蒼穹の果てを思いながら
犬井作
蒼穹の果てを思いながら
蒼穹を、三つの機影が横切った。
飛行機雲を螺旋のように絡め合いながら、三機は飛ぶ。
飛び交う曳光弾の煌めきと、白と黒、機影のコントラストのせいで、まるでバレエを舞うダンサーのようだった。
荒野の空を踊っていた三機に変化が訪れたのは、後方を飛んでいた黒い機体――オダマキがミサイルを放ったときだ。
フレアとチャフを撒いた白い機体――エヴラは続けざまに、先頭のオダマキはロールして、加速しながら高度を下げるのを確認した。
反転で生じた一瞬の減速を見逃さず、エヴラは加速する。後方へインテリジェント・ミサイルを放ってAIに牽制させながら、エヴラは先頭のオダマキへと獲物を定めた。
アフターバーナーを噴きながら逃げていた機体が地表に近づいた瞬間、エヴラの大きな翼から、二本の矢が火を吹いて飛び出した。
FOX2。ミサイル――だが通常使われる種類ではない。
首をもたげた犬のような機首を持ったそれは、解き放たれると同時に折りたたんでいた翼を広げた。
無人特攻機――放たれた
姿勢を整えるために一瞬水平になったオダマキは再び加速する。
が、フレアもチャフも撒かない。
避けるつもりかと、エヴラは猟犬の後ろに着く。
地表すれすれ、高度百フィートの世界に舞台が移る。
だが次の瞬間、砂埃が舞い上がり、エヴラのキャノピに礫が注いだ。
続けざまに二つの爆発音――その爆炎は、離脱するオダマキの後尾にすら届かない。
視界をとっさにサーマルに切り替えたエヴラのパイロットは上昇し、オダマキを追う。
そこで、気がつく。
オセロのように、黒い二機が白い一機を挟んでいた。
ブザーが鳴る。撃墜判定。
三機は呆けたように飛んでいたが、しばらくして、翼を揺らして挨拶すると、ループとロールを繰り返して反転。帰途に就く。
現代。人はまだ、空を逐われていない。
○
切噛ソラノが喫煙所の壁に背中を預けて煙草の煙を鼻に通していたとき、正面の扉が開いて、カミール・チャップマンが入ってきた。
ソラノは彼女を認めると破顔した。
カミールもその金髪と同様に明るい笑顔を浮かべる。
すりガラスで仕切られた煤けた部屋が、にわかに明るくなったようだった。
腰掛けていたバーにかかっていた真新しいタオルの一枚を取り、放り投げる。受け止めたカミールの薄桃色の唇が、嬉しそうに笑顔を作った。
「久しぶり」
「さっきぶりの間違いじゃない……」
「あのときは、キャノピー越しだったから」
椅子の代わりになるように段差がついた二本のバーの、灰皿を挟んだ向かい側にカミールは腰掛ける。腰のスリットに手を入れて、爪をその小さな隙間に引っ掛けつつ、なんとか銀製のケースを取り出した。
カミールは――そしてソラノも――ぴっちりと体を覆うパイロットスーツに身を包んでいた。全身外骨格(エクソスケルトン)――無人機たちの領域への導き手。一見縫い目や隙間などはないが、未だこの仕事に多いニコチン・フィリアやチューインガム・フィリアの強い要望で、小物を収納できるスリットが設けられた。
カミールは引っ掛けた爪にふうふう息を吹きかける。ひどく痛んでいた。
「いっそ高G環境用のウエストポーチを作ってくれればいいのに」
犬の瞳みたいにくりくりした碧眼を向けられてソラノは苦笑した。
「もっと爪の手入れをしなさいよ」
「恋人に手入れしてもらえるソラノとは違うんだよ、わたしは」
「私だっていつも手入れしてもらえるわけじゃないわ」
「ホントかな……みかんちゃん、最近どう」
「言ってなかったかしら。私の僚機よ」
「え、じゃあまさか」
「さっきあなたを撃墜した機体。あのパイロット」
カミールは額に手を当てた。
「いいコンビだね」
「我ながら、そう思う」
ソラノは切れ長の目を前へと向けたまま、ほんのり頬を赤くした。短く切り揃えた髪をがしがし掻くと、ああ、もう、と呻く。
「……今の、なし」
恥ずかしそうに煙草を揺らすソラノを見てカミールは笑った。
「忘れなさいよ」
「じゃあ、お駄賃ちょうだい」
細長いシガリロを咥えて、今度は慎重にケースを仕舞うと、カミールはソラノに唇を突き出した。
ソラノは眉を吊り上げたが、逡巡ののち、たばこの根本を人差し指と中指で支えながら火種を差し出す。カミールは煙を吹き出して顔を離した。
「どうも」
「あのね、みかんにこれ見られたらなんて言われるかわかる?」
「なにも言わないでしょ、みかんちゃんなら」
「……そうなんだけど……私の気持ちってものがあるのよ」
「律儀だなあ」
「あんたが考えなさすぎなのよ」
「あははは」
カミールは気にした様子もない。ソラノは眉根を寄せた。ただでさえ気難しげな顔にシワができて凄みすら出る。が、カミールは気にせず、しばらく笑っていた。
「実用化されたのね、カミカゼ」
ソラノが切り出すとカミールはむっと頬を膨らます。
「そんな名前で呼ばないでくれる?」
「うちの国での呼び名がそうなの」
「ここ連合基地。治外法権。無国籍バンザイ!」
「名前はいいから情報をちょうだい」
「ええー?」
これでも機密とかあるんだけどな。
カミールは煙を吐いた。
「そっちとは違う方針で行くことにしたの、うちは。第六世代には変わりないけど、頭数を増やす形みたい」
「で、無人戦闘機」
「今は試験段階だけど小型化が進めば二十機とか積めるんだってさ。だからアヴィウルって呼ばれてる。そっちの言葉でミツバチって意味」
「花に吸い寄せられるようにやってくる、か。ちょっとヒヤヒヤしたわ」
「小型すぎて性能は良くないんだけど」
「データリンクがあれば話は変わるでしょうね」
「そうそう。本来ドッグファイトなんてありえないんだから」
「そうはいってもなにが起きるかわからない。それが――」
「戦争、でしょ。養成時代からずっとだよね、それ」
「みかんにも言われた」
ソラノが苦笑すると、二人の間に沈黙が流れた。
しばらく、二人は煙を味わう。
息を吸い、吐くに合わせて、煙草の先端が燃えて縮れた。
かすかな音が、静寂を呼ぶ。
ソラノはうつむいていた。
カミールは顎を上げていた。
「あと、どのくらい……」
ソラノが口を開いた。
カミールは煙を吸って、肺に通す。味わうように瞼を閉じる。
「半年かな」
「早くて?」
「二ヶ月」
ソラノは溜息を吐くと火を灰皿で揉み消して、灰皿の上部に置きっぱなしだった箱とライターを取って、二本目を点ける。
ソラノの手の中で、芸者のうつくしい顔がしわくちゃになった。
「イヤね、本当に」
「本当にね」
カミールもつぶやいた。
「軍閥が強くなってる。内戦になる。たぶん、負ける。いまの大統領は亡命して、しばらく身を隠す。混乱して、軍が分かれる。ユニオンが叩きに来るついでに大統領がまた顔を出して、現政権が人気を取り戻す」
「くだらない茶番ね」
「ナショナリズムが膨らむ前にガス抜きが必要なんだってさ。上官が言ってた。やになるよ。休みないし、おしゃれもできないし」
「カミールは綺麗でしょ、そのままでも」
ソラノが言うとカミールは目を丸くした。
「なによ」
「……本当?」
「ええ」
「……嬉しいな。髪、伸ばしててよかった」 ソラノは目を向けるとニヤリと笑った。
「怒られるでしょ」
「うん、めちゃくちゃ。成績で黙らせてる」
カミールもニヤリと笑った。
二人して、子供みたいに笑いあう。
喉が煙を吸ってカミールがむせる。
「紙巻きにすればいいのに」
「わたしはっ、けほ、これがいいの」
「甘ったるい味」
「みかんちゃんがいたらいらない味だけどね」
「どうしてよ」
「んー……みかんちゃんとソラノ、お似合いだから」
「はあ?」
「わかんないままでいいよ。天然記念物、守りたくなるし」
「わけわかんない……」
ソラノは肩を上下させた。
カミールはしばらく、指先にタバコを挟んだまま、じっとソラノの横顔を見ていた。
くるくる回る煙が天井へ登って、シガリロがじわじわと短くなっても。
根本に近づいたところでカミールはパッと吸殻を灰皿に落として二本目を出す。
だが今度は、スリットからライターを出して、火を点けた。
カミールは視線を落としてから、ソラノの横顔を再び見る。
「ソラノ」
「うん?」
「待ってるからね、空で」
ソラノは顔を向けると、ゆっくりとタバコを口から離した。
「みかんちゃんと、遊びにおいでよ。うちの国、来たことないでしょ」
「ええ」
「きれいな街があるんだよ。尖塔のある教会もたくさんある。時代遅れの騎士団も」
「そう」
「見に来てね。それで、三人で飛ぼうね」
ソラノはじっとカミールの目を見つめた。
カミールは、数秒、そうしていたが、ふと破顔して、ひまわりのような笑顔を見せた。
「殺しに来てね、わたしを」
ソラノは答えなかった。
カミールは立ち上がる。
「……じゃあ、またね」
出口で振り向いたカミールに、ソラノはうなずく。
「じゃあ、また」
ソラノが言うと、カミールは喫煙所の扉を閉めた。
置いていかれたシガリロは、しばらく煙を吐き出していたが、やがて絶えた。
○
カミール・チャップマンのエヴラが切噛ソラノ・みかん両名のオダマキと会敵したのは半年後のことだった。
某国上空にて行われた大規模作戦中、カミールはみかんを撃墜。
その後、ソラノに追撃されたカミールは山岳地帯へと移動。その後、二名は共に行方不明となっている。
蒼穹の果てを思いながら 犬井作 @TsukuruInui
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