Track.4-3「オレもやんないと駄目?」

「芽衣ちゃんは?」


 常盤総合医院西館6階の研究室の一角に設けられた応接室に集まった俺達の顔ぶれを見て、時空の魔術師クロックワークス常盤トキワ美青ミサオは訊ねる。

 それに対してぶっきらぼうに「体調不良だってさ」と答えたのは安芸だ。動きやすそうな迷彩ミリタリー柄のパンツに合わせた黒い七分丈のTシャツの胸元には、白く丸っこい字体フォント“NOT JEANS”ジーパンじゃ無いよと書かれている。――どこで売ってんだ。


 そう、と短く呟いた常盤さんの表情はいつもの女神のような慈愛に満ちた穏やかなものだ。それでも、何処となく不機嫌そうに見えるのはやはり森瀬がここにいないからだろうか。


「四方月さん、それは違う。確かに本当ならば芽衣ちゃんがここにいるのが筋ってもんだけど、正直言って別にあの子がここにいなくても事は足りるしね」


 やはり、森瀬がいないことでお怒りのようだ。


「ま、それは置いときましょう――今日皆さんに集まってもらったのは、事前に通達しているから分かるでしょうけれど、芽衣ちゃんの過去――と言うか、あの子ともう一人、四月朔日ワタヌキヱミの過去とその関係について、お伝えします」


 白い少女――四月朔日夷。

 飯田橋駅付近の異界事件で自身を“幻覚のようなもの”と偽って俺を誘導し、森瀬をよろしくと告げて去った。

 しかしその後、件の異界を調査する間瀬たちと会戦、自身に関する記憶と大聖堂の中で見つけた異変に関する記憶を奪い逃走――ちなみに、四月朔日夷に関する記憶は思い出せても、その異変に関する記憶は思い出せないらしく、改めて再調査をしたがやはり異変は見当たらなかったらしい。

 そしてPSY-CROPSサイ・クロプスでは“白い魔女”として暗躍、12人もの少年少女たちを凶行に走らせた。


 その所業だけを見れば悪だと断ずることが出来る。

 しかしその行動原理は一切不明だ。付き従っていたあの言術士との会話では、仲間というよりは協力関係にあると取れる。自分の願いを成就させる代わりに、命を差し出すと。

 そして――確かにあの幹部連中を演じていた少年少女たちは、世界から疎まれていたと表現していいだろう。


 魔術士の家に生まれるも、才が無く半ば虐待されていた者。

 魔術の才を持つばかりに、周囲からの白眼視に晒された者。

 魔術とは関係なく、ただ虐待や迫害を受け続けていた者。

 自らを死に追いやることを、若しくは誰かの命を奪おうと考えた者。


 彼らは未来ではなく、“現在を”奪われた者達だった。

 捉えられ、これから矯正されるべき彼らの未来が好転するかどうかは判らない。ただ言えるのは、結果だけを見れば彼らは救われたのだ。

 救われなかったのは、命零れた首謀者・百目鬼ドウメキ瞳美ヒトミ――それに加え、新宿駅前事件・渋谷駅前事件で異獣化し始末された二人だ。

 池袋駅前事件の首謀者・夜車ヨグルマ撥矢ハチヤはすでに治療を終え、一時的に魔術学会スコラの預かりになっている。同様に幹部11人も治療が終われば学会スコラが預かり、その処分を決める流れになっている。


 四月朔日夷あいつは、一体何をしようとしているのか――人は理解の及ばないものに対して、理解しようと努力するか、理解できないと無関係を装うか、そして恐怖を抱くかの選択肢を持っている。

 俺は――


「じゃあ、私に着いて来て」


 常盤さんは立ち上がり、応接室のさらに奥の部屋へと向かう。

 ここに集まった俺達――俺と、安芸と、PSY-CROPSサイ・クロプスで世話になった谺、碧枝、百戸間の五人――はその背に追従する。

 このメンバーが招集された理由は、“四月朔日夷と二度以上の遭遇を果たしている者”という条件を満たしているからだ。だから本来であればここには森瀬と、そして間瀬がいた筈だった。

 森瀬は体調不良――というか、百目鬼瞳美が死んだことを受けてすっかり塞ぎこんでしまっており、そして間瀬はPSY-CROPSサイ・クロプスの異界調査に追われている。

 鹿取の名が名簿に並ばなかったということは、彼女は安芸や俺達に比べて、あの白い少女と関係性が薄いということか。何だかそれも不思議な気分だ。


 木製のドアを抜けると、まるで手術室のような広い部屋があった。手術室のような、と形容したのは、部屋の中央から放射状に、八つのベッドがあったからだ。

 只のベッドじゃない。SF映画なんかで見るような、人体工学に乗っ取った曲線を持つ、背凭れを倒したリクライニングシートみたいな奴だ。八台とも頭が部屋の中央を向いていて、そして中央には小さな塔を想起させる何らかの筐体がコードを伸ばしている。

 その傍にいるのは――確か、小早川コバヤカワと言ったか。この医院に務める臨床検査技師にして、常盤さん率いる“憂歌の音”ブルース・トーンの一員である異術士。格闘技術にも精通していると安芸から聞いたことがある。


「コバルト君、準備はOK?」


 コバルトと呼ばれた青年・小早川はにこやかな笑顔で常盤さんを仰ぎ見、そして親指をぐっと立てて突き出した。しかし爽やかな顔にはくっきりとしたくまが刻まれている。


「常盤さん、これは何ですか?」


 谺が京女らしいイントネーションで訊ねる。無論、俺もこのような機材は映画くらいでしか見たことが無い。


「今からあなた達にはここで眠ってもらって、夢という形であの子たちの過去の記録を見てもらう。このヘッドセットを着けて」


 言われるがまま、ベッドの頭部分に載っていたVRゴーグルをさらにごつくしたような機材を頭に装着した俺達はそれぞれベッドに横になる。


「常盤さん、オレもやんないと駄目?」

「あー、そうか。安芸君は――まぁ一応、やっておくのが筋書シナリオだからね」

「はーい」


 そう言えば安芸は、断崖の間で四月朔日夷に「いつまで続けるんだ」何て訊ねていたっけか。こいつも、どうやらあの白い少女に浅からぬ因縁があるようだ。

 ただそれは、これから明らかになることだ。

 得体の知れない不安感が胸に押し寄せるのを捻じ伏せ、俺はベッドに背を預ける。


 瞬間――ヘッドセットから霊銀ミスリルの奔流が脳に飛び込んでくる感覚に身体が跳ねた。

 渦を巻いて溢れる映像が、音声が、芳香が、味覚が、感触が、そして感情が、脳を脊髄を全身を駆け巡る。

 痛い、とかじゃない。唯々、激しくて、苦しい。


 息をするのも忘れそうになるほどの情報の激流が、段々と収束していくのが解る。

 そして針先ほどにそれが集うと、急速に剥離される意識の遠くの方で声が聞こえてきた。


『――ない』


 薄れていく自我をそれでも鮮明に保とうと、その声に注力する。


『――死にたく、――ない』


 声は、森瀬のものだった。

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