鬼に金棒、時に辛抱

 彼方此方の家から笑い声が聴こえる。

 アイツは笑い声のする所になんか興味無い筈だ。

 恨み辛みを抱いている人の所へ行く。

 思い当たる場所が無い。

 産まれたばかりの鬼の臭いも判らない。

 「桃姫さん、当てはある?」

 白い息を吐く寒そうな桃姫さんを振り返り尋ねてみるが桃姫さんは首を横に振った。

 「でもね、桃太郎くんが最初に閃吾の口に入ったやつの話してくれた時、蛇みたいだったって言ってたでしょ?

 それが幸結の口から出てきた時には頭みたいなのが出来てて、お兄ちゃんの口の中から出てきた時には鬼の形になってたじゃない?

 私の勘が当ってたら、アレは邪気を得て大きく育っていくんじゃないかと思うの。

 だから、きっと待ってたらあっちから姿を現すと思う。

 何処に居ても判る程、大きくね。」

 なるほど。

 桃姫さんの話は確かに的を得ていた。

 閃吾の口に入った奴は確かに小さかった。

 ソレが閃吾の中に暫く潜み閃吾の恐怖心を餌に大きくなり幸結さんの妬みで更に大きくなった、そして恨み辛みを抱えたお兄様の中で完全に鬼になったってワケか。

 俺は走る足を止めた。

 「探すのを止めよう、桃姫さん。

 どっちみちアイツから出て来てくれる。

 今はちょっと暖を取ろう。」

 小刻みに震えている桃姫さんの手を取りコンビニの、音のする自動ドアをくぐった。

 「ホットコーナー」と書かれた棚からホットココアを取った。

 「桃姫さんはブラックコーヒーだよね?」

 迷わずブラックコーヒーを手にしたら、桃姫さんが首を横に振った。

 「お揃いで!」

 桃姫さんの最高の笑顔に俺もつられて微笑う。

 レジでオカネを支払う事にも慣れた。

 買い物の仕方が見に付いた。

 「有り難うございました!」

 店員さんより先に言って、一つを桃姫さんに手渡した。

 俺達は各々店の前に置いていた金棒と刀を手にするとコンビニの駐車スペースに腰を下ろした。

 又、小さく震え始めた桃姫さんを手招きして自分の懐に入れた。

 すっかり収まる程桃姫さんは小さくなった。否、俺が大きくなったんだ。

 「まだ寒い?」

 見下ろすと桃姫さんは  

 「心の芯まで温かいよ。」

 微笑んでくれた。

 桃姫さんの頭に唇を押し付ける。

 「桃太郎くんに私まだ謝ってなかったね。」

 ココアを流し込みながら

 「何を?」

 と問う。

 「幸結が酷い事言ってごめんね?

 私達人間皆がそう思ってる訳じゃないけど幸結を悪い娘だとも思わないであげて?」

 不安そうに桃姫さんが見詰めてくる。

 「以前、桃太郎くんが角を取りたいって言ってたでしょ?

 幸結が何か言ったんじゃないかってさっき思ったんだ。

 でも私、幸結を責められなかった…。

 意気地なしの私を許して…。」

 少しだけ幸結さんを恨んでた。だけど桃姫さんの言葉で全部チャラだ。

 「桃姫さんにお願いされたら俺、誰の事も恨めないよ。

 大丈夫、幸結さんも桃姫さんも悪く思ったりしないから。」

 そう言って歯を剥いて笑うと、桃姫さんが俺の首に抱き付いてくれた。

 「あのさ、アイツやっつけたら…」

 「オオオオオオオオオ…。」

 地面奥深くを震わせるような地鳴りに似た声が響いた。

 (来た。)

 桃姫さんと立ち上がる。

 金棒を振り上げる俺を、酔っ払ったみたいな真っ赤な顔のオジサンが

 「兄ちゃん、こんな時間から野球かよ?」

 足をもつれさせながら話しかけてきた。

 「そうだよ。

 大ホームラン決めてくるからさ、オジサン、さっさと家帰った方が良いよ。」

 桃姫さんを抱きかかえ、跳び上がる。

 「派手にやる予定だからさぁ!」

 ヤツを少し放置し過ぎたか、ヤツは優に10メートルは超えていた。

 ヤツは両目をカメレオンみたいにグルグル回して餌を探しては指を伸ばして恨みや妬みの類を吸い寄せている様だった。

 もうわざわざ口の中に入る必要は無いらしい。

 桃姫さんが刀を抜く。

 「眼をやる!」

 「了解!」

 桃姫さんが左眼に刀を突き立てたのを見計らって、俺も右眼を金棒でぶっ潰した。

 「オオオオオオオオオ!!」

 雄叫びを上げ、後ろへ反り返ったヤツの額に脚を付け、勢いを付けて桃姫さんを抱き止め、着地した。

 「手応えあり。」

 「俺も。」

 両眼が潰れたヤツは膝を折って掌で餌を探し続ける。

 「しつこいなぁ!」

 桃姫さんが刀をかざす。

 「あんだけ動かされたら手を狙うのは難しい。

 桃姫さんは脚を狙って!

 手は俺に任せて!」

 こんな大きな化物が大暴れしているのに誰も何も気付いて居ない。ヤツはどんどんデカくなっていくってのに。

 人間はこんな化物が居るなんて疑う事なく今日を楽しんでいる。

 金棒を体の前で八の字に振り回し、又、跳び上がる。

 家の屋根の上、マンションの屋上、そして、ヤツの首!

 鼻っ頭に金棒をお見舞いしてやった。

 よろけたそいつの手が偶然俺の体を掴んだ。

 俺はそのまま地面に叩きつけられた。

 口から血を吐く程の勢いだった。

 「兄ちゃんが飛んじゃ駄目だろ。球を打たにゃ。」

 さっきのオジサンに声を掛けられた。

 「なんだって場外乱闘ってのは付き物だろ?」

 咳き込みながらそう言う俺の上に又、ソイツの手が振ってきた。

 虫を叩き殺す様に何度も何度もソイツの手が降ってくる。俺が五月蝿い虫ケラだって知ってるみたいだ。

 ソイツの掌が完全に俺の躰を捉えた。

 握って力を入れてくる。

 体中の骨が軋む。

 地面のコンクリに爪を立てて火を点けてヤツの指を焼いた。

 ヤツの絶叫が耳をつんざく。

 子供騙しでもなんとか効いたらしい。

 其処から這い出しながらもう一度考える。

 俺には噛み付く鬼歯も無いし、跳び上がる事と、金棒を振り回す事と引っ掻く位しか能力が無い。

 胸の痛みを堪えつつ、役に立ちそうもない金棒を手に、足の裏に力を込めて高く跳び上がった。

 周りが一望出来た。

 ヤツの足元に転がる見覚えのあるこげ茶のコートと長い黒髪が見えた。

 長い刀がその場に投げ出されている。

 その姿を視た瞬間、怒りで我を忘れた。

 金棒を振り回し、ヤツを何度も殴った。

 ヤツが倒れ込んだ地面も塀も構わず叩き壊した。

 「ウワアァァァァァァァ!!!」

 動き回ったせいじゃなく、感情の昂ぶりで鼓動が乱れていた。

 こんなに相手を憎悪したのは産まれて初めてだった。

 ヤツが何かを得た様に何処かへ指を伸ばした。

 跳び上がったがヤツは又、大きくなり、起き上がり俺に向かって又手を振り上げてきた。

 俺は逃げる間もなくヤツの掌に包まれた。

 ヤツが力一杯俺を握り締めてくる。

 さっきダメージを受けた胸が痛んだが胸の中の方がもっと痛かった。

 ヤツの指に噛み付いて引っ掻いたがこいつの力の根源には閃吾や幸結さん、そしてお兄様の念が込められている。人間の念には鬼一匹ではどうしようもない程の「力」があるらしい。

 息が切れる。

 躰が動かない。

 もう横になりたい。

 瞼が重たくなってきた。

 もう一度、桃姫さんを抱き締めたかった。

 お爺様に褒められたかった。

 お婆様にはもっと孝行したかった。

 婆ちゃん…婆ちゃんの塩むすび、又食べたかった。

 キクマの赤ちゃんを見たかった。

 閃吾ともっと友達で居たかった。

 ガクンと体が揺れて、後は地面に叩き付けられるだけだと覚悟を決めた。

 …が俺の身体は宙に浮いたままだった。

 暖かい腕の中に居る事に気づき、眼を開けた。

 土気色だがしっかりした腕、そして、渦を巻いたような抽象的な墨絵、見覚えがある。

 頭を上げると尖った耳に幾つものピアスが所狭しと並んでいる。

 思い切って顔を上げた。

 俺の身体を抱きとめてくれていたのは陽溜だった。

 此方を向いて、いつもの角に空けられた穴に通されたチェーンと輪っかになった装飾、そして余裕そうな笑み。

 「桃太郎、ちゃんと寝る前に片付けなきゃ駄目だろ?」

 体が、吐く息が震えた。

 「陽溜!!」

 俺は子供みたいに陽溜にすがって泣いた。

 「怪我はないか?」

 陽溜の大きな掌が俺の身体を探る。

 「俺は大丈夫だ。

 それよりアイツの足元に転がってる長い黒髪の女性は俺の大切な人なんだ!

 陽溜!お願い!助けて!!」

 陽溜は愉しそうに笑うと

 「それならもう心配は無いよ。」

 と言った。

 「とっくに助けてくれてる。

 あのヒトがね。」

 陽溜の指差す方向に眼をやると身体が燃えるように真っ赤になった、俺と同じこげ茶の髪をなびかせた大きな女の鬼が宙に浮いていた。

 はちきれそうな尻には黒革のホットパンツ、胸にはパンツとお揃いの黒革の乳バンド、腕にしてある五連のブレスレットには見覚えがあった。

 家の居間に飾ってある写真の母ちゃんが着けてるモノだ。

 何処にでもありそうなこのブレスレットが世界に一個しかないのは其処には陽溜がデザインしたシルバーの桃がぶら下がって居るからだ。

 「母ちゃん…。」

 声が掠れた。

 思ったより弱々しい、甘えた声が出た。

 「顔なんか見ようとしなくて良いよ!

 子供は黙って親の背中だけ見てな!」

 ガラガラに掠れた声だった。

 母ちゃんは強かった。

 ヤツの口の中に星の付いた、立派な金棒を突き刺し、無理矢理立たせた。

 両手を伸ばし藻掻くソイツの指を、伸ばした両足の爪で簡単に切り落とした。

 地面にバラバラとそれらが落ち、ヤツが懇願するように首を左右に振った。

 「桃太郎、どうして鬼が居なくならないのか判るかい?」

 陽溜は俺を抱いたまま優しく尋ねてきた。

 陽溜の腕の中で首を左右に振る。

 「人間の邪念が産み出すんだよ。

 ヒトは自分のせいにしたくない。弱いからね。何かを恨んで正当化したい。そうやって自分を護るんだ。

 そうして産まれたのが『鬼』なんだよ。」

 「じゃあ、俺も元々は人の邪念なの?」

 陽溜は豪快に笑う。

 「お前は鬼ノ国産まれの鬼ノ国育ち、生粋の鬼っ子だよ。

 人間の念が創り出した鬼は生粋の鬼とは多少違う。でも、『鬼』だ。『化物』とも『化身』とも呼ばれる。でも俺達の仲間。

 だから鬼ノ国に連れ帰る。

 普通は小鬼の段階で保護するんだ。

 だけど孔雀が…お前の母さんが…お前が捕まえるのを見てみたいって言ったんだ。」

 陽溜が優しく俺の母ちゃんを見詰める。

 この化物をこんなデカくしちまったのは俺のせいか…。

 「陽溜!頼むよ!

 俺の胸の傷を少しで良い。直してくれないかな。

 俺、行かなきゃ!『背中見てろ』って言われたけど…ここで行かなきゃ男じゃないだろ!?」

 陽溜が眼を細めて微笑う。

 陽溜の暖かい手が俺の胸に触れて治癒してくれている。

 血肉さえあれば本来は自分ででも出来る。

 でも今は  

 「応急手当だよ。」

 「充分だよ。」

 陽溜の手を握り、しっかりと頷いて跳び上がる。

 指を落とされたアイツが、それでもしつこく母ちゃんに手を伸ばす。

 母ちゃんはヤツの左手の動きは封じたがヤツの右手はそのまま母ちゃんに伸びた。

 母ちゃんの焦りが背中越しでも判った。

 母ちゃんの乳バンドを掴んで引き寄せた。

 母ちゃんは驚いた顔で俺を見詰める。

 少し吊り上がった丸い形の、金色の眼は俺とおんなじだった。

 「女は男の背中で護られてろ!」

 精一杯の強がりだった。

 陽溜に治癒してもらったばかりの胸一杯に息を吸い込む。

 閃吾からぶん取ったダークブラウンのパンツのポケットの中から取り出した。

 「オイ!産まれたばかりのヨチヨチ!

 歳上からオマエに一つ教えてやる!」

 取り出したソイツを指で弾くと金棒…否、金属バットでソイツを打った。

 ソレはヤツの額にめり込んだ。

 「ソレはお爺様が初めてお目に掛かった日、俺の額にぶつけた『桃の種』だ!

 桃の木には『魔除け』の効果があるんだぜ?」

 俺はその種をヤツの体内で発芽させ根を張らせた。

 ヤツの目や鼻や耳から大きく立派な枝が伸び、青々とした葉が開き、ヤツの動きを完全に停めた。

 「ソイツが鉛玉じゃなくて良かったな? 『桃の木に魔除けの効果がある』って〜のはお兄様がネットで見せてくれた中にあったんだ!

 都会っ子、舐めんな?」

 すっかり木の塊になったソイツを指差しながら吐き捨てた。

 「アンタ、なかなかやるじゃん!」

 背中の母ちゃんにそう言われて思わず口をヘの字にしてしまった。

 笑顔を向けるのはなんかシャクだし、泣いてすがるのも違う。

 ぎこちなく視線が合った母ちゃんが俺の頬を撫でて、

 「アンタ、アタシにそっくり!」

 と豪快に笑った。

 母ちゃんの身体の色から赤が抜けた。

 俺より色白だった。

 

 地面に降り立つと、一番に桃姫さんの元へ走った。桃姫さんはさっきと同じ場所で気を失っていた。

 桃姫さんを抱きかかえたまま、母ちゃんと陽溜の元へ戻る。

 俺の首に手を回してポカンとしていた桃姫さんに

 「俺の母ちゃんと、俺の親友、陽溜だよ。」

 紹介した。

 桃姫さんは頬を染めて俺から降りて、母ちゃんに深々と頭を下げた。

 「鬼倒桃姫と申します。初めまして!お母様!」

 母ちゃんは桃姫さんの臭いを嗅ぐやいなや、戸惑いを見せたが母ちゃんが急に俺の脇腹をどついた。

 「なかなかやるじゃないの!」

 「なにがだよっ!」

 顔が熱くなるのが判った。

 「この娘からは人間の桃太郎とアタシの桃太郎の匂いがする。」

 俺に敗けない位桃姫さんの顔が紅くなった。

 「止めろよ!母ちゃん!!」

 「何でよ?愛が種族を超えたって事だろ?」

 ニヤける母ちゃんの横で陽溜も頷く。

 「そうだよ。人間界に来て桃太郎は確実に強くなった。愛を手に入れたから…と言うべきか、手に入れたかったから…と言うべきか。鬼にとって大切な一部を失くしてでも欲しかったんでしょ?」

 そう言うと、陽溜は俺の顎を掴んだ。

 上唇を親指で捲られ、片眉を上げられる。

 「永久歯抜くとか、アンタどんだけ馬鹿なのさ!」

 さっきまでの声と同じ人から出てる声とは思えない冷たい声で母ちゃんはぼやいた。

 「桃姫ちゃん、この子の歯、貸して貰えるかな?」

 陽溜はそう言うと桃姫さんの前に掌を差し出した。

 桃姫さんは俯き加減になりながらも、戸惑いながらも、服の中に手を入れた。

 「桃太郎くんに返すんですか?」

 心配そうに尋ねる桃姫さんの手から小さな巾着袋を受け取りながら陽溜は

 「コレは桃太郎の『気持ち』だから俺には取り上げる権利は無いよ。

 大丈夫。任せて。」

 桃姫さんに惜しげもなく微笑んで見せた。

 やっぱり俺の大好きな陽溜だ。

 人間に対しても心が大きい。

 「さてさて、コイツをどうするかな。」

 まだ失神したまんまのソイツを陽溜が指差す。

 「私が斬ります。」

 桃姫さんが刀を抜いた。

 「わ〜ぉ、可愛い顔して物騒な物持ってるネ。」

 陽溜はふざけ半分、両手を振りながらそう言った。

 陽溜が手を振る度にシルバーのブレスレットがぶつかり合う心地良い音色が響いた。

 「んじゃあ、斬って欲しいモノがあるんだけどお願い出来るかな?」

 陽溜はそう言いながら桃姫さんに右手を差し出した。

 桃姫さんが、陽溜の右手を取ると陽溜は体を屈めて思い切り跳び上がった。

 空から桃姫さんの悲鳴が降り注ぐ。

 桃姫さんの長いスカートが風になびいて地面に居る俺も悲鳴を上げた。


 「陽溜だ〜〜〜〜〜!」

 陽溜を見るなり、やはりと言う様にキクマが飛んで来た。

 陽溜はキクマを抱き上げ、大きなお腹に眼を見張った。

 「菊魔!ご懐妊?おめでとう〜!

 本当は菊魔には、101人目の弟か妹が出来るってニュースを聞かせて驚かせたかったのに、こっちが驚かされたよ〜!」

 「え?キクマん家又キョウダイできるの!?」

 キクマの家の両親はめちゃくちゃ仲が良いんだ。

 「マジでぇ?じゃあ一緒に育てないとねぇ〜。

 陽溜!この人がアタシの旦那様の桃オニィだよ!」

 ギクリとした。

 あの化物が出てからお兄様がどうなったのか気掛かりだった。

 しかし、お兄様は何事も無かったかのようにゆっくりと前に出て来てキクマの横に立ち、陽溜に頭を下げた。

 その様子に怪訝な顔をしたのは陽溜と母ちゃんの方だった。

 「君は心に鬼を飼ってるね?」

 陽溜は挨拶そっちのけでお兄様の眼を見詰めた。

 「君は知ってる筈だよ?

 人の念の、言葉の力を…。」

 陽溜の言葉にお兄様は下を向いてしまった。

 「人間が産み出した恨みや辛み、嫉みは眼に視えない。でも確実に相手を蝕む。そしてそれと同等、それ以上に自分を蝕む。

 身に覚えがあるよね?」

 陽溜の言葉にお兄様が俯く。

 「君も辛かった筈だよ。君自身も言霊の攻撃を受けて来たんだろう?

 だけど忘れないで。言霊を吐いた人間は、吐かれた人間よりも強い見反みかえりが来る。君を傷付けた人間も君同様、苦しんだ。

 人間に邪念が巣食い、それが外に出て具現化する事で、その人間は救われる。

 ソレが悪さをすればする程君に還る、障る、疲れる。最期には『憑かれる』。」

 陽溜が手にしていたモノをお兄様の目の前に差し出した。

 「コイツは君の心の『鬼』だよ。

 今は邪気が飛んで、きっと思考もクリアになってスッキリしてると思うけど君の根本の部分は決して失くならない。

 又、鬼を産み出してしまう。」

 そのモノは、さっき桃姫さんがアイツから斬り落とした角だった。

 大きな角だった。物凄い音がすると思っていたが桃姫さんが斬り捨てた後には、歯のような本当に小さな粒となり陽溜がキャッチした。

 角を無くしたソイツも、建物の、行き交う人々の、影となって消えた。

 桃の木と共に、何も無かったかの様に、今日を愉しんでいた。

 「スゲェな…。」

 あんなに大きな化物を生み出す程の邪念を抱えて生きているのに、人間ってヤツは無関心で無責任で無邪気だ。

 笑い合う人々を俺は暫く眺めていた。

 

 お兄様は黙ったままだ。

 キクマが不安そうにお兄様の手を握る。

 「ソヤツを小生に返していただけまいか。」

 お兄様の細い声が闇に真っ直ぐ消えていった。

 「ソヤツは、小生の一部故、斬っても斬っても又芽生える。」

 「桃オニィ?」

 「小生にはこの世界は狭すぎる。

 この家は息苦しゅうて敵わぬ。

 ジジィが嫌いで桃姫を妬んでいる。

 菊美、お前だけが俺の心を救ってくれた。

 ずっと一緒にいられる事を小生は望みます…。」

 お兄様の小さな眼は本気の色で燃えていた。

 キクマが泣きながら微笑ってお兄様に抱き着いた。

 俺の隣では桃姫さんが自分の体を抱き締める様にして泣き崩れてしまった。

 俺は背中を摩る事くらいしか出来なかった。

 陽溜は黙ったままお兄様を見守り、そして、闇と同化していた離に眼を向けた。

 「貴方はどうお想いですか?」

 闇の中からお爺様が浮き上がる。

 真っ青な顔色をしていたが表情は穏やかだ。

 「桃鬼本人の意思を尊重したいと思います。

 桃鬼、すまんかった…。」

 お爺様が神妙に瞼を閉じた。

 陽溜は頷いて、お兄様の頭頂部に手にしていた小さな角を着けた。

 「イツツッ!」

 顔を歪めたお兄様の腕をキクマが支える。

 「似合う?」

 角を付けて、ハハと笑うお兄様の照れたような笑顔に俺は唇を噛んだ。

 お兄様が初めて俺達に心を許してくれた気がした。

 「似合わないワケないじゃん!

 スッゴイ素敵!!」

 「良ければ鬼ノ国について教えて頂けまいか?」

 そうお兄様が明るい声で言うと、キクマと母ちゃんが「嵐坊の米!」「水戸世みとせのパン!」口々に話し出した。

 盛り上がった三人はそのまま家へ上がってしまったが俺は座り込んだままの桃姫さんを一人にはしておけない。

 腕を組んで黙っているお爺様もそのままには出来ない。

 陽溜もそう思ってくれているのか、俺の隣に屈み込んでくれた。

 「御当主、貴方のお孫さんを鬼にしてしまう様な事になって本当にすみません。」

 陽溜はお爺様に一言そう告げた。

 お爺様は闇の方を睨んだまま

 「あいつは鬼になった。あいつがなりたくてなった、それだけです。」

 そう呟いたがそれが本音ではない事は俺にも判った。

 「人間は、人として産まれるのではなく、人間に『成って』いくのだと俺は思います。

 俺は初代、桃太郎も存じています。」

 初耳だった。

 思わず陽溜を見詰めた。

 「桃太郎は真っ直ぐで純粋だった。

 邪の心に勝ちました。

 代々も知っています、が、残念ながら初代を超える人に出会った事は無かった。

 人間は弱いから仕方ない、そう思っていました。」

 陽溜と視線が合う。

 「御当主、貴方は素晴らしい御孫さんをお持ちになった。

 『戦』をせず邪に勝った。

 桃姫さんは素晴らしい御人おひとだ。」

 鼻を啜りながら桃姫さんが顔を上げた。

 お爺様も陽溜を見下ろす。

 「親の身として言わせて頂くとこんな名誉な事は無い。

 桃姫さんを良く育てられましたね。」

 陽溜の言葉にお爺様が深々と頭を下げた。

 俺も、誇らしくて、陽溜が誇らしくて、桃姫さんが誇らしくて、桃姫さんを強く抱き締めた。


 部屋に上がると三人はすっかり意気投合していた。

 お茶を煎れに行った桃姫さんの背中を見送ってから急いで陽溜の元へ行く。

 「陽溜!陽溜!陽溜!

 さっきの話なんだけどさぁ!」

 「101人目のキョーダイ?」

 「どんだけ前の話、出してくるんだよ!

 それじゃなくて!」

 「そお?俺、ビックリしたんだけどなぁ?」

 (いや、ビックリだけどもよ!)

 「親の身として…ってヤツ!!

 ねぇ、もしかして、もしかするけど…

 陽溜って俺の父ちゃんなんじゃないの?」

 興奮で頬が高揚する。

 母ちゃんと陽溜は一瞬顔を見合わせたが笑いながら「ないない!」と二人して手を振った。

 「そりゃ若い頃は殴り合いの喧嘩もしたけどさ。」  

 母ちゃんが頬杖を付きながらそう言う。

 「確かに桃太郎は俺の大切な…」

 「大切な?」

 グイと陽溜の顔を覗き込む。

 「それは絶対に無いよ!

 あの頃アタシは恋多き女だったから本当にアンタの父ちゃんは判んないんだけど…もしかしたら菊魔の父ちゃんかもしれないし…。」

 その部分は聞きたくない、と敢えてスルーした。

 「それでも陽溜が父ちゃんじゃないって言い切れるのかよ!」

 思わず張り上げた声に一瞬母ちゃんは眼を丸めたが母ちゃんがため息を零しながら

 「桃太郎、婆ちゃんが何で陽溜に色々すんのか考えた事は無いのかい?」

 そう一言、ヒントの様に口にした。

 山羊の乳から作った脂肪の塊や、芋菓子、俺の家に尋ねて来ては婆ちゃんと何時間も語っていた陽溜。

 少し、考えを巡らせる。

 陽溜は初代桃太郎を知っていると言った。

 陽溜は一体幾つなんだ?

 「もしかして…陽溜が恋仲なのは母ちゃんじゃなくて…婆ちゃん?」

 恐る恐る尋ねる。

 陽溜は恥ずかしそうに頭を掻いた。

 「何で陽溜は婆ちゃんと結婚しなかったの?」

 最もな質問をぶつける。

 しかし、陽溜は相変わらず照れくさそうに

 「『敗けた』からさ。花芽美かがみさんに。だから結婚を申し込めなかった。

 それでも「その時」、孔雀を授かった。

 敗けてしまえば婚姻は成立しない。

 だから花芽美さんと俺は一緒になれなかった。

 花芽美さんは何度も俺に挑んでくれたが俺が怖気付いたのさ。一度敗けた相手に又敗けたら…ってね。

 花芽美さんも俺以外と闘う気がない、恋愛する気がないとずっと今でも俺を待ってくれてる。

 孔雀を産んで、孔雀が桃太郎を産んで、愛情を与える事だけに命を燃やして、すっかり年老いてしまった…本当に愛しくて今でも俺にはこの世で一番綺麗な女性だと思っているよ。今でも愛してる。

 それ以降、俺は発情期を封印した。

 薬草を煎じて飲んでる。だから俺は鬼らしく身体がデカくならないし鬼本来の力も無い。金棒も持てない。

 その代わり、人間界で産まれる小鬼を鬼ノ国へ連れ帰るささやかな事を思い付いたんだ。

 小鬼位なら俺でも相手に出来るからね。

 今回は、桃太郎が絡んでるから孔雀に一声掛けたけどね。

 まぁ、桃太郎が大切で、可愛くて堪らないのは俺の孫だからだよ。」

 笑顔で答えてくれた。

 正直、一番知りたくない真実だった。

 陽溜が父ちゃんならまだしも、爺ちゃんだったなんてショックが過ぎる…。

 俺が黙りこんだ所で桃姫さんがお茶を出してくれた。

 「もう俺は大人不審になりそうだぁ!」

 桃姫さんにしがみついて喚く。

 理由を知らない桃姫さんは「あらあら。」と言っただけだった。

 「桃姫ちゃーーーん、お酒持ってきてよぉ!」

 母ちゃんは遠慮も知らず料理にガッツくだけでは飽き足らず酒まで要求した。

 桃姫さんは母ちゃんの酌で忙しそうだ。

 「母ちゃん!桃姫さんを顎で使うなよ!」

 「バーカ!アタシは見定めてるのさ!

 桃姫ちゃんがアタシの可愛い息子に見合う女かどうか!」

 なんて上手い事言って自分の好きにしたいだけのくせに…。

 「桃太郎、鬼に男と女、どっちが多いか知ってるかぃ?」

 盃を揺らして遊びながら母ちゃんが呟いた。

 嵐坊さんや、陽溜、俺の周りを見ても断然男が多い。

 「男に決まってんじゃん!」

 「ホンット、アンタは上っ面しか物事見てない馬鹿だよ。

 鬼ってのは圧倒的に女が多いのさ。

 それも、子供を産んだ女がね。」

 「何?ソレ。

 邪念の鬼の事?」

 母ちゃんが楽しそうに笑う。

 「それは邪念とは言わないんだよ。

 『強さ』ってんだ。

 女は子供の為なら鬼にもなれる。」

 「なんだ?ソレ。」

 眉を潜める俺の隣で桃姫さんが微笑む。

 「私は判る気がする。」

 「桃姫さんも鬼になる?」

 「試してみる?」

 悪戯を仕掛けるみたいに桃姫さんが微笑った。

 翌日早朝、お婆様やお爺様にも見守られながらお兄様はキクマの手を取り母ちゃんの後に続き、鬼ノ国へ向かった。

 俺はいつまでも陽溜の手が離せなかった。

 陽溜は俺の前に屈み込むと俺に小さな巾着袋を渡してきた。

 「強くて弱い、純粋な君達にささやかな贈物だよ。

 迷った時には神だって仏だって頼って良い。

 地獄に来るのは『仏さん』なんだからさ。」

 陽溜はそう軽く微笑うと片手を挙げて大きく跳び上がった。

 軽やかな足取りに、憧れたあの日を重ねる。

 もう俺は二度と行かれないかもしれない、鬼ノ国。

 婆ちゃんに会いたいのは変わらないが…。

 (流石にもうカレー煮込んでねぇよな?)

 それでも俺は此処に居ると決めた。

 お爺様とお婆様と、桃姫さん。

 たった4人ぽっちになってしまった「家族」だけど再構築しよう。

 又、明るく楽しい家族を築き上げよう。

 

 布団の中で眼が覚めた。

 隣に桃姫さんが居る事が当たり前になった日常。起こさないようにソッと布団から出て、母屋へ向かう。

 既に母屋ではお婆様が起きていて、朝食の準備をしていた。

 「おはようございます!お婆様!

 卵でも焼きましょうか?」

 そう言うとお婆様は嬉しそうに微笑んだ。

 「桃ちゃんは本当に優しいねぇ。それに比べて桃姫ときたら卒業してからすっかりお寝坊になって…。」

 「いえ、昨日は遅くまでお爺様と蔵で座禅を組んでいたようですよ。」

 桃姫さんは、ずっと「シンガクキボウ」だったが、「シュウショクグミ」になり、「カギョウヲツグ」と言う選択をした。

 そして、桃姫さんが卒業した夜、俺は鬼倒の婿養子として迎え入れられた。

 今では俺達が離に住み、お婆様とお爺様が母屋に住んでいる。

 俺が鬼倒の家に入ってから、お爺様から桃姫さんの稽古が再開された。

 桃姫さんの柔術を初めて見たが、可憐な舞の様だった。

 あの一件の後、幸結さんは何事も無かったかのように泣きながら桃姫さんに飛び付いてきた。

 「折角のパーティーぶち壊してごめん!

 これからも友達で居てくれる?」  

 ボロボロと涙を零す幸結さんに、やはり人間は弱いのだと改めて思った。

 桃姫さんは優しく幸結さんを抱き締めた。

 その後、サカタンがシンくんを投げ飛ばし、シンくんは幸結さんに土下座して謝罪していた。

 片手で逆立ちして白い敷石迄行った所で携帯のベルが鳴った。

 この着信音を聞くのは久し振りだ。

 地に足を付け、携帯を耳に当てる。

 「よぉ、キクマ!元気か?」

 「元気、元気!!今朝、無事女の子産んだから。桃香もものかって名付けた!

 アタシのキョーダイも妹だったわ!3日前に産まれた!唯我ゆいがってんだ!」

 相変わらず声の大きい奴だ。

 「お兄様はどうだ?ちゃんと鬼ノ国でやれてるか?」

 「うん!スッゴイアタシの妹達を溺愛してくれてさぁ、父ちゃんも大喜びだよ。

 こっち来て明るくなった気がする。」

 「妹達を溺愛」の姿が目に浮かぶ。

 「しょっちゅう陽溜と花芽美婆ちゃんとご飯食べるよ?」

 「え?陽溜、定住したの?」

 驚きだ。

 「うん!今は桃太郎の部屋をアトリエにして花芽美婆ちゃんと暮らしてるよ。」

 (マジかよ!)

 「後、今度、花芽美婆ちゃんに子供が生まれるよ。

 桃太郎のおじさんかおばさんだね!

 良かったね!桃太郎!」

 「良くねぇよ!!そんな歳下の叔父叔母なんか居るか!!」

 どんだけ驚かすんだよ!陽溜の奴!!

 「母ちゃんがよく許したな。」

 「え?桃太郎の母ちゃん?

 なんか、『組長とウエとボス』っていうバンド追っ掛けて又、ツアーに出掛けたよ?」

 (どんな唄歌うんだ??)

 「桃太郎の方はどうなんだよ?」

 「色々身に着けなきゃいけない事もあるし、俺、刀使った事無いからそれも一からだし、色々、これからだよ。」

 人間の友達との付き合い方とかも。

 俺の金棒は陽溜がベルトにチェーンを付けてオシャレにしてくれた。

 今では俺も不穏な気配を嗅ぎ分けられる位にはなった。

 角をニットやバンダナで隠す手間はあったが幸い、俺はオシャレが好きだ。

 首の、猪の歯が軽やかに鳴る。

 シャツを簡単に羽織り、デニムにベルトを通しながら金棒のチェーンも取り付ける。

 振り返ったら頭三つ分低い所に桃姫さんの顔があった。

 耳に揺れるのは陽溜が造ってくれた俺の鬼歯のピアス。

 桃姫さんの掌に陽溜から貰った巾着袋から取り出した木箱の中の粉を少し取り出した。

 俺も習って掌に落とし、二人揃ってソイツを掌に塗り込む。

 塗香ずこうと言うそうだ。

 掌に塗り込み、手を合わせる。白檀の香りが落ち着く。

 「さて、行きましょう!」

 桃姫さんを抱えあげ、一っ跳びして目的に近付いていく。

 背中の金棒を地面に打ち付けると地面が割れ、ドォンと何処迄も轟音が響いた。

 目の前の小鬼が行き先を封じられたかのように右往左往する。

 背後で桃姫さんが刀を構える。

 「鬼から産まれた桃太郎!

 今は訳あって鬼退治をしている!

 さぁ、桃太郎の名を取りたかったら遠慮なく掛かって来い!!」

 俺の名前は桃太郎。

 鬼でありながら鬼を退治した人間「鬼倒」の婿養子となった。

 今は模索しながらも大切な友達に囲まれて人間界で何不自由なく幸せに暮らしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鬼から産まれた桃太郎 伊予福たると @abekawataruto

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