Track.4-20「美味しくないね、これ」
「お祖父様、これは、何ですか?」
淡い薔薇色の愛らしい眼をきらきらと輝かせて、夷は玄靜に訊ねる。
夷が身体を横たえる傍でまるで
「薬だ」
「お薬ですか」
「ああ、そうだ。薬だ」
齢十二を数えた頃、夷の身体に変調が訪れた。すでに夷は知っていたことだが、彼女の呼吸器系に局所的な
四月朔日家の女系の血族は低い確率でその
玄靜は
この病により、夷は魔術師に必要な
呼吸による循環が行えなければ、自然と体内の
夷は焦り始めていた。自分に残された時間はあと6年しか無いのだ。
その間にやるべきことはいくつもあった。幸い、感染呪術と類感呪術を応用した内部からの
咲との邂逅は時間の問題だ。芽衣との遭遇も時間の問題だ。
ならば自分の問題とは――二周目がうまく行くとは限らない。寧ろうまく行かない方が妥当だろうと考える夷は、この二周目を三周目へと繋ぐ方法を考えた。
あの
問題なのは、その術式を形作るには最低でも7基の霊基配列が必要だ、と言うことだ。自らに先天的に宿っているものを除けば、あと6基をどうにかして用意しなければならない。
あの
しかし夷は彼女と同じやり方を辿れないことを解りきっていた。夷は
無論、芽衣と邂逅すれば自ずとあの
しかし頼み込んだところで彼女がまた自分に協力してくれるかは疑問だった。賭ける価値はあるかもしれないが、外した瞬間に全てが無に帰すのなら、100%を目指して他を考えた方が利口である。夷は常磐美青に協力を願うという選択肢を即座に破棄した。
「美味しくないね、これ」
自室で苦味と癖の強い粉薬を白湯で嚥下した夷は、顔を顰めて湯呑をテーブルに置いた。
「良薬口に苦し、という
隣に座る狐のような顔をした好青年は、微笑みを称えて夷にそう告げる。
大丈夫ですよ、とまでは言わなかったのは、それを口にすることで言霊が穢れることを
しかし実の妹のように夷を可愛がっていた真言は、彼女を安心させるために“行間を読ます”言葉を選んだ。文脈の流れからその後に続く言葉を予想させることで、自分の言いたいことを伝えるのだ。
「それでは今日は、昨日の続き――
「えー、それつまんないからやめない?」
座学で魔術の基礎を学び、修得している幻術を用いてそれを実践で技術に昇華させる。それを反復して理想に押し上げるのだが、人よりも多くの休憩を必要とする夷はその間に一般的な小学生や中学生が習うような教養を身に付けた。
それは例えば10立方メートルの生コンクリートがどれだけの重量になるか、や、燃焼した銅の炎色反応は何色になるか、共立てで作ったスポンジケーキは別立てで作ったものに比べて食感がどう変わるのか、などであり、それらは座学で得た知識だけでなく、実際に体験した際の記憶や体感というのも重要になる。
無論それらは現実に存在するものを幻術で作り出す際にも重要だが、想像上の幻想を作り出す際にも非常に肝要なのだ。
爬虫類の皮膚や骨格、筋肉のつき方を知らない幻術士が生み出した竜の虚像は張子の虎と変わらない。
想像力を積み重ねて織り上げた荒唐無稽の愚物も、時には通用することもある。しかし特に魔術士を相手取るのであれば、それにさえ幾ばくかの
自らを騙せないような嘘で他人を騙せないように。
自らを欺けない幻術では誰かを欺くことは出来ない。
そしてそこにこそ、幻術という魔術系統が孕む最大の欠陥が存在する。
極端に言えば幻術士は、世界を欺くような現実と見境の無い幻術を理想とする。
しかしそれが恒常化すれば、いつしか幻術士は眼前の現実と幻覚の別を見失ってしまう。
世界の全てを幻として受信するようになった幻術士の精神は破綻し、壊れ、やがて精神的な死を迎える。そうなった幻術士は、動けず、考えられず、何も感じない。
幻術士の社会ではそれを“幻滅”と称ぶ。
世界に通用する高精度な幻術を極めれば幻滅に
幻滅を逃れようとするなら騙すことが
その矛盾する二律背反こそが、幻術士が抱える最大の欠陥であり、多様性に富みながら無用であると揶揄される最大の要因である。
夷とて、そのようなことはもう解りきっている。特に四月朔日家は、
だから夷は、一周目の17年間と二周目の12年間の合計29年間に及ぶ歳月で培った想像力でそれを回避する方法を考えていた。
他にも考えなければならないことは山積みだった。いっそのこと、思考を切り分けて考えられたなら良かったのに――その着想から得た答えが、脳機能の
夷はそれを可能とするために、人間の脳が持つ機能を大雑把に“思考”と“感応”そして“記憶”の三つに大別した。そしてそれぞれを幻術で複製し、自身の
以降、夷の五感が受信した情報は実際の脳ではなく
速度においては光を凌駕する
フィードバックを行わなければ、自分と同じ能力・傾向を持つ他人が演算しているに過ぎないその技法は、霊脳に幻術の現実化を、そして自身に幻術への懐疑を分担すれば、世界を欺きながら自らを疑うという二律背反を解決することが出来た。
もともと夷は一周目の時点から、仕入れた情報を仮想の
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