Track.2-22「ちなみに、無償ですが手伝って貰えますか?」

 火曜日は19時まで開庁しているという理由で、芽衣と茜は放課後にそのまま板橋区役所の庁舎前で待ち合わせることにした。

 心は学校こそ芽衣と一緒だが、自宅は北区にあるため板橋区に住まう二人とは異なる庁舎で住民票を取得しなければならなかった。


 民間の魔術企業は新たに魔術士を入社させる際、必要な書類として本籍と戸籍筆頭者の氏名が記載された住民票と、そして本籍のある役所でしか発行されない身分証明書を取り寄せる必要がある。

 聞き慣れない書類の名前に、試験後の応接室で「学生証じゃ駄目なんですか」と訊ねた芽衣と茜は、隣に座る心から身分証明書とは、という説明を、そもそも本籍とは何か、というところから聞く羽目になりうんざりした。

 しかしおかげで、公的に身分を証明する書類のことではなく、後見登記を受けていないか・破産宣告を受けていないかを証明する書類だという半ば雑学に近い――少なくとも二人はそう思っている――知識を手に入れた。


「本籍知らないんだったらまず住民票取って来い。そしたら住民票に書いてあっから」


 そう言われ手に入れた18時8分。入手した住民票を確認してみると、芽衣は西東京の麻幌まぼろ市になっており、茜もそれは同じだった。


「なんかすごい偶然を見た」

「だな。昔同じとこに住んでたってことなのかな?」


 勿論市区町村以下の番地は全く異なる。しかし今年初めて出会った学校すら異なる二人がもしやすると過去に出会っていたかもしれないという奇跡への淡い期待が二人の胸を膨らませる。


「でも取りに行けないね」

「それは郵便でもいいって行ってたろ?」


 住民票や身分証明書などの戸籍に関する書類は郵送での請求も可能である。それは面接の際に航が教えたことであり、心もまた解らないようだったら教えると言ってくれていた。


「でも確か、今日は心ちゃん来れないって言ってた」

「だな。じゃあ明日の夜にするか」

「そうだね」


 二人は住民票を鞄の中に仕舞うと、今日の飯は外食にしようと頷き合い、学校の授業はどうだとか、自主連の日取りをどうしようだとか、しかし10月に入ったのに暑いだとか、今年は冷夏と言っていたけれど全然そんなことは無かったなどと、まるで他愛のない話をしながら商店街を大山駅まで歩き、東武東上線の各駅停車の電車に乗って池袋駅まで赴いた。


「東?西?」

「東がいい。西とか北とかは街がエロい」

「まー確かにな。んじゃサンシャイン通りぶらつくか」


 そうしてふくろうの像のある東口の階段を上り、明治通りを対岸へと渡る幅の広い横断歩道を待っている二人の目に、その“異常”は映った。


   ◆


(――やってやる)


 少年は青信号を待っていた。

 そうじゃなくても人の多い19時前の池袋駅東口。加えてこの時間帯は、帰途に着くサラリーマンと遊びに繰り出す若者とがごった返す時間帯でもある。

 幅の広い横断歩道はまさに人垣が出来ていて、それは対岸も、そして広い喫煙所が設けられた中洲も同様だった。


(やるんだ。やる。やる、やる――)


 心の中でそう呟き続けている少年は、しかし覚悟を決めきれずにいた。

 少年の格好は野球帽に白い薄手のパーカー、藻色モスグリーン七分丈の細身のクロップドパンツにスニーカーだ。これと言って特筆すべきところの無い様相は、野球帽からはみ出した長い赤茶けた髪の毛がその繊細な顔貌を隠しているせいもあり完全に人垣に紛れていた。少年がその最前列にいなければ、芽衣も茜もその少年のことを見落としてしまっていただろう。


 二人が対岸で自分を見ているとは知らぬまま、少年はパーカーのポケットに入れた両の拳を握り締め続けた。決まらない覚悟はそれを決めようとする少年の意思に応じて、少年の掌に爪痕を刻みつけていた。

 痛みすら忘れてただ只管ひたすらに覚悟を決めようと“やる”という二音を脳裏で唱え続ける少年の拳は僅かに血が滲み、白い薄手のパーカーはその部分だけがほんの少し赤らんでいた。


 しかしその染みは近くで注視しないと気付かない程度レベルだ。

 芽衣と茜が気付いたのは、その表情――追い詰められ理性のたがを半ば放り出しているような泣き喚き出す手前の顔だ。

 そして茜は人知れず霊基配列のスイッチを入れ、【空の王アクロリクス君臨者インベイド】を発動させて少年を視て――その体内に暴れる霊銀ミスリルの乱流を確認した。


「森瀬」

「うん、分かってる」


 芽衣は制服のポケットに入れていたカッターナイフを握ると、取り出さないままで静かにその刃先を2センチ程飛び出させた。そして人垣に紛れながらゆっくりと、なるべく周囲の目に触れないように取り出すと、少し飛び出た刃先を左手首に当て――その右手を、間瀬マセ奏汰カナタが掴んだ。


「もうしないと言った筈じゃないですか?」


 意外と人は興味の無い周囲の風景を気に留めない。それでもすぐ近くの何人かは、突如現れた奏汰の姿に吃驚びっくりしそうなものだが、そこはやはり学会スコラ所属の魔術士である。飯田橋の異界の門ゲートの時と同様に、奏汰は自身に興味を抱かないよう予め魔術を行使していた。


 眉根を寄せて芽衣を睨む奏汰に、芽衣は首を振って左手で対岸の少年を指差す。


「あたしのこと監視してるって言ってたから、こうすれば来てくれるかな、って」


 少年を見つめた奏汰は静かに舌打ちし、溜息を吐いた。


「意外と考えてるんですね」

「意外は余計じゃない?」

「解りました、いいでしょう。学会スコラの魔術士として、早急に彼の対応を行いましょう。ちなみに、無償ですが手伝って貰えますか?」

「当たり前」

「喜んで」


 そして歩行者信号は青に切り替わり、両岸そして中洲の人垣は一斉に動き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る