒!?」

「あー、気持ち悪ぅ――」


 少女の粘膜の内側を浸食した霊銀ミスリルは、細胞と結びついて凶悪な毒となった。少女はその毒が自身の命を蝕む前に、いち早くその部位だけを切り捨てて吐き出したのだった。

 少女の症状それは、慢性的なものだった。


「いやー、あともうちょっと持つと思ったんだけどなー。やっぱり先生ってすごいんですね、さすが“魔術師”ワークスホルダーなだけあるや。尊敬してまーす」


 あざけた口調だったが、有機霊銀ゆうきミスリルが血肉を溶かした赤黒い泥のように彼女の目や鼻、耳から溢れる。

 表情は蒼褪め、死神がいるのならその鎌を首元に宛てていただろう。それを幻視できるほど、夷は死の淵にいた。


「術の行使を止めなさい」


 美青が発したそれは、医師としての言葉だった。

 二人の間に物理的な距離は隔たっている。ただ意識の奥底で交わっているだけだ。しかし霊的な距離が無いのであれば、美青は自身の魔術を用いて夷のその症状を和らげ、治療することが出来た。


「んー、でもさぁ、もうちょっとだからさー……」


 うずくまり、暗闇の泥に両手を着いて大量の赤黒い泥を吐瀉した夷。その泥は荒れ狂う霊銀ミスリルによって灼けつき、じゅう、と虹色に煌めく硝煙を生んだ。


「解った。なら術の行使は引き継ぐ。だからあなたは」

「いや本当、あともうちょびっとなんだよね。だから――邪魔してんなよ」


 狂気。

 自らの命を切り捨てながら、それと引き換えに一握の奇跡を願うような。

 夷の意地は、狂気に塗れていたのだ。そしてその切願を、美青は後押しする。


“時を刻み、針を羅らす”クロックワークス――」


 白衣の胸ポケットからふわりと浮かび上がった“羅針計”は、その針を逆巻かせて退行の渦を創り出す。


「……何だよ、霊器もあんのかよ……先生は、ずっこいなぁ……」


 時の逆行が加速し、そして夷は「先生、ちょっと、戻りすぎだよ」と呟いて事切れた。

 溶け合った意識の暗闇の泥の中に霊銀ミスリルの粒子に分解された夷の意識は、最期に何処かへと転移すると、そこには美青の意識だけが残った。


 美青には、彼女が何のために時を逆行させたのか解らない。彼女が行った内部からの接続アクセスは不可逆的なもので、彼女が美青の全てを把握したとしても、美青は彼女の何もかもを知らないのだ。


 ――確か、夷、と言っていた――


 独り言ちると、時が遡った2003年の常盤総合医院で、美青は恒常的に記録してある世界の流れの中から条件に見合う人物を検索する。


「まだ、生まれてないかもしれない……」


 いずれにせよ、芽衣すらもまだ生まれていないのだ。ならば、また17年後に遭遇を果たすだろう。


「――面白いじゃない」


 本来の常盤美青とは、研究者である。時を逆行させた彼女がこれから何をするのか、何処に向かうのか、そして何を果たすのか――そのことに対する知的欲求に駆られた美青は、時を待つことにする。

 世界のありとあらゆるに受信機アンテナを伸ばし、正常に戻った時の中で、世界の全てを“視”て記録しながら――




 一周目が終わり、物語は二周目を迎える。


 茜の言葉の意味を理解した四人は息を呑み、新たに紡がれる、本来知り得なかった真実との邂逅に微動だにせず向き合う。


 傍観者たちに映された視界は山間の緑。そこから墜落するようにズームインし、ひとつの邸宅を彼らは眺めることになる。




 2003年4月1日――東京都麻幌まぼろ夜種やくさ。西東京は奥多摩に近しい山間の古い町である。市とは名がついているがその実態は村や郡に近い、途絶した地方開発の成れの果てである。


 自然が色濃く残る山の中腹に、その魔術士の一家は居を構えていた。

 母屋と離れに蔵、そして摩利支天を本尊とするお堂で構成された広い邸宅は歴史を感じさせる古さが漂い、しかし常時務める使用人が磨き上げていることで、板張りの廊下や梁、柱は没落の黴臭さとは無縁の気高さを保っていた。


 月が昇り、庭先ではまだ寒い風が吹き抜け葉を散らしたが、その四月朔日ワタヌキ家の一同は二人を除き、皆寝室に集まっていた。

 除かれた二人のうち一人は、昨年婿養子として嫁いでくることになった四月朔日竜伍リョウゴであり、仕事の都合でまだ帰って来ていなかった。

 もう一人は娘夫婦に家督を譲った四月朔日玄靜ゲンセイであり、庭園で一人、水垢離みずごりで濡れた見事な九十九髪つくもがみを掻き上げ後ろに流し、寒空の下で険しい表情を見せていた。

 齢九十を超えているにも関わらず、筋骨隆々とした肉体が水滴を弾いて月明かりに妖しく濡れている。


「大旦那様――」


 呼ばれ玄靜が振り向くと、屋敷の使用人を取り纏める緒方オガタ征二郎セイジロウが縁側でひざまずいている。


「もうすぐ産まれますよ」

「ああ、分かった」


 手早い造作で体中を拭き上げ和装を整えた玄靜は寝室へと向かう。そこでは一人娘の夏蓮カレンが、今まさに陣痛に苦しんでいるところだった。


「もうじきです」


 夏蓮の傍で助産師がそう告げる。「うむ」とだけ呟き、玄靜はその老躯を畳間に落ち着ける。

 夏蓮に母はいない。彼女が物心ついて直ぐに流行り病で逝ってしまった。玄靜は魔術士だったゆえに、魔術を継ぐ者として娘を育てた。しかし2003年はまだ魔術が社会に然程さほど進出してはおらず、夏蓮は家業を継ぐことに抵抗した青春時代を送っていた。

 父と娘にすれ違いは多く在ったが、やがて夏蓮は父のことを魔術士として尊敬するようになり、自らの魔術士の宿命にも理解を示すようになった。


「只今戻りましたっ!――夏蓮っ、子供はっ!?」


 帰宅した竜伍が慌ただしく廊下をバタバタと走り、寝室へと雪崩れ込む。その様子を見て夏蓮は微笑み、「間に合って良かったね、竜ちゃん」と声をかけた。

 陣痛が始まってから既に12時間が経過し、破水もあった。もういつでも産まれてきていい頃間だ。


「竜、――ちゃんっ!」

「旦那様、背中を支えていただけますか?」


 いよいよ大詰めだ。助産師が竜伍に指示を出す。しかし背中に回っては妻の顔も見えないだろうと、玄靜は横槍を入れてその役を奪う。


「竜伍。お前はそのまま夏蓮を励ませ。背を支えるはこの老いぼれが務めよう」


 出産が始まり、使用人が助産師を手伝い右往左往する。


「奥様、いきんで!」

「ふ、っ――!!」

「いいですよ、頭が見えて来ました。そのまま、――産まれましたよ!」


 背中からそれを見ていた玄靜は、いつか夏蓮の出産に立ち会った日のことを思い出していた。その時にはすでに“おじいちゃん”と呼ばれてもいいような年齢だったが、つい先日のことのように嬉しい気持ちになる。

 あの日も今日と同じように、背中越しにそれを見詰めていた。背を支えながら、助産師が赤子を取り上げた時はまるで手品のようだ、と独り言ちたのを覚えている。


「奥様、呼吸を整えましょう。今回は大変だ、あと一人いらっしゃる」

「夏蓮、あとひと踏ん張りだぞ?」

「うん、竜、ちゃ――っん!」


 孫は双子だった。産まれたての二人の女児は薄く血にも塗れ、まるで異質な相貌をしていたが、二人共にとても愛らしいと思えた。

 よかった。あの時自分は、こうして背中を支えていたから実際に出てくるところは見れなかったが――竜伍には、その一部始終を見せてやれた。

 それは不器用で言葉足らずな玄靜なりの贈り物プレゼントのつもりだった。


 こうして四月朔日家に、長女・ヱミと、次女・エミの双子が産まれた。

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