Track.1-24「異世界に行っておなか痛くなって帰ってきたって話、する?」
幾人もの魔術士が
丸く渦を描いて開いた
「四方月君!無事でよかった!」
「あ、支部長――お疲れ様です!」
航は五指を揃えた右手を額の高さまで持ってくる挙手敬礼を行うと、それに対して森造も挙手敬礼を返す。
「こちらが
「ええ。森瀬です」
そうか、と呟いて芽衣に目を移した森造は、何か思案気な表情を一瞬灯したが、すぐに安堵の笑みを浮かべて芽衣に「災難だったね。でも君も無事で良かった」と告げた。
短く謝意を返した芽衣は、何だか落ち着かない様子で隣の航を見上げた。
「何か、足がすーすーする」
現在芽衣の着ている黒いワンピースは、間瀬奏汰の行使した魔術によって編まれた幻像だ。視覚情報をしか持たないそれは、触れようと思えばすり抜けるし、風も通す。幸いなのは、芽衣の動きによって普通の衣服と同じ挙動を取ることか――膝を持ち上げれば、その簡素な裾が持ち上がる、という風に。
「これ、
「いや、知らん。一時間とかそのくらいじゃないか?」
魔術は系統が違えば丸っきり別の学問だ。中には例えば、方術を源流として派生した斬術というような、親子の関係にある系統もあるが、方術を修める航には、奏汰の使う光術のことは一切解らない。だから、感覚的にそれがどの程度の時間持続するかなどという問いには、適当に答えておく、くらいの選択肢をしか持ち合わせていない。
「そう言えば学校に予備とか置いてないのか?」
「あるわけないじゃん。それにあたし早退したはずなんですけど」
「そらそうか。戻ってきたら変だもんな」
そんなことで思案する芽衣だったが、突如遠くを見つめて目と口とを大きく開き声を上げた。
「
航が顔を向け、森造が振り返ると、10メートルほど離れたところに異界入りする前の芽衣と同じ制服を着た女子生徒が立っていた。
低い位置で二つ結びにした黒髪を揺らして振り返ると、その制服が在籍していることを示す星百合学園の
「森瀬先輩――どうしたんですか、その服」
駆け寄った芽衣は、小声で
「ああ、そういうことでしたら、私、ちょうど
「ごめん……」
「大丈夫ですよ、先輩。私、先輩のお願い事は基本的に
少女の掛けている眼鏡がきらりと西日を反射し、鞄とは別に持っていたスポーツバッグから赤色に白いラインの入った上下の
芽衣はそれを受け取ると、辺りを見渡した後でズボンを履き腰の紐を結ぶと、本来着ているはずの胸から下が破れ去った制服のシャツの上から
「え、ここで着替えるの?」
「支部長。最近の女子高生はこうですよ」
「え、だって星百合生でしょ?」
堂々と人目のある中で着替える芽衣の行動に目を丸くする森造に、航はどこから仕入れたのか判らない一般論を流布する。
そうして芽衣が黒いワンピースの映像を邪魔に思いながらも手探りで上着のファスナーを締めたところで、賦与された視覚情報の魔術は唐突に
(なるほど――解除式に条件を設定していたのか)
おそらくは芽衣が着替えたら術が解除されるよう仕組んでいた奏汰の細かい気配りに航は感嘆しながら、上下赤い
「森瀬、一応家まで車で送っていこうと思ってるが、どうする?何なら
二人は顔を見合わせ目配せした後で、「自分で帰れそうなので大丈夫です」とその申し出を断った。
「そうか。ああ、一応家に着いたら電話くれ。さっき渡した名刺に俺の
「え?」
「途中で倒れたりしたら困るだろ?安否確認だよ。あと、明日は学校休め。検査しろ。病院紹介してやるから」
聞きながらほんのりと
「私が同行するので、何かあったら私から連絡しますよ。勿論、お
「そうしてくれると助かるよ……えっと、」
「申し遅れました、森瀬先輩の後輩で、星百合学園1年生の、
丁寧に頭を下げる心に対し、航と森造も頭を下げる。
「株式会社クローマークの石動です」
「同じくクローマークの四方月です。ちょっとどういう事情かは判らないと思うけど、こっちも秘匿義務っていうのがあるから、」
「あ、大丈夫です。ちゃんと後で、先輩から聞きますから」
「ああ――うん。それもそれで困るんだけど……まぁいいか。口外しないでくれな」
ボリボリと頭を掻く航に、愛想良い笑顔を返した心は再び芽衣の右腕に抱きついて帰途を促す。
「それでは、ごきげんよう」
「うん、ああ……ごきげん、よう……」
ルンルンという擬態語を当てたくなる様子の心と、特段それを気にしない芽衣とが駅の方向に向けて歩いていくのを、航と森造の二人はぽかんと見送った。
「ごきげんようって、やっぱり言うんですね。都市伝説かと思ってました」
そんなことを呟く航と、うんうんと頷いてそれを聞く森造。
やがて見送る背中が見えなくなると、森造は航に帰社を指示し、自らは閉門まで現場に残ることを告げる。
星百合学園の駐車場に停めてあった黒いワゴン車に乗り込んだ航は、疲れから来る首と肩の凝りを解すために首を二度ボキっと鳴らしてエンジンを始動させる。
長い一日だと嘆息して、しかし報告書を纏め上げなければならない憂鬱に、
それからおよそ、一時間後。
後輩を引き連れ、一人暮らしのアパートの部屋に無事帰宅した芽衣は、部屋に入るや否やワンルームの四割程度を占領するベッドに半ば倒れ込み、直ぐに寝息を上げる。
心は跳び上がりそうになりながら、それを「か、可愛い……」と、左手に取り出したスマートフォンでパシャパシャとその寝顔を撮りだすも、すぐに鳴り響くインターホンの音に静かな表情になり、迎え入れるのを待たずに扉を開けて入ってくる芽衣の“戦友”の姿に嘆息した。
「何だよ、一応ピンポン押しただろ?」
「押したんなら迎え入れるまで待つのが普通なんですけど」
「うるせーうるせー。芽衣は?あ、寝てんのか。じゃあぱぱっと作っちゃいますよー、っと」
「手伝いますよ」
「おう、サンキュ」
「何作るんですか?」
「肉料理」
そして日が完全に落ち、揺り起こされた芽衣は、テーブルに所狭しと並んだ肉料理の数々に口内の涎の量を増やしながら、戦友と後輩に向けて感謝のいただきますを唱える。
表情は変わらないながらも舌鼓を打ち、ある程度食事も進んだところで、戦友と後輩は、情報の入手源が不明な、芽衣の異界入りの話をせっついた。
「別に楽しい話じゃないし、何でそんなに聞きたいのか判んないけど、じゃあ――」
待ってましたと言わんばかりに、戦友と後輩の顔が明るくなる。
その様子を納得がいかないとでも言うような顔で見つめる芽衣は、しかし嫌そうではない口ぶりで言葉を紡ぎ出す。
「異世界に行っておなか痛くなって帰ってきたって話、する?」
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