Track.1-12「素人に何頼んでんの、って話だし」

「“自決廻廊シークレットスーサイド”――」


 その頼みを聞いてすぐ、あたしは自分の異術を展開した。

 右手に握る蜂鳥ハチドリ実装パーミッションを唱え左腕を斬り付けたけれど、朝からどうにもならない貧血具合で傷口から舞い上がる赤い羽虫たちの数に不足感が拭えない。


 それでも、頼まれたのだ。あたし自身、こういう実戦の場を望んでもいた。

 やれない理由はあるかも知れないけれど、やらない理由はひとつも無い。


「……何つう術名だよ」

うるさい」


 あたしだって気に入ってるわけじゃない。ただ、この異術を初めて認識した時に、何となくそういう名前なんだと思ったんだ。


「あたしに構ってる暇あったらさっさと終わらせてよ。素人に何頼んでんの、って話だし」


 毒づくあたしに、四方月さんは溜息混じりに「へぇへぇ」と返して集中を始める。

 頼まれた任務は――四方月さんがあの気色悪きしょい化物をぶった切る術式を組み上げるまでの間、あたしが囮役デコイとして立ち回る、というものだ。

 正直言ってぶっちゃけ、死ぬ予想図イメージしか無い。

 一応、四方月さんから【防護膜シールド】をもらってはいるから大丈夫だと思うけど――


「やる、やる、やれる、やれる、できる、できる、あたしはできる――」


 理想の動きを脳内に投影トレースしながら鼓舞の言葉を繰り返す。

 息を吐き、吸って、もう一度吐いて。

 両頬を張って、気合を装填する――勿論、それで緊張が解けるわけじゃない。


「――行ってくる」


 あたしの後ろで胡座あぐらを掻いて瞑想する四方月さんからの返答は無い。

 それだけ切羽詰っているということだろう。

 でも、それだけ信頼してくれているってことかもしれない。――それは無いか。


 四方月さんのことはこの際どうでもいい。

 出会って二日目の人を信頼するのもどうかと思うし、こういう状況だからしないのもおかしいと思う。

 お互いにまだ“知り合い”ですら無いんだ。名前くらいしか知らない赤の他人だ。


 だから、この場はあたしの実験の場だ。そういうことにする。

 偶々たまたま巡り巡ってきた、願っても無い実戦検証の場なんだと。


 あたしはあの日、魔女を殺してから訓練を積んできた。

 武道を嗜む戦友に師事したことで、今や毎日が格闘技漬けだ。

 帰宅部にしか入部したことは無かったけれど、体を動かすこと自体は嫌いじゃなかったあたしは、戦友と一緒に色んな街を駆け抜け回った。

 パルクールに慣れてからは、すれ違う外国人観光客から「ワウ!クノイチ・ガール!」と喝采されたこともあった。

 魔術士だということを公表していない後輩に頼み込んで、異術の訓練に付き合ってもらったりもした。


 二人と実戦訓練もそれなりに積んだ。


 戦友の実家は空手道場で、人生の九割を空手とともに育った戦友は武道の達人で。

 色んなことに真剣に向き合って、真剣に悩んで、乗り越えようと努力する人で。

 あたしとは反対にいつだって笑顔で――違うか。あたしがこんなんだから、あたしの分まで笑ってくれてる、そんな素敵な人だ。


 後輩は魔術士の家に生まれたけれど、魔術士の生き方を望んでいなくて。

 それでも才能を持って生まれてしまったから、魔術士としての生き方と魔術士以外の生き方の両立に臨んでいて。

 人付き合いが苦手そうで生き辛そうなところに共感できる部分がたくさんあったりして。


 あたしたちは――って、何だ、この独り語りモノローグ長くないか?


 赤い羽虫はすでに群れを成して進撃を開始している。

 あたし自身もすでに走り出して、真っ直線にあの巨大な異形に肉薄しようと蜂鳥を握り締めている。


 ――おい、何で羽虫が灰色だ?

 あの化物の紫色は何処に行った?

 何でこんなに、何も聞こえな――


「――、―――――――!」


 色と音が無くなり、やけに鮮明に見えるスローモーションの景色の中で、異形の背中に亀裂が走り、複雑に絡み合った骨の槍が何本も飛び出してきた。

 それは羽虫を嘲笑うように蹴散らし、まだ五歩も進んでいなかったあたしにも降りかかる。


 このスローモーションの景色の中でそのスピードは異常だ。

 走馬灯だろう研ぎ澄まされた知覚はその鋭角な先端を捉えるけれど、すでに走り出した慣性が働いたままの身体はそれを躱しきれる想像イメージに乏しい。


 考えろ。考えろ。考え抜け。

 走馬灯っていうのはつまり、過去の体験からヒントをもらう防衛本能だろ。

 今しがたあたしは、戦友と後輩の二人のことを想起していた。

 二人に何を学んだ?二人は何て――


『やばいどうにもなんねーって思ってもとりあえず頭だけは守っとけ』

『先輩、正面からもらうのが一番まずいですよ?』


「―――――!!」


 蜂鳥を手放して両手で頭を抱えるように守って、あたしは滑り込むように思い切り前方に跳躍ジャンプした。

 地面を転がる間にいくつかの骨槍があたしの体に突き立ったけれど、四方月さんの施してくれた【防護膜シールド】がどうにかあたしを守ってくれた。

 でもそれも一瞬のことで、激しい金属の衝突音とけたたましい破砕音を響かせて【防護膜シールド】は消滅する。

 あたしは勢いよく倒れ込んだことによる擦過傷と打撲、そして骨槍が掠めた切傷を受けて立ち上がり、その傷口から湧き出る薄い血を再び羽虫に変えてバラ撒いた。


 そこからはもう、我慢比べだ。


 走り、曲がり、跳び、しゃがみ。

 壁を蹴り、地に手をつき、跳ね、滑り込み。

 身をよじり、体を反らし、宙でひるがえり、刀で逸らし――


 パルクールで培った立体的な機動と、戦闘訓練で身に付けた回避行動とを組み合わせながら、反射神経で致命傷を躱していく。

 その度に掠り傷や小さな切り傷が増えていったけれど、その分赤い羽虫が舞い上がった。


 あたしの【自決回廊シークレットスーサイド】は、相手に羽虫を取り込ませた分だけ相手の攻撃本能を増幅させる。

 憎悪が昂ぶった人間はやがて理性的な行動を取れなくなる。その動きや攻撃は段々と単調なものになる。

 馬鹿みたいに骨の槍だけを繰り出して、肉の腕を伸ばすことを、張り付いた天井から動くことを忘れているのはその証左だと思う。

 あいつだって、もとは人間だ。あたしと同じ、ただの人間だったんだ。


 もう体の強張りは無い。

 縦横無尽に駆け回って、攻撃と意識を全部引きつけて、それを全部いなすだけ。

 簡単なことじゃないか。やってやれないことなんてない。

 こうなってくるともはやダンスだ。スポットライトは無いけれど。音楽と喝采の代わりが怨嗟と呪詛だけれど。


 あたしの、独壇場オンステージだ。

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