第5話女装男子の回想~sunset~
「ぜえぜえ」
いい加減本当に殺してしまいそうな手応えを感じた蛍が若菜を開放する。
若菜は手を膝に置き肩で息をしていた。
蛍が低いトーンで呟く。
「今日は災難だねぇ」
「今のはほたるんがやったんじゃん!」
「ん~? わかなに言ってないんだけどぅ?」
やんわり語気を強めて若菜に告げると、ふわりと髪を翻しながら振り向き蓬に笑う。
「だから、別に無理に話すことないよぅ。ねぇ、うらばちゃん」
「え、あー」
(ミヤさんさては正直どうでもいいと思ってるな)
蛍に同意を促された麗葉は曖昧に答えながら蓬を見やる。
(まあたしかに詮索する必要はないのかな。ちょー気になるけど。理由なんて知らなくても仲良くはできるってわかったわけだし。ちょー気になるけど)
「……そうですね」
押し寄せる好奇心のあまりに口を尖らせる麗葉だったが、大きなため息と一緒に外に出して諦めることにした。
蓬が女装をする理由。
彼と篝を強く結ぶ理由。
彼としては話しても構わない事情だった、が、できれば話したくない事情でもあった。
いつかは誰かに知れるのだろうと思っていたし、いつかは誰かに話すだろうとも思っていた。だが先延ばしにしていた(話す相手がいなかったというのもあるが)。
なぜならば……。
その話はあまりに荒唐無稽だった。
荒唐無稽な篝に、荒唐無稽な約束をする話。
いや、もう変に取り繕う必要もないか。
それはあまりに愚かな。
違う。もっと有り体に。
これはあまりに阿呆な物語なのだ。
だから、話すのははばかられた。避けていたかった。
でも彼は思う、本当にそれでいいのかと。
――それに。
蓬は蛍をじっと見つめる。彼女の双眸はやはり水晶みたいに途方もなく澄んでいる。
ふわふわの髪に大きな目にちっちゃな顔、おっとりとした口調に立ち振舞、シャツも灰色のカーディガンも丈の短いスカートも、全て彼女を引き立てるためにあると思わせるような雰囲気、白い肌、声色、仕草、言葉では言い表せない彼女の気配。その息を飲むようなかわいさに、蓬は完成形を見てしまった。
偶然にも自分の目指すべき標榜が目の前にいる。
「いえ」
蓬の声は小さくも、強い意志のこもったものだった。
「話します」
心臓が高鳴る、手が震える、目が充血する、怖い。
なのにするりと言葉が出たことに蓬は自分で驚く。
見つめていた蛍が不敵に、楽しげに口角を上げる。
「座って話そうか~?」
○
三月初頭。暦では春ながらまだまだ厚手の上着が必要な時期。塾の高校準備講座を終えた二人は帰り道を並んで歩いていた。
個別の塾だったが学年も習熟度も同じランクだったため必然的に同じ曜日の同じコマになることが多く、そうなった時はこうして二人一緒に帰るのだった。
この頃蓬はまだ黒髪で長いそれを後ろに結っていた。
対する篝は今とそこまで変わらない。まあたかだか二ヶ月前の事。蓬の某戦闘系美少女ユニットも驚くほどのメタモルフォーゼが異常なのだ。
「どこから食べればいいと思う?」
「え?」
篝が猫のようなキャラクターの顔を模して作られたあんまんを蓬に突き出す。
「反対にして、下の、ほっぺたのあたりからかな?」
「そうか。そうだよな」
頷きながら篝は中華まんの袋の中で器用にあんまんを回転させる。
「……これはこれで目があって気まずいな」
眉間に皺を寄せる篝に蓬は苦笑い浮かべる。内心筆者と、ひいては読者諸賢と同じように「どうでもええわ」と思っているに違いない。
だが彼は言わない。
好きだから。
好きな人に嫌われるのは誰にだって好ましくないだろう。だから嫌われる可能性がある言動は避けたい。
健全な反応だ。
篝はあんまんを一口味わった後呟く。
「蓬は塾今日で最後か」
「うん」
蓬と篝はその塾で出会った。
明るく光ると書く某塾だったが、彼にとってなにより輝いていたのはよく磨かれた机でも高得点の答案でも塾長の燕尾柄の眼鏡でも綺麗な大学生女講師でもなく、明石篝その人だった。
「家まで送ってくよ」
「ありがとう」
大通りのT字路に差し掛かると、蓬は篝に言う。
蓬はこのまま直進、篝は曲がり長い坂道を登るのがそれぞれ家まで最短距離なのだが、いつからかこうして蓬が篝を送っていくのが自然となっていた。
できるだけ、好きな人とずっといたいと思うこと。これもまた健全な反応だ。
坂は西に向かって登っていて、前見ると夕日で眩しい。二人は少し俯きがちに歩く。
出会った頃は物静かで寂莫とした彼女にどこか冷たい印象を受けて苦手だった。
が、それは彼女の持ってる一面。それも外面的要因でしかないことに、休憩中少しずつ話しているうちに知っていった。
私立の女子校に通う少女、成績は良く頭も回るがそれを鼻にかけたりしない。好きな音楽はアイリッシュ系でコンビニのコーヒーには砂糖を一本入れる。口数は少なく不思議なほど大人びていて怜悧。そのせいからか冷淡な性格と思われることもあったが、ただ感情を表に出さないというだけである。
本当はもっと、女の子的一面がある。
鞄にマスコットのキーホルダーをつけていたり、ぬいぐるみのような筆箱だったり、同じくぬいぐるみのようなリュックを背負ったり、スマホの壁紙、送ってくるLINEのスタンプ、帰りに寄るコンビニにキャラクターのコラボ商品があればすぐ買ってしまうところ。
淑女的嗜好と少女的趣味。篝はその二つをあえて隠すこと無く、あえて飾ることなく、ニュートラルに振る舞っていた。
そんな有るがままでいられる彼女の様に惹かれ、音もなくふわふわと、まるで雪のような柔らかい感情が心に降りしきりいつしかそれは恋心となった。
「明石さんとこうして帰るのも今日で最後か……」
「まあ、高校同じじゃないか」
「そうだね」
蓬は少し遠くを見て返した。
そう。同じ。
変わらないんだ。
高校に上がっても今のままならこうして居心地良く、並んで歩ける。電車も一緒に乗れる。
でもそれでは、心に募った想いはいつしか凍結して澱になってしまいそうで。
だから高校を上がる前に気持ちを伝えたくて。
「ボク、明石さんが好き」
吹き抜けるそよ風のような唐突な言葉が、まだ肌寒い清月の夕暮れに微かに響く。
調度飽和点だったのかもしれない。それに加えてちょっとした焦燥。
どちらにせよずっと抱えていたにしてはあまりにあっさりとした言葉に、蓬は少し驚いていた。
その上次の言葉が見つからない。崖に放った鉤縄がいくら投げてもどこにもかからず落ちてくるように、繋ぐ台詞が思い浮かばない。
「そうか」
篝は言葉を続けない彼を一瞥すると、まるで既に知っていたかのように気にもとめない様子であんまんを頬張る。
いや、実際知っていたのだろう。
それは彼女の聡明さによる、ものではなく。
あまりに露骨だったのだ。
蓬が篝といる時の反応。話しかけられた時の反応。振る舞いや挙動。
そういうのがもう露骨に。だからその張本人である篝は当然のように知っていたし、講師の間でも囁かれていた。
蓬は同じ中学ではなかったことを常々憂いていたが、そうなったらあまりにあからさますぎて四六時中全校生徒および教師陣総出で冷やかされていただろう。
二人は俯きながら、坂道を登る。
茜色の日差しは眩しいほど蓬を照らすのに、彼の顔は暗い。
篝が突然立ち止まる。
彼女の自宅についたのだ。
「蓬」
篝に呼ばれ、彼は顔を上げる。彼女の申し訳なさそうな表情を見れば、どうしようもないということは答えてもらうまでもなくわかった。
「ごめん」
それでも彼女は無情に告げる。篝は蓬
「……うん」
蓬頷いて、苦笑する。参ったなあと、自分から少し離れた所で処理しないと、今にも泣きそうだったから。
「私、レズなんだ」
「うん?」
「レズ」
「船に乗ってじゃんけんする人?」
「それはクズ」
「パンに入ってるやつ?」
「それはレーズン」
「鰹のたたきにかけるやつ?」
「それはポン酢」
「不幸カップルの片割れ?」
「それはポンズ」
篝は嘆息し続ける。「じゃなくてレズ」
「私がかわいいもの好きなのはしってるだろう?」
「まあ」
「恋愛対象でもそうなんだ」
篝は強く蓬を見つめる。蓬の思いを挫くためのその眼光は鋭く、それでいて彼は目を外せなかった。
「だから私はたぶん、かわいい女の子しか愛せない。」
突然の告白返しの告白に、蓬は言葉がでない。
そんな、どうしようもないじゃないか。
「だから、諦めてくれ」
蓬がその言葉を噛みしている間、篝はずっと彼を見ていた。
整理して、彼女を諦めて、それを知らせる言葉を彼女は待っていた。
だが、続く言葉は。
「じゃあ、かわいくなったら付き合ってくれますか」
好きな人に好かれるために、その人色に染まろうとする。
健全な反応――はい?
「世界一かわいい男子高校生になったら、付き合ってくれますか」
ほつれた糸を繋ぎ合わせて紡いだ一縷の糸に縋るような、あまりに荒唐無稽な弥縫策。
世界一かわいい男子高校生。
ただ彼女の理想と自分を強引に結んだだけ。詭弁どころか戯言にすらなっていない。肩で風を切り得意気に橋の中央を渡る僧と同じ、とんちの類。
蓬自身、正直自分でも良くわからなかった。
手は震え、胸は骨の軋む音が聞こえるほど痛く鳴る。
だが、恥ずかしいとなんて思っていない。
間違ってないと信じているから。
篝は笑った。滑稽だったからではない。慈しむような顔で目を細める。蓬の一途さ、愚かさ、阿呆っぷり。それを見てもなお、彼女の表情は優しい。
片手が蓬の髪に触れ、するりと頬まで撫でる。
「素質はある」
揺らめく炎を抱いた篝の瞳を呆然と見つめる蓬の顔が赤いのは、夕焼けのせいではない。
篝は踵を返しドアノブを掴むと、玄関に向かって呟く。
「期待している」
彼女が扉の奥に消えてしまっても、彼はそこに立っていた。
必ず応えよう。
必ず報おう。
必ず能おう。
無言のままそれを誓い、蓬は坂を下る。その様子を見守るように夕日が、彼の影を長く、長く伸ばす。
そのことに蓬は気付かない。
ただ、前だけを見ていた。
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