第16話
パッと目を開けた途端、僕は見下ろしていた彼女と目が合ったことに気づいた。額は汗がびっしょりで、手だけではその汗を拭うことは困難だとわかった。
「随分ひどくうなされてたわ。ひどい夢でも見たのかしら」
「昔のことを思い出したんだ。あまりよろしくない思い出でね。」
「昔のこと?」
数秒の間をおいて、彼女は後ろに振り向きそばに転がっっていたコップを拾い上げた。
「あいにくだけどあなたの好物のコーヒーはここにはないわ。白湯でいいかしら。」
彼女はそういうと、小さな雪玉のような手のひらの上にコップを乗せて魔法で温めていた。
「『火』の魔法の用途ってやっぱり物を温めたり焼いたりする程度なのかい?」
僕は自分の手を凝然としながら話しかけた。
「今のところはね。さっきも言った通り、それ以上の火力は竜に任せておけばいいというのが世間の解釈なの。」
「他の魔法は?」
「『命』は動物を飼いならすことや怪我の痛みを軽減させる程度ね。いまのところは植物の病は防げないし、完全に治療することもできないわ。」
実は2つ質問をしたことに大した意義はない、なんとなく、無意識であった。人間の会話において、僕たちは相手の発言いちいち考えるほどの時間の猶予は与えられていない。メールはともかく、声で話すときは「なんとなく」という無意識のみが会話のキャッチボールを続けられる権利を与えられる。物語のように人士が熟考に熟考を重ねて見いだされた解答を僕たちが同じように行うことは不可能である。無意識で相手の心情を読み取り、最適な返事を見つけ出すという技術を持つ人間はこの世に何人いるのだろうか。そのため僕のような無意識のコントロールができない人間の言語は相手の精神に傷を与えることは日常茶飯事であった。恐ろしいことに、自身は無意識で会話をしているのだから、その状況が理解できていない。それは例えば相手にはボールを力を込めて至近距離に投げつけていることと同義であった。僕自身は最適なボールを渡したぞと思っていても、のちにその発言の持つ毒に気づいたころには時は過ぎている。己の発言を詰問しても、会話となればそれは馬に念仏といった具合である。
「そういえば、村長が貴方を呼んでいたわよ。おそらく事情聴取でしょうね。」
彼女は続けて言った。その手には羊皮紙とペンが握られていた。
「安心して。あの人は立派な人よ。道順はこの羊皮紙を参考にして。」
寝起きの僕にはこの羊皮紙を理解するには少しの時間を費やす必要があった。スーツも持ち合わせていないので、彼女の発言に安堵はできない。小川で顔を洗い、白湯を飲み干してから、彼女の用意した村長の元に赴くことにした。朝露が肌に染みる感覚や湿った土が鼻に透き通るこの感覚は目覚めに心地よい。村長はその地位には見合わないほどこじんまりとした平屋であった。周囲の家と同様に緑の屋根と木にカモフラージュしたような見た目、存在感とった概念は消滅していた。手の甲でドアを軽く叩くと、柔らかな声で
「どうぞ。」
と言われたのでゆっくりと家に忍び込むように入った。ドアに鍵はかけられていなかった。
目が覚めなければいいのに ヤツメウナギ @yatume_unagi
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