Track.1-6「俺は殺せなかったよ」

 まず目に飛び込んでくるのは、その荒廃した景観だ。

 緩慢に明滅を繰り返す青白い電灯。

 仄暗くも、それにより闇の中に浮かび上がるひび割れと欠け落ちた外壁と地面の瓦礫。

 前後に続く同じ構造と地を走る歪んだ線路レールが、ここがおそらく地下鉄の軌道であることを教えてくれる。


 鼻を衝く、鉄錆とカビの混じった独特な匂いにせながら。

 森瀬芽衣は眉根を寄せたまま、線路レールの先で動かない中央・総武線の車両最後尾を見つめている。

 わけがわからないという困惑と混乱とを仏頂面に被せる芽衣とは対照的に、七面倒臭いと舌を打つもすぐに気持ちを切り替えた航は、どうにかギリギリ芽衣と航とを護りきって磨り減った防御魔術を解除し、矢継ぎ早に新たな魔術を行使する。


「“固有座標域展開ボックスオープン”」


 白く煙る淡い輝きを放つ右手を振り、編まれた術式が航の眼前の空間にワイヤーフレームで構成されたホログラムのような光景を作り出す。

 鞘に納められた大小様々な刀剣や斧、槍や杖といった近接武器。その奥にはハンガーに掛けられたように宙に浮くいくつかの外套。そして足元には円筒状の何らかの機械。

 それを眺め、太刀と脇差を一振りずつ、そして円筒状の機械に振れ白い光を点すと、航は左手の指を鳴らした。


「“格納解除リリースアウト固有座標域閉塞ボックスクローズ”」


 フレームが揺らいで消えていくと同時に、光の点った三つは即座に色と質感とが宿り、現実味を帯びていく。

 その様子を困惑が増した表情で眺め呆けていた芽衣に対し、航は埃の堆積した地面に座す円筒状の機械のメインパワーを入れながら質問を投げかける。


「お前、異界入りは初めてか?」

「い、か?」

「異界入り」


 システムが立ち上がる駆動音が壁や天井に鳴り響く中、航は右耳のインカムのボタンを押す。


(そりゃあ、繋がんねーよな……)


 二度目の舌打ちをし、地面に転がった大小ふたつの刀を拾い上げながら、航は芽衣への質問を続ける。


「魔術士もしくは異術士との交戦経験は?」

「えっ?く、訓練程度なら、多少……」

異獣アダプテッドもしくは異骸リビングデッドとの交戦経験は?」

「あだ……何?」

「じゃあ、幻獣クリプティッドは?あー、あと、まさか無いとは思うけど、魔女との交戦経験は?」


 投げられた質問の意図はおろか、並べられた単語の意味すら曖昧な芽衣だったが、しかし最後に出てきた単語に目の色を変え、表情に点る困惑を後悔に変えて答える。


「――ある。魔女だったら、ある。たぶん、殺した」


 その言葉が二人の間にある静寂を支配した。

 セットアップを終え駆動音が切り替わり、漸く航は魔女を殺したと告げた少女を睨むような目つきを収めた。


「そうか。俺は殺せなかったよ」

「――え?」

「なんでもねー。これ、持っとけ」


 拾い上げた脇差程度の大きさを持つ武器を差し出す航。再度困惑しながら芽衣はそれを見つめ、そして航を見上げた。


「異界は俺たちのいる真界と違って大気中の霊銀ミスリル含有量が桁違いに多い。こいつは所持者の周囲の霊銀ミスリルに働きかけて、人体への定着率を多少やわらげる術式を組み込んでる。異界で活動する際の必需品だな」


 ややサイバーパンク的なデザインの脇差を恐る恐る受け取る芽衣。しかし金属製の鞘から刀を抜こうとしてもビクともしない。


「まぁ、俺やお前みたいな魔術士・異術士ってのは普通の人に比べて霊銀ミスリル耐性持ってるから、ここくらいの濃度なら大丈夫だとは思うけど一応な。お互いバケモンにはなりたくねーだろ?」


 説明を続けながら芽衣の様子を見て、航は立ち上がった円筒状の機械の天盤に自身の掌を翳す。


『認証完了』


 機械音声が鳴り、機械の前面――航との間の空間に、ホログラム状の制御盤コンソールが投影される。

 航は中空のキーボードを両手の十指で叩くと、芽衣を手招きした。


「そいつの名称は“甲種兵装・蜂鳥ハチドリ”。柄と鞘の両方に認証部分があって、使用者の認証が完了されないとそもそも抜けない仕様になってる。これから登録作業するから、ここに手を置いてくれ」


 芽衣は言われるがままに円筒状の機械の天盤に、先ほど航がやったように右掌を置く。


「いいって言うまで離すなよ」


 航は再度キーボードを叩き、やがて天盤が淡く赤色に発光し、それが橙、黄、緑を経て青色に変わる。


『登録完了――続イテ、声紋登録ヲ行イマス』


 機械音声がそう告げるのを聞き届けて、航は芽衣に喋るようジェスチャーで伝える。


「え?えっと……え、何話せばいいの?」

『登録完了。使用者登録ヲ完了シマシタ』


 戸惑い慌てる芽衣に「もういいぞ」と呼びかける。機械の天盤から手を離した芽衣は、不可思議がって再度蜂鳥の鞘と柄とに手をかけ力を込めると、今度はあっさりと抜けて勢い余ってよろけてしまう。


「え、でもこれ、刃、無くない?」


 鞘を握る左手の指で刀身に触れながら疑問を放つ芽衣に、航は自身の太刀型の武器を抜いて見せた。


「見てろ――“刺羽サシバ実装パーミッション”」


 起動式ブートワードを唱えると、航が握っていた太刀型の甲種兵装・刺羽の刀身――刃にあたる部分に青白い光が点る。光は瞬時に消えてしまうが、先ほどまでただの均一な厚さを持つ金属板に美しい刃紋が広がっていた。


「武装を解く時は“終結ターミネイション”だ。鞘に収めれば自動的にオフになるけど。ちなみに、日本刀の扱いは?」

「……初めて」

「だろうな。じゃあ、慣れるまでは必ず武装解除してから鞘に収めろ。納刀時に指切るからな。まぁ――使わないに越したことは無いんだけど」


 解除式シャットワードを唱え、刺羽を鞘に納めた航は腰のベルトに鞘を連結させる。

 無論そのような機能を持つベルトなどしていない学生服の芽衣は、口をやや尖らせながら鞘に収めた蜂鳥を両手でぎゅっと抱き締める。


「ああ、“追尾機能開始モード・ホーミング”って言ってみろ」

「え?……“蜂鳥、追尾機能開始モード・ホーミング”」


 唱えると、両手に収まっていた蜂鳥は振動し、「わっ」と驚いて手を離すと中空に舞い出す。

 現在の使用者である芽衣の周囲を高度を変えながらまるで衛星のように旋回していたと思えば、左腰から僅かに距離を置いた位置――手を伸ばせばいつでも鞘を掴める位置に、空中であるというのに静止した。


「え、すごっ――」

「だろ!?これうちの今の最新技術なんだけどさ、いやー、もう、術式組み合わせるのすっげー疲れたんだよ!」


 驚いた自分よりも声を上げ、まるで子供のようにはしゃぎながら話す航を見て芽衣は口を塞ぐことが出来なかった。

 その様子を見て落ち着いた航はひとつ咳払いをし、モッズコートの内側のポケットから革製の小さなケースを取り出すと、開いて中から一枚の名刺を引き抜き、芽衣に差し出した。


学会スコラ認可の民間魔術企業、株式会社クローマーク技術開発部の方術士ほうじゅつし、四方月航だ。真界に戻れるまで、俺はお前と協力してここから生還することを最優先に動く。よろしくな、森瀬芽衣、さん?」

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