Track.1-5「知らない人に着いてくなって言われてるんで」

『おまえ ふけれ』


 戦友からそんなメッセージが届いたのはちょうど昼休みだった。

 昨晩の関係で朝から貧血気味だったあたしは、その後に舞い込んでくるメッセージに戦々恐々となりながらも戦友の意思に賛同することにする。

 ちょうど、落し物も探しに行きたかったことだし。


『鹿取から聞いた』

『後輩に心配させるとは何事だ』

『あとオレ抜きで実戦すんな』


 矢継ぎ早に叩き込まれるメッセージを、あたしは保健室のベッドに横になりながら眺める。


『死んだら終わりだぞ』


「……あたし、たぶん死なないけど」


 思わず、尖らせた口から言葉が漏れ出る。

 身体を預けるマットレスがシーツ越しに温まっていくように。あるいは少しだけ固い枕があたしの頭の形に適応していくように。

 戦友の言葉はいつだって、じんわりとあたしの心に沁み込んでいく。


『体は大丈夫か

 血は足りてるか』


『大丈夫

 ごめん』


 短くそう返し、最近ダウンロードしたアイドルの音声付きのスタンプを送る。愛らしい声と抑揚で「ごめんなさ~い」と告げる、嘘泣きみたいな表情のやつだ。


『あとで家行くから』

『血足りてないだろうから肉焼くから』


 というか、授業中だろうに。

 何となくバツが悪くなったあたしは、スマホを閉じて目を瞑る。

 一時間だけ眠ったら帰ろう。池袋でちょっと探し物をして、お茶を切らしていたから帰り道のコンビニで買って帰ろう――そう決め込んで、自分自身を抱きしめるように布団の中で丸くなる。

 ふと右手に触れた左腕のザラつきを、懐かしむように指先でなぞった。

 昨晩の傷はもう瘡蓋かさぶたになり、その他の傷跡もほぼ塞がっている。いくつも出来た蚯蚓腫みみずばれの薄い段差をなぞりながら、段々と訪れる微睡にあたしは意識を預けた。



   ◆



 川が流れるのを見るのは好きだ。

 滞りの無い循環、そしてそれを確かめさせてくれるせせらぎの音など、なんだか心の淀みが解けていくような、言い得もしない感傷に浸らせてくれる。


 飯田橋駅に向かう川べりは、しかし川面との間に中央・総武線の線路レールが邪魔をするから嫌いだ。

 電車の長い車両が独特の音と震動を上げて通過する様は、せっかくの風情をぶち壊しにしてくれる。


 でもそれよりも、この眼前の状況こそどうにかしてほしいと思いに思った。思わずにはいられなかった。


「ほれ、落し物だ」


 もじゃもじゃイケメン魔術士。右手に差し出すは、あたしが昨晩落とした学生証の入ったパスケースだ。


「……ストーカー?」

「違いますぅ、ちゃんと学園側に電話してアポ取って返しに来たんですぅ!そしたらこっちの都合無視して勝手に早退しやがって、探すのも手間かかんだぞ」

「はぁ……ありがとう、ございます」


 取り合えずどうしようも無いので差し出されたパスケースを受け取る。裏表を確認し、ついでに気になったから匂いも嗅いでおく。


「何も変なことしてねーよ。むしろ綺麗に磨いたわっ!」


 何だろう。この人、ノリが合わない。


「じゃあ」


 告げて帰ろうとして、


「おいおい待てよっ!」


 すれ違いざまに呼び止められる。


「体調不良なんだろ?車で家の近くまで送ってってやる。話したいこともあるしな」

「いや、知らない人に着いてくなって言われてるんで」

「お前、異術士か?」


 唐突でまさかの質問に、あたしは思わず左腕の傷を右手で覆った。


「図星だろ?」


 何て返せばいいのか解らないまま口を噤んでいると、鼻で笑って魔術士は詰めてくる。


「お宅んとこの生徒さん悪い遊びしてますね、って、言ってもいいんだけど?」

「……それ、脅迫ってやつじゃないの?」

「交渉って言ってほしいな」

「……むかつく」


 あたしがそう言って睨むと、魔術士は鼻頭を爪で掻きながら「よく言われるよ」と苦い顔で一瞬目を逸らした。


「でもな、お前は自分がやってることがどれだけヤバいか解ってない」


 上から目線の教育口調――忌々しい物言いに、あたしが眉間に寄せる皺の深度を深めたところで。

 川面の線路レールを走る中央・総武線の千葉方面行きの先頭車両が、ちょうどあたしたちの真横を通過するその瞬間に。


 バギ――――ィィィイイインンン。


 幾層にも重なったガラスが割れたような。

 分厚く長大な金属板が断裂したような。

 形容するならばそうとしか言い表せない、地響きのように重厚で、かつ金切声のように鋭利な、その響きが鼓膜を劈いた。


 咄嗟に耳を押さえ身を屈めるあたしとは対照的に、魔術士は目を見開いて川面を凝視している。


「空間の破砕――“野良ゲート”か?」


 何やら右耳に手をやっていた魔術士は、はっとした表情をしてあたしに手を伸ばす。


まずい、巻き込まれるぞ!」


 そうして左腕を掴まれ、その胸に引き寄せられる。

 しかしあたしは、その肩越しに見る風景に目を釘づけにされてしまった。


 まるで本当にそこにガラスの板があるかのように。

 中空に白い亀裂が入り、伸びて空間を切り裂いている。

 中央には渦巻く暗闇と虹色の光。何重にも螺旋を描き、中央・総武線を握り潰しながら飲み込んでいく。

 空間を、景色を飲み込んでいく。

 そして徐々に空間が縮まっていく。

 飲み込まれて――川面も、木々も、人も、何もかも。


「“防護膜シールド”、展開っ!」


 魔術士が叫び、淡い光の膜があたしたちを包み込むも。

 伸びた亀裂に捕まり、あたしたちは極彩色の渦の中へと、ついには飲み込まれてしまった。

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