Track.2-4「一介の魔術士風情が図に乗るなよ?」

「森瀬の異術について、解析は済ませてますか?」


 航の問いを受けて、美青はいつもの陽気な笑みを崩さないままで艶めいた唇を開く。


「済ませていますよ」

「その情報データを開示していただくことは出来ますか?」

「その際は、司法を通じて礼状を持参していただかないといけません」


 異術士の異術の解析記録は、個人情報保護法によって保護される範囲内だ。解析した魔術医には守秘義務がある。

 その答えを予想していた航は神妙なその面持ちを崩さないまま、隣に座る望七海に指示し、綴じられた数枚のレポートを机の上に広げた。


「これは、俺が一昨日の夜に池袋にて彼女の異術を受けた際の解析記録です。あなたの持っている情報とこちらが有している情報で、食い違いが無いかを確認していただきたいのですが、それは可能ですか?」


 美青は横目でじろりと隣の芽衣をめつけたが、すぐに差し出されたレポートに手を伸ばし、ページを捲ってその内容に目を通していく。

 その様子を、航は前傾姿勢になり開いた両膝に乗せた両腕を組んで握る。


「――芽衣ちゃん。四方月さんにはどれくらい投与したの?」


 唐突に話を振られた芽衣は、そもそも池袋の夜のことを全く報告していなかった後ろめたさもあり、若干しどろもどろになりながら「たぶん、2ミリリットル、くらい?」と小さな呟きのような声で返答すると、美青は「ふぅん」と短く頷き、視線を落としたレポートのページをまたひとつ捲った。

 そうして読み終えると、それを机の上に戻して両腕を組む。おおきなふたつの塊が組まれた腕で僅かに持ち上がるその挙動を、航の目は見逃さず、そして望七海の左手の指はそんな航の太股ふとももを摘んで捻り上げる。


「い、一応――戦闘行為は避けたつもりです。街中で堂々と異術を行使しているのを見かけたので、注意しようと追いかけたところ、俺にも虫を飛ばしてきたので……自分では完全に避けたつもりだったのですが、何匹かもらっていたようでした」

「そう――ちなみに四方月さんって、四方月家の四方月さんでいいですか?」


 その問いに航の眉根が微かに動いたこと、そして航が纏う雰囲気が少しだけひりついた感触のものになったことを、航以外の三人は即座に察する。――望七海はその付き合いの長さから、その問いが危険であることを知っているため。芽衣は、卓越した直感でもって。そして美青は、半ばそうなることを予想して。


「そうですね、その四方月です。――とは言っても、俺は分家筋ですけどね」

「やっぱりそう。私も分家の生まれなんだけど、親近感湧いちゃうなぁ。宗家と比べられるのって、すっごい嫌じゃなかったですか?」

「今でも嫌いですよ」

「へぇ、私はもうどうでもいいと思ってますけど」

「それはあなたが、宗家の人間より優秀になってしまったからでは?」

「四方月さんは違うんですか?」

「喧嘩売ってるんですか?買いませんよ?」

「やだ、怖ぁい――一介の魔術士風情が図に乗るなよ?」


 その殺気に反応して、航は座っていたソファからその背凭れの後ろに文字通り跳び上がると同時に、両の手首に装着している腕時計型の術具に意識を通す。

 そうして一人臨戦態勢になった航を、何も変わらない女神の笑みで美青は見つめ首を傾げた。


 ソファに座り、前傾姿勢で膝に置いた両腕を組んで握っている航を。


「――どうしました?」

「いえ……」


 室内は空調が効いており涼やかだ。だというのに航には、額と首筋、背中に冷えた汗溜まりが感じられる。


(今――俺は、ソファから跳び退いた筈だ)


 突如様子のおかしくなった航を、望七海は心配げに眺めている。その様子を目にした芽衣も、何をしたのかと問う視線を控えめに美青に差している。


「あはははは――っ」


 航の様子に堰を切ったように笑う美青は、ひとつ咳払いをして、自分に向けられる三つの奇異の視線に女神の笑みを返す。


「ごめんなさい、ちょっと、面白そうだったのでからかっちゃいました」


 チャリ、と白衣のポケットから取り出した懐中時計を見せる美青。そこから仄かに霊銀ミスリルの残滓を“視”た航は、恐慌した者の笑みに表情を歪めて美青を見つめた。


「何をされたかさっぱりですよ――流石“魔女”ですね」

「いえいえ、まだまだ全然序の口も序の口ですよ?」


 航だけが唾を飲む。芽衣と望七海はそもそも、二人のこのやり取りの間で何が起きたのかすら知り得ていない。


「一応言っておきますが……この国において他者を対象にその同意なしに魔術を行使することは犯罪ですよね?」

「そうですね。でもそれは、魔術を行使された痕跡が認められなければ立件できませんし、学会スコラは私との契約で私の術具の行使履歴ログを私の同意なしに閲覧することはできません。また、四方月さんの仰った犯罪になる件は、“異界内でのあらゆる事象はどの国のどの法律も適用されない”と国際魔術士法に明記されています。知ってました?この部屋、一応私の創った異界なんですよ」


 その言葉を聞いて慌てて部屋の中を見渡す望七海を気にせず、航はこめかみを指で抑えながら美青に更なる追求を紡ぐ。


「その国際魔術士法において、異界を創造することそのものが犯罪だとも明記されていますが?」

「え、知らないんですか?私、魔術学会スコラから“異界創造許可”もらってるんですけど?」


 異界内で行われたあらゆる行為は、それが例え重大な犯罪行為であれどの国のどの法律も裁くことが出来ない。だから、異界を創造することそのものが重罪となる。

 しかし一定の条件を満たし、学会スコラから“異界創造許可”を得た魔術士に対しては、異界を創造することで断罪することは出来ない。


 常磐美青――36歳という若輩ながらもこの稀代なる魔術士は、“異界創造”の業を修め“魔女”という認定を受けたにも関わらず、魔術学会との契約により“異界創造許可”を得たことにより、孔澤アナザワ流憧ルドウに比肩する名の知れた魔術士となった。

 それだけでは無く、一つの系統を極めたとされる魔術士に学会スコラから贈られる称号“術師号ワークス”を冠する、世界に十人といない“魔術師ワークスホルダー”。


 それが“時空の魔術師クロックワークス”にして“羅針の魔女クロノス・ウィッチ”――常磐美青なのである。

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