Track.1-3「お前さぁ」

 まずった。完全にミスった。

 どう見積もっても大袈裟おおげさに切り過ぎだ。勢い余りまくった。


「ずろぉぉぉおおお、ごぉぉぉおおおっ、どづぅぅうううぅぅぅ!!!」


 後ろからは相変わらず、付かず離れずの距離で怒号に似た咆哮が響いている。

 勢い余り切り過ぎた左腕から迸った夥しい量の血潮は、その殆どが赤い羽虫となってド変態に飛び交い、その能力を余すことなく発揮しきった。


 【自決廻廊シークレットスーサイド】――あたしがそう呼ぶその異術が持つ特性はふたつ。

 まずひとつは、自分の体外に排出された血液を赤い羽虫へと変貌させ、対象にぶつかって溶け込むことで対象が持つ攻撃本能を増幅させる。

 そしてもうひとつが、増幅させた攻撃本能の矛先を、能力を行使したあたし自身に置き換え固定する、というものだ。


 この異術の効果は、あたしが流した血の量と正比例する。

 あたしは、本来“実証”に必要である量の倍の血液を消費してしまったのだ。


 目覚めたての頃は対象を選択できなかったり――今はどうにか制御できているけれど――こうして羽虫として消費する血液の量を調整できなかったりと、本当に、本当に厄介極まりない能力だと思う。


 それでも、あたしにはこれが与えられたのだから。

 これを、“もうひとつ”と併せて、有用で有効な武器に昇華させなくてはならない。

 でも今夜も、その“もうひとつ”の実証は難しいだろう。


『発動しなかったらどうするんだ?そのまま約束とやらも果たせず野垂れ死にか?』


 そう言ってくれた戦友の言葉を脳内で反芻し、あたしは周囲の状況を視界に収める。

 駅や大通りから離れるように走ってきたことですっかり人気は無い。あるのは夜の住宅街の静寂と、監視カメラは無いという情報だ。


 車道の真ん中に息を切らして立つあたしを、人の形を保つ野獣と化した男は変わらずにえながら走り迫ってくる。

 戦友から教わった通りの左構えオーソドックススタイルを取る。


 男の身長は180センチくらいだろうか。対するあたしは、150センチ台半ば程度しかない。

 すでに見た通りその体格は筋肉質で太い。対するあたしは、実に華奢だ。まだまだ細い。

 怖い。

 心細い。

 恐い。

 戦友に、やっぱり一緒に来てほしかっただなんて、今更、本当に今更思ってしまう。


 そんなあたしの情けなさを断ち切るように――そいつは、現れた。


「悪いけど寝ててくれよ、っと」


 言うや、ドズンと鈍い衝撃音が僅かに響いてド変態が地面に両膝をつき前のめりに倒れた。時折痙攣するその様子は、まるで何をされたのか判らない。

 ただ判るのは、その直前――瞬間、現れたと思ったらド変態の腹部に掌を当てていた誰?がおそらく魔術を行使したのだろうということだ。

 無論、何をどう行使したのかなんて、解りっこない。


「お前さぁ」


 降って湧いたように現れた男が振り向く。

 ド変態に比べるとやや細身だが、引き締まっていることが見て取れる長身。髪の毛はもじゃもじゃしているが、あたしの感性が鈍っていなければおそらくイケメンと言っていいだろう。


「街中で異術ぶっ放すとか、何考えてんだ?」


 その幅広の二重瞼の下で鋭い眼光を放つ双眸があたしを捉える。

 モッズコートの袖から覗く右手は淡く煙る白い光に包まれている。

 あたしが状況を整理できず険しい顔で呆けていると、モッズコートの魔術士は淡い光を纏う右掌をあたしに向けた。


 攻撃される――本能で直感したあたしは、咄嗟に構えていた左腕を畳み、半ば固まってきていた傷口の赤いラインを右手の爪で引っ掻いた。

 薄皮が剥がれるように赤が滲み。

 赤い羽虫が狂ったように舞い飛ぶ。


「ちょっ、マジかぁっ!?」


 殺到する虫の群れに、魔術士は一足飛びで後退すると左手を突き出す。


「“座標転換シフト”!」


 指を鳴らす音が響き、魔術士の姿が消失する。同時に、標的を失った羽虫たちも霧散する。

 直後、後方約5メートル付近から聞こえてきた「ザリッ」という靴音に振り返ると、すでに魔術士は走り出していた。

 あたしは未だ血の滲む左腕を突き出して再び羽虫たちを射出する――流れる血が止まってきているのだろう、羽虫はド変態に殺到した時の5分の1程度まで減少している。


「“座標転換シフト”!」


 虫がその表皮に到達する前に再度指を鳴らし、魔術士は今度はあたしの左側2メートルの位置に転移した。

 距離的に、今度は羽虫たちも標的の場所を再認識し宙を切って襲い掛かる。

 それでも羽虫たちが殺到するよりも、あたしが地面を蹴って遠ざかろうとするよりもはやく肉薄した魔術士は――立ち上がり固く握りしめた拳を振り上げるド変態とあたしの間に割り込む形になってしまう。


「ごろろるるるるろろろろろおおおおおお!!!」

「マジかっ!?」


 固いもの同士がぶつかり合う、聞き心地の悪い衝撃音とともに魔術士の身体が錐もみしながら地面を転がっていく。どうやら、あの緊急回避転移魔術は間に合わなかったらしい。

 しかし男もまた、拳を降り下ろし過ぎて流れた身体が頭からアスファルトの路面に突っ込んでしまった。そのまま大きく前回りのように回転し、顔面を真っ赤に染めながら立ち上がる。


「ぐぶ、ぐぶぶぶぶ・・・ごろず、ごろづ、おがずがづづががづず、ぶ、ぶこ、ぶごばずずづづ」

「寝てろ、っつったろ」


 激高した表情で魔術士がド変態の肩を掴む。しかしもとより筋肉の総量が上回り、さらにあたしの異術で身体能力を強化されているド変態は難なくそれを振り払い、あたしへと歩み寄る――見ると、右の足首が変な方向に折れ曲がっている。


「ぐぼおおおぁあぁわあああああおおおおおおお!!!」


 咆哮を放ち、飛び掛からんと身体を屈め力を溜めるド変態

 その身体が伸び、跳躍をもってあたしへと襲来しようとしたその時、指を鳴らして転移魔術でド変態の真横に跳んだ魔術士は、右手に纏う白い輝きを増大させてド変態の脇腹に拳を打ち込み叫んだ。


「“爆震ブラスト”オオオオオオオオ!!!」


 魔術士の拳が脇腹にめり込むと同時に、空間が爆ぜたような轟音と震動、そして衝撃が辺りを劈いた。

 ド変態は空中で三度ほど乱回転し力なく地面に墜落する。もしかすると死んでいるのかもしれない。ぐったりとして、起きる気配をまったく見せない。


 しかしぐったりしているのは魔術士も同じだ。もう光を纏っていない右手で、ド変態に殴られた左肩を抑え、嗚咽のような息を吐いてゆっくりとこちらに振り返る。


 先ほどとは違う、ここしかない、という直感が舞い降りたあたしは、疲労を表情に宿す魔術士の正面に走り寄り、そして思い切り右足で蹴りこんだ。


 股間を。

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