2nd:休む二人は、オアシスに降りて

「ちょっと、休憩しましょう」

「……はい」


 青ざめた顔の短い返事。スリルでは片付けられない危険なドライブと繰り広げられる一方的な殺戮が終わりを告げると、いよいよ麗も自身の置かれた状況を認識していく。

 このまま逃げて解決するのか。もし捕まったら、酷いことじゃ済まないんじゃないか。逃げ切れても、どうやって生きていけばいいんだろう。解答のない問いが頭を渦巻く。

 他方で慧はなに食わぬ顔で休憩なんてするものだから、自分を助けてくれたことも、付き合おうだなんて言ったことも実は全てが夢だったんじゃないかと思えてくる。

 どこかでこっそり逃げ出した方がいいんじゃないか──そんな選択肢がよぎるが、周囲を囲まれたここではチャンスもなく、諦める他なかった。


 二人は今、横浜市鶴見区の大黒パーキングエリアを訪れている。

 右に三百六十度以上、ぐるりと大回りに降りた地上。空にはオレンジの道路照明に彩られた幾重の道路が渦を巻いていて、まるで都会の底のよう。仄明るく照らされた駐車場の中心には、黒水晶のように夜をたたえたガラス張りの塔がそびえている。平日の深夜とあって、広い駐車場のほとんどは空だ。


「凄いところですね……」

「そうでしょ? いいよね、夜のパーキングエリアって」


 ──深夜のパーキングエリアの空気感が好き。

 そんな話題をインターネットのまとめサイトで見たことを思い出す。

 なんでも、自販機で飲むコーヒーがいいとか。

 しかし麗には、両親に連れてきてもらった記憶は存在しない。コーヒーも別に好きではなく、むしろ苦手なくらいだった。


「……あたし、来たことなくて。何がいいんですか?」

「よほどの物好きは別として、ここは人々にとって目的地にはならないからね」


 ただの通過点でしかないここで、未来に想いを馳せる人々を眺める。自分が飲んでいるのはコーヒーなのか、あるいはその光景に加わることができないことへの苦い思いか。

 そんなセンチメンタルな気分に浸れるのが、魅力の一つなのかも。

 語る慧に手振りで降りるよう促され、ヨロヨロと這い出る。


「その気持ちは、分かりそうにありません」


 ──そんな、満たされた人が娯楽で得る感傷は、ただの傲慢だ。あたしはずっと一人で、そんな気持ちをいつも抱えてきたっていうのに。それを自分から欲しいだなんて。


「最初は分からなかったわ、私も」

 そう思える時が来るまでには、色々とあったわね。


 後方へと歩いていく慧に車のフロントを回り追おうとすると、まだ艶やかな助手席側のボディに映る自分と目が合った。


 ──でも、今だけはあたしも、一人じゃない。


 せめて、目的地があるように。明るい未来があるように。

 口角を指で上げて笑顔を作ってみるが、映ったのは張り付いたような不自然な顔。


 ──分かってる。あたしには無理なんだ。


 両手で頬を叩くと、痺れるような痛みに泣きそうになってしまう。


「どうしたの?」

「……いえ、別に」


 振り返ってこちらをうかがう慧の後について、円の北端にある青と白のロゴが目印のコンビニエンスストアに入った。二十四時間変わらない陽気な店内放送に、深夜スタッフの拙い日本語。どこで入っても変わらない光景には、少しだけ安らぎを覚える。

 麗は入り口の近くにある低い飲料ケースから一本の缶を手に取った。マットな黒地に、艶のある金色で描かれたトライバルデザインの虎の顔。人気のエナジードリンク『トライバルエナジー』通称『トラエナ』。慧は左の掌を見せ、目を細めた。


「いいですよ、これくらい払えます」

「これでもお姉さん、それなりに貰ってるのよ」

「そう得意げに言われると、払わせてやりたくなります」


 むくれた顔で缶を渡すと、にっこりと微笑んでレジへと歩いた。


 片言の挨拶を背に店を出る二人。慧は缶を差し出しつつ、少しだけ困った顔をした。


「これ、好きなの?」

「はい、ケミカルな甘さが。別に飲んでるとカッコいいとか、そんなんじゃないです」

 飲まなくたってどうせよく寝れませんし、と吐き捨てる。

「もしも……本当にもしもなんだけど、私がやられた時に困るかも知れないから。この戦いが終わったあとの乾杯まで、とっておいてくれるかしら」

「これに何か問題があるんですか?」


 タイトなデニムのレギンスから取り出した、アルミシートにクリアレッドのブリスター。中には円い錠剤が揺れている。


「【超閾者】の切り札として『ニトロ錠』って薬があるんだけど、それと一緒に飲むと副作用が強まるのよ。一応、効果も高くはなるんだけど」


 ニトロ錠──正式名称は『超閾ちょういきのう亢進こうしん舌下ぜっかじょう』。ニトログリセリンを含む錠剤で、一時的に【超閾】を著しく増強するが十数分の効果が切れると昏倒する、諸刃の剣。


「私が動けなくなって、どうしても困ったら使ってほしい」


 差し出されたそれを一瞬躊躇ってから受け取り、ポケットへと突っ込んだ。


「……お金払ってないですから。断る理由はありません」

「ありがとう。『もしも』がないように頑張るね」

 代わりにと、手に持った紙コップを渡してくる。挽きたての香りが湯気に乗って鼻まで届くが。

「コーヒーは苦手なので結構です、慧が飲んでください」

「そっか、ごめんね」


 眉尻の下がった笑顔で、差し出したコーヒーを引っ込める。


 ──ちょっと意地悪だったかな。でも、慧だってずっとあたしを困らせるんだから。


 それに、【超閾】は嫌い。あたしの存在を否定しただけじゃなく、使うと人間じゃなくなってしまいそうだから。


 足早にドリンクホルダーにトラエナを置き、来た時から気になっていた、駐車場の南側にあるガラス張りの塔に近づいてみるが。


 轟音を連れて、二人の周囲に乱雑に停まる三台の車。

 そこには三叉槍を掲げた鋭い目つき。獲物を前にグルル、と喉を鳴らすような排気音。


 ある者は静かに、またある者は乱暴に車から現れる。

 気付いた時には、青い輝きが既に慧の右手にあった。


 そして男たちの後方には、麗が初めて見るもう一台が。

 極端に背が低いボディはうねるラインを描き、毒々しいまでに鮮やかな黄緑色スネークスキン・グリーンのメタリック。

 鋭いヘッドライトの向こうにある長いボンネットには、肋骨を思わせる並列のエアベント。暴力的だが重厚なエキゾーストノートは恐竜を思わせる。

 |5th Gen Dodge Viper [Phase VX I]《五代目 ダッジ・ヴァイパー》──米国産のスポーツクーペ。乗用車としては規格外の排気量8,400ccを誇り、一線級のスーパーカーとも渡り合える性能を持つ。

 その左ドアから出てきたのは、ダークグリーンのスリーピースを着た男。服の上からでも分かる痩躯そうくに、慧より頭一つ以上高い身長。


「……【毒蛇】サーペント久留くる

「やぁ町野さん……裏切りとは、感心しませんねぇ」


 慇懃な調子に反して、懐から慧に突きつけるのは大型のリボルバー式拳銃。錆びた銅が成す緑青色のコルト・パイソンはどう見ても尋常のものではなく、男の【超閾装】。


「裏切り?金の分だけ働いたまでよ」

「あの程度の殺しにしては、随分法外な料金を請求する御方ですねぇ。私は今まで?」

 まぁ、僕もあなたとはそろそろサヨナラしようと思っていたので、心の痛まないタイミングで何よりです。顎を上げて見下ろす顔。裂けたような大きな口でニタリと笑うが、黒目がちな瞳には一切の感情が見えない。

 その顔のまま、久留我は続ける。


「お嬢さんもいけませんねぇ。折角あなたをご両親から頂いたのですから、せめて金額分は働いていただかないと」


 底の見えない眼に怖気おぞけが走る。


「あと、お嬢さんのご両親ですが。今一つ信用できない方々でしたのでご退場いただきました」

「……!」

「あなたもせいせいしたでしょう? 娘を売る両親なんて、碌でもないのですよ。むしろ、僕に感謝して欲しいくらいです」


 慧は隣で黙っている。怒りだろうか、拳銃を握る手が震えている。


「楽しいお話はこれくらいにして。町野さん、貴女がどうして光嶺さんを連れて行こうとするのか甚だ疑問ではあるのですが、返して貰いますよ」

「断る──と、言ったら?」

「残念ですが、帰るしかありませんね」


 あなたをサヨウナラ、してから。

 その声を合図に、男達の手に様々な【超閾装】が握られていく。

 刀、鉈、斧、棍、槌、銃。デザインも色合いも統一感はないがただ一つ、慧を殺す意志だけは一様に宿している。


 戦いの火蓋を切ったのは、デザートイーグルの銃声だった。


「──!?」


 グレースーツの男が後方へ吹き飛び、手にしていた自動小銃型の【超閾装】が空気に拡散する。

 ──一人。

 銃を持つ右腕で麗を担いで、自らの上半身を隠す。


「ちょ、ちょっと!盾にしないで!」

「ごめん!」


 攻撃を仕掛けられず躊躇する隙を見せた瞬間に、両刃斧を持つ大男を貫いていく弾丸。膝から崩れ地面に倒れ、斧が砕け散る。

 ──二人。

 手足の短いがっしりした体型の男が駆け寄り、鉈を振り下ろす。それを振り返りつつ銃身で受け止め、素早く足を払う。地面ごと穿たれた筋肉質な身体がビクンと震え、動きを止めた。

 ──三人。

 アスファルトが盛り上がり、突き出る岩の杭の群れが迫る。その先端を撃ち抜いて飛び乗り、一足で発生源の男の元へと跳ぶ。振りかぶられる棍を銃撃で弾き、勢いそのままに胸を突いて引鉄を引く。

 ──四人。

 だらりと崩れた棍の男を、刀を脇構えに持つ色黒の男へ蹴り飛ばす。男は怯まず刀を振るうと、ガラスのような斬撃が蹴飛ばされた身体を腰から両断する。屈んで避けた飛来する斬擊が、後ろを向く麗の視界にずれながら崩れていくガラスの塔を映した。

 初擊を外した男はもう一度斬擊を放とうと刀を振り抜くが、空を切るのは手首から先のない腕のみ。それを男自身が認識した時にはもう、銃弾が眉間を捉えていた。

 ──五人。


「後ろ!」

「大丈夫」


 麗の叫びより速く、振り向かずに放たれた二発の片方が迫る槌を弾き、もう片方はスーツから鋭角に覗く上質なワイシャツに穴を空ける。千切れたネクタイが地面にぺしゃっと落ちた。

 ──六人。


 後には重なる車のアイドル音と、ヘッドライトに照らされるだけの物言わぬ六体が残るのみ。

 まだ新鮮な赤に染まった白いブラウスを気にも留めず、慧は久留我に銃を向けた。


「おしまいね、逃げてもいいのよ?」

「いやはや、これはお見事です──気分が変わりました、町野さん。僕は貴女には敵わないので、貴女が連れていこうとしている光嶺さんを殺すことにしましょう」


 久留我も定めた狙いは外さないまま、演技がかった言葉を投げ返す。


「ここに来るまでに何人失ったのかしら。そんなことしたら、取り返しがつかないんじゃない?」

「部下なんて、僕の【致死性の嫌悪】マーダラス・デザインでどうとでもなりますよ」

「そんなやり方だから、こんなのしか集められないのよ」

左手で男たちを見せつけ笑う慧に、同じように嘲笑で返す。

「意識を反らそうとしても無駄ですよ」


久留我のリボルバーから放たれた弾丸が、担がれた麗の左肩の生地を正確に切り裂く。


「──!は、離してっ!」

「麗!動かないで!」

「次は!当てますよ」


 嗤いながら威嚇する声に、逃げようと暴れる麗。


 ──嫌だ! 怖い! 死にたくない!!


 その手に、濃密な黒い被毛が生え始める。身の危険に晒された麗の身体が、【超閾装】をびつつあった。

 急に強まる麗の力を抑え込めずよろける慧と、重なる銃声。


 体勢を崩しながら放った弾丸は、久留我の被るソフトハットに向こうが易々と見えるほどの大穴を開けるが、しかしそれまで。


「──みつみねさん、またお会いしましょう」


 悦に浸る久留我の言葉。



 振り返った麗が見たのは、地面に流れ落ちる夜明け色のロングヘアーだった。

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