Track.2-21「森瀬、泣き虫ですからね」
「
席を立ったオレが用を足しトイレから出ると、廊下の曲がり角の先で四方月さんと間瀬さんが話している声を聞いた。
「で、例の“白い少女”の件なんだが」
その単語に何故かオレは壁に張り付き、耳を
「遭遇したのはホームからのエスカレーターを上ったフロアだ。報告書は読んだか?」
「軽く目を通す程度には。今夜帰ってからしっかりと読むつもりですよ」
「ああ、なら芋虫の頭に顔いっぱいくっつけたような
「勿論です。そこだけ
「解ってるよ――」
昨晩森瀬の家で聞いた話と照らし合わせる。
「で、俺は脳に直接響く声で揺り起こされて、目の前に透き通った“白い少女”がいた。何が白いかって頭髪がジジババの所謂“
オレはその特徴を聞いて、真っ先にあの少女のことを思い浮かべた。
スマートフォンをポケットから取り出して、カメラロールから随分と昔の写真を探す――あった。
まるで絹糸で織られたような
薄く淡い眉とは対照的に濃く
筋は通っているが小振りな鼻。薄く尖った唇は悪戯っ子のように口角を仄かに上げ、
首は細く、肩幅もやや狭い。首筋と四肢の表面には薄ら蒼い静脈が浮かび上がっており、それらを包む肌の薄皮は病的なほどに真っ白で、血の気の薄さを物語っている。
その、幽鬼じみた肢体を包むシャツワンピースもまた薄灰の色彩を帯び、足を包む細身のハイカットシューズだけが足元の影に溶けるような黒色を纏っている。
そんな少女が、懐かしい“百合の丘”でこちらに向かって両手でピースサインを作っている。
屈託なく笑うその表情は、その容姿も相俟ってとても庇護欲に駆り立てられ、愛おしく見えてしまう。
「結局、
「端的に要約するとそうなる」
気が付けば、その少女が何をしたのか聞き逃していた。「バカバカしい」と断じた間瀬さんは続いて「また遭遇したら教えてください」とだけ告げ、席へと戻っていった。
「んだよー。だからどうでもいい話かも、っつったじゃん」
対する四方月さんはこちら側へ来る。話のついでにトイレに向かうのだろう。
好都合だとオレはトイレ前の廊下で待ち伏せる。
「ん?おう、安芸少年」
「ヨモのおっさん、
オレが両手を合わせると、四方月さんは眉根を寄せて
「立ち聞きしちった」
「はー?ああ、さっきの?俺と間瀬君の話?」
「でさ――“白い少女”ってこのコ?」
そしてポケットから取り出したスマートフォンで先ほどの写真を見せると、四方月さんの表情が鋭いものに変わり、固まる。どうやら
「お前――」
「今ここでは言えない。でもちゃんと話すよ。だからさ、このコのことは、森瀬には内緒にしててくれません?」
「どういうことだ?」
「
オレは強く奥歯を噛んで、頭を下げた。四方月さんは戸惑っているのか、言葉は無い。
でもオレが恐る恐る頭を上げると、何だか悲しそうな顔で、そっぽを向きながらこう言ってきた。
「そういやお前――“白い異人”って言って解るかな……あーっと、」
「白い異人?少女じゃなくて異人ですか?……あ、もしかして森瀬の異術の話してます?」
オレの言葉に四方月さんは顔を向けて、うんうんと頷いた。
「
「そうか――」
そう呟いて、四方月さんはまたも虚空に視線を泳がせた。その表情はどこか悲しげで、物憂げだ。
「あいつさ――」
「はい」
「――泣いたんだよ。俺にしがみついてさ。俺、森瀬ってもっと、潔いっていうかさ、竹を割ったみたいにさ、きっぱりした奴だと思ってたんだ」
「――はい」
四方月さんはオレの相槌なんかどうでもいいように、虚空を向いたまま話を続ける。その語調は段々と熱が篭っていって、飛び火してオレの胸の内にも火が点ってしまいそうだ。
「出来ることは出来るって言うし、出来ないことは出来ないって言うしさ、でも出来ないって言ったことをやってみるんだよ。頼まれたらやり遂げるしよ、
「ははっ、確かに
「でさ、ついつい頼ってしまってさ。――悪いな、何か酒のせいだわ、そういうことにしておいてくれ」
四方月さんはぼりぼりと頭を掻き、恥ずかしそうにほんの少しはにかんだ。その表情にオレは少しだけ心苦しくなってしまう。
思えば、大人の正直な気持ちを聞くのはとても久しぶりだ。それはオレの17年という年月の中でとても珍しいことで、尚且つ、この人とオレは今日出会ったばかりなのだ。
「いえ。――続きは?」
「ああ、聞くのか?――で、全部終わって、あいつ泣いたんだよ。不甲斐ない俺にしがみついてさ、決壊したダムみたいに泣くのさ」
「――森瀬、泣き虫ですからね」
「そうなん?まぁ、――森瀬ってさ、生きづらく無いか?」
「今はそうだと思いますよ。昔は多分、違ったと思いますけど」
「そうだよな。……今は笑えないって言ってたけど、森瀬って昔は笑ったのか?」
「めちゃくちゃ笑ってたみたいですよ」
「そうか、じゃあ、尚更だよなぁ――でも、お前や鹿取ちゃんみたいな奴がいるなら、良かったなぁ、って思うよ」
「それは、……ありがとうございます」
四方月さんは左手の指で目尻を拭った。それを見たオレはちょっと
嗚呼――多分、この人は。
誰かの痛みで、涙できる大人だ。
「ヨモさん!」
そうこうしていると、トイレ前の廊下に玉屋さんがやって来た。どうやら長い間席を立っていたオレたちを心配して見に来てくれたらしい。
「そろそろお会計じゃないですか。幹事がいなくなってどうするんですか」
「
踵を返し、トイレに向かった玉屋さんとすれ違って席へと戻ろうとした四方月さんを、オレは呼び止める。
「ヨモのおっさん」
「何だよ、安芸少年」
「昨日森瀬から聞いた話と、今日実際に会ったあんたの感想。オレ、あんたのこと多分好きです」
四方月さんはその唐突の告白に、何て言えばいいか分からないと言った顔をして、少し照れたようにそっぽを向いて頭を掻いた。
「あ、勿論、信頼できる大人、って意味っすよ?あと――」
そしてオレは、四方月さんの横を摺り抜けて肩越しに振り返り。
「あんたオレのこと安芸少年って言うけどさ――オレ、これで女やってるんで」
その照れた横顔を思いっきり睨み付けた。
「はぁ――っっっ!??」
「確かによく間違われますけどね?でも次、少年つったらぶっ飛ばすかんな」
「あ、――あぁ、安芸、君」
「よろしく、ヨモの兄貴」
そしてオレは、顎の締まりきらない無様な表情の“信頼できる大人”を置いて、席に戻った。
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