許嫁である学園の女神様を抱き枕代わりにして寝るのは間違っていない

しゆの

第1話

「やっと終わった」


 加藤春樹かとうはるきは部屋の片付けが終わり、両手を天井にあげて背中を伸ばした。

 この春から親元を離れることになったため、新しい住居の片付けをしていたのだ。

 オートロック付きの間取りはバス・トイレ別の1LDKのマンションで、今日からここに住むことになる。


「お疲れ様です」


 一人の少女が春樹の元にお茶を持ってきた。


「ありがとう」


 色々と作業としていたために春樹は汗をかいており、冷たいお茶を一気に飲み干す。

 喉の渇きがなくなって、全身に水分が行き渡る。


「まさか同棲することになるとは……」

「そうですね。私はもっと先になると思ってましたよ」


 春樹と彼女──吉野結愛よしのゆあと今日から同棲することになった。

 二人は親同士が決めた許嫁であり、高校二年になる直前で一緒に住むことが決まったのだ。

 許嫁がいることを知ったのは昨日で驚いた春樹であるが、結愛は以前から知っていたとのこと。

 だから結愛は一切反対しておらず、むしろ少し嬉しそうにも見える。


「しかも相手は学園の女神様か……」


 同じ学校に通っているから春樹は結愛のことを知っていた。

 学園の女神様と呼ばれる彼女は、その呼称が比喩とは思えないほどに美しい少女。

 腰まで伸びたサラサラとした黒髪、長いまつ毛に大きな瞳、透き通るような白い肌、まるでモデルを思わせるほどスラッとした細い身体は、まさに学園の女神様と呼ばれるに相応しいだろう。

 だから物凄くモテて告白されるのだが、結愛が誰かと付き合ったという噂を聞いたことはない。

 その理由は許嫁がいるからで、恋愛とかしたいと思わなかったのだろう。


「俺と同棲なんていいのか? 同じクラスだったとはいえ、ほとんど話したことなかったのに」

「問題ありませんよ。お父さんに春樹くんを好きになれと、毎日言われてきましたから」


 それは最早催眠の類いになるのではないか? などと思ったが、春樹はそれを口にするのは止めた。

 言ったとしても無駄だろうし、この同棲が終わるわけでもない。

 今まで結愛から春樹に話してこなかったのは、両親にサプライズにしたいから秘密にしといてなどと言われたからだろう。


「あの……春樹くんは同棲したくないのですか?」


 ライトブラウンの瞳を結愛は春樹に向ける。


「同棲をしたいかしたくないかより、俺は家事なんてしたことがないからな」


 今まで実家暮らしだったので、春樹はほとんど家事をしたことがない。

 もちろん自分の部屋の掃除はするが、それ以外……特に料理が出来るなんて思わないのだ。


「家事は基本的に私がしますから大丈夫です。お母さんにしっかりと仕込まれましたから」

「それは有難いが、いいのか?」


 何も問題はないかのように、結愛は「はい」と頷く。

 しっかりと仕込まれたのであれば、家事は得意なのだろう。


「春樹くんは何でこの同棲を了承したのですか?」

「ん? 同棲しないとスマホの料金もお小遣いも出さないと言われたから」


 バイトをしていない高校生の春樹は、親からお金を出して貰わないといけなく、だから渋々了承したのだ。

 結愛のことは可愛いと思っているが、特に恋愛感情があるわけではない。

 学園の女神様と同棲なんてことが学校の人にバレてしまったら、春樹は何か言われてしまうだろう。

 同棲が解消されることがないので、今はいかにバレないようにするかを考えている。


「そうなのですね。私との同棲は嫌ですか?」


 うるうると少し結愛の瞳に涙がたまっている。

 美少女がそんな瞳で見つめるなんて反則で、春樹は「そんなことない」と言うしかなかった。

 するとすぐに「えへへ」と笑みを浮かべ、結愛の可愛さを実感する羽目になる。

 惚れるというほどではないが、可愛いと思うものは可愛い。


「あ……」


 完全に無意識の行動で、春樹はいつの間にか結愛の頭を撫でていた。


「ご、ごめん……」


 手を引っ込めようとした春樹であるが、それは結愛によって止められてしまう。


「もっと……してほしいです」


 上目遣いでお願いされ、春樹は頷いて再び結愛の頭を撫でていく。

 両親にずっと好きになれと言われた影響なのか、完全に結愛は春樹のことが好きだ。

 ただ、それだけで好きになるなんて思えないので、同じ高校になって一年間は春樹のことを観察していたのだろう。

 今思えば学校では以前から視線を感じ、それは絶対に結愛のものだ。

 観察していて問題がなかったので、今回の同棲を了承したのだろう。


「同棲を始めるのは高校を卒業してからと聞いてたのですが、何で二年も早くなったのでしょうか?」

「あー、俺の親が言ってたんだけど、現実の女の子に興味を持てだって」

「そうなのですね。春樹くんは異性に興味がないのですか?」

「ない。でも、同性に興味があるわけでもないぞ」


 きっぱりと言い切れるほど、春樹は異性に興味を示さない。

 とはいっても現実ではない二次元にどっぷりハマってるわけでもなく、何故か興味が出ないのだ。


「では、春樹くんが興味があることは何ですか?」

「よくぞ聞いてくれた……」


 ふふふ……と春樹は薄気味悪い笑みを浮かべた。


「俺は抱き枕が好きなのだ」

「……抱き枕……ですか?」


 頭の中にはてなマークが浮かんだようで、結愛は可愛らしく首を傾ける。

 抱き枕の意味がわからないわけではないだろう。


「俺は抱き枕に目がない。むしろ抱き枕にしか興味がない」


 無類の抱き枕好きな春樹は、毎日抱きついている。

 寝る時はもちろんのこと、自室にいる時はほとんど抱き枕が隣にあるほとだ。


「その割にはここには抱き枕がありませんよね?」

「痛いとこをつかれた……抱き枕は封印されてしまったんだ……」


 引っ越す時に抱き枕を持っていこうとした春樹であるが、両親に持っていくのを禁止された。

 代わりに普通の枕を渡され、今日から抱き枕を使うことが出来ない。


「春樹くんは抱き枕がないと寝れないのですか?」

「そういうわけではないけど、睡眠の質は落ちるな」


 抱き枕が当たり前にある環境だったため、春樹は寝る時になくてはならない存在になっている。

 ないだけで寝つきが悪くなり、寝れても疲れが残ってしまうほど。

 枕が変わると寝れなくなってしまう人がいるように、春樹は抱き枕がないとどうしても睡眠の質が落ちる。


「そうなのですね。なら……」


 結愛はモジモジと恥ずかしそうに手足を動かす。


「なら?」

「私を……抱き枕の代わりにしませんか?」

「……はい?」


 思ってもいなかった一言に、春樹は驚きを隠せない。

 私を抱き枕の代わりにしませんか? と、結愛に言われてはこうなってしまう。


「だって抱き枕がないと良く眠れないんですよね?」

「それはそうだけど、それだと邪魔になるんじゃ……」


 抱き枕の代わりになるということは春樹に抱きつかれながら寝ないといけなく、それだと結愛の睡眠の質が下がる恐れがある。


「寝室にベッドが一つしかないので、一緒に寝ることになります。これは私が了承していますし、春樹くんがちゃんと寝れないのは嫌ですから」

「寝る時に触られることになるんだよ?」

「私は春樹くんに触られるのは嫌ではありませんよ」


 嫌じゃないことについては事実だろう。

 頭を撫でてほしいとおねだりしたのだし、結愛は春樹に触られることに何も問題はないということだ。


「それに春樹くんは私に興味を持ってもらわないといけません。だから春樹くんが好きな抱き枕の代わりになるのが一番だと思ったんです」

「いや、でも……」

「でもじゃありません。私たちは夫婦になるのですから、夫の睡眠管理は妻の大事なお仕事です」


 そう言われるとぐうの音も出ない。

 きちんとした睡眠がとれないと日常生活にも異常をきたし、不眠症になる可能性だってある。

 そうなれば夜が眠れず昼に眠くなるということがおき、授業中に寝てしまう。


「俺に抱きつかれたまま寝れる?」

「嬉しすぎて眠れない可能性はありますね」

「そう……」


 抱きつかれることを想像したのだろう、結愛の顔が「えへへ」と緩む。


「俺のこと好き?」


 ほぼ、確実に好きであろうが、春樹は一応聞いてみた。


「はい。私──吉野結愛は、加藤春樹くんのことを心の底から愛しています」


 とても嘘を言っているようには見えなく、結愛が言ったことは本当だろう。

 学校が一緒だから全く話したことがないわけではないが、今まで仲良くすることなんてなかった。

 それなのに結愛には好きな気持ちがあり、春樹は少し変な感じになる。

 一目惚れされたわけではなく、父親に幼い頃から「春樹くんのことを好きになれ」と言われてなったのだから、結愛は少し変わっているだろう。

 それでも好きと言うのは恥ずかしいのか、結愛の頬は少し赤くなっていた。


「春樹くんは異性に興味がないと言ってたのですし、誰か好きな人はいないんですよね?」

「いないな。抱き枕が恋人みたいなものだな」


 もう何年も抱き枕と共にしていて、春樹にとっては人生の相棒と言ってもいい。

 でも、結愛にはあまりよろしくないようで、「むう……」と頬を膨らます。


「春樹くんの恋人は私なんです。抱き枕に隣は渡しません」


 抱き枕に嫉妬されてもな……と思いながら、春樹は苦笑するしかなかった。

 嫉妬している結愛は可愛らしいが、まさか抱き枕にするなんて誰も思うまい。


「とにかく春樹くんは私に抱きついて寝てください。これはもう決定事項です」

「決定なの?」

「はい。抱き枕なんかより、私の身体の方が良いということを証明してみせます」


 この言葉だけ聞くといかがわしく感じるが、結愛はそんなことを考えてもいないだろう。

 ちゃんとした睡眠をとってほしい……そう思わせるような顔だ。


「本当にいいの? 寝れなくても責任は取れないよ?」

「大丈夫です。最初は嬉しすぎて寝れないのはかもしれませんが、春樹くんに抱き締められて寝たらきっと幸せな夢を見られます」


 まだしていないのにそんなことを言い、結愛はうっとりとした表情になる。

 妄想するのが大好きなのだろうか? ニヤけた結愛には学園の女神様の面影がない。

 さらには「春樹くんが興味を持ってくれれば、私の初めてを捧げることが出来ます。えへへ」と、妄想が垂れ流しの状態だ。


「そこまで言うのであれば結愛に抱き締めながら寝ることにする」

「はい。私で沢山気持ち良くなってください」


 意味合いが違うように聞こえるが、気持ち良い睡眠という意味だろう。


「初めて私のことを名前で呼んでくれましたね。学校では名字だったから嬉しいです」

「そりゃあ、許嫁がいるなんて知ったの昨日だし」


 昔からの知り合いと聞いたし、どうせ一緒に飲んでる時に冗談で言ったら、相手が本気にしたんだろうな……と思いながら、春樹はため息をつく。


「まずはちゃんと寝れるか確かめてみるかな」

「今から寝るのですか? まだ昼間ですが……」

「引っ越し作業で疲れてるから大丈夫」


 春樹はそう言ってから結愛のことを抱き抱え、寝室に向かっていく。

 いわゆるお姫様抱っこということで、結愛は耳まで真っ赤にさせる。

 何も躊躇せずにお姫様抱っこをする春樹に、「天然ですか? 春樹くんは天然の女の子キラーですか?」と結愛は聞こえないように小声で口にした。


「ベッドはシングルだけど、しょうがないか……」


 寝室に着いた春樹は、結愛をベッドに下ろす。

 ベッドは春樹が実家で使用していたもので、本来は一人で寝るものだ。

 部屋はそんなに大きくないのでシングルじゃないとスペースに余裕なんて出来ないし、新しいベッドを買うとお金がかかるからこれにした。


「あの……着替えなくていいのですか? それにシャワー浴びないと匂うかもしれませんし」

「いいよ。昼寝するだけだ」

「でも、寝てる時にスカートが捲れてしまうかもしれません」


 結愛の服は引っ越し作業をするのには適さない丈が短いスカートで、春樹に興味を持ってもらうために着たのだろう。

 シミ一つない綺麗な太ももが見えている。


「じゃあ、寝るから」

「はい」


 了承を得たことで、春樹はベッドに入って結愛のことを抱き締めた。

 抱き枕に抱きつく時と同じように、腕と足を使ってしっかりとホールド。


「おやすみ」

「おやすみなさい。良い夢を」


 春樹はゆっくりと目を閉じ、少ししたら夢の中に入っていった。


☆ ☆ ☆


「んん……」


 数時間後、春樹は目が覚め、隣には結愛が寝息をたてていた。

 もちろんしっかりと春樹に抱き締められながら。

 抱き枕と同じように寝ている時も一切結愛のことを離さなかったようだ。


「ふむ……寝心地は良かったな」


 ちゃんと熟睡することが出来たし、むしろ抱き枕より抱き心地が良い。

 華奢な体躯でありながら女性特有の柔らかさがあり、このままずっとこうしていたいという気持ちにさえなってしまう。


「ヤバいな……」


 これまで抱き枕が恋人のようなものだったが、それ以上に抱き心地が良い結愛が現れた。

 春樹にとってはそれだけで特別な想いが生まれてもおかしくない。

 今までにないくらいに心臓が早く激しく動いてしまう。


「離したくないかも」


 そんな想いにかられた春樹は、さらに力を入れて結愛に抱きつく。


「んん……あれ?」


 強く抱き締められたからか、結愛が目を覚ます。


「おはよう」

「おはようございます。いつの間に私も寝ていたのですね。春樹くんの寝顔をずっと見ていたかったのに残念です」


 しっかりと熟睡したのだし、結愛は春樹に抱き締められても寝れるということだ。


「男の寝顔なんて見てもつまらないだろ」

「そんなことないですよ。好きな人の寝顔は見たいものです」


 少し恥ずかしくなり、春樹は「そうか」と頷きながら頬をポリポリと指でかいた。


「もう暗くなってきまきたし、そろそろご飯の準備をしますね」

「あ……ダメ」


 晩ご飯の支度のために離れようとする結愛だったが、春樹によって止められてしまう。


「春樹……くん?」

「もう少しこのままでいて」


 この心地好さを求め、身体の全てを使って春樹は結愛のことを離さない。


「本当はずっとこうしてたいけど、後五分だけでもこうしてる」


 細い身体が折れてしまうんじゃないかと思うくらいに春樹は抱き締める力を入れる。


「好きなだけこうしてていいですよ。私には嬉しいことですので」

「ありがとう。このままいけば結愛のこと好きになれる」

「本当ですか? なら離れるわけにはいかないですね」


 結愛にとっては抱き枕代わりになった甲斐がありがあるだろう。


「春樹くん……」


 何かを期待するかのように、結愛はゆっくりと目を閉じる。

 してほしいことを春樹は察し、そのまま顔を彼女に近づけていく。


「んん……」


 この日、二人は産まれて初めてのキスをするのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

許嫁である学園の女神様を抱き枕代わりにして寝るのは間違っていない しゆの @shiyuno

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ