第4話 女装男子と手芸部
蓬は若菜に腕を引っ張られ、本棟の西側に位置する部室棟に入る。
プレハブ作りで壁の薄い部室棟は喧騒に包まれていた。
その様が一種の異世界感を生み、たていの新入生はワクワクしてしまうが、実はこの喧騒、仮入部期間限定のものである。
水面斗高校のシステム上ある程度実績を重ねた部活動ならば本来空き教室を貸し出されるもので、文芸部や落研などの歴史ある部活でもない限り夏は暑く冬は寒い部室棟など本来願い下げのはずだ。
反証的に部室棟の部活は実績に乏しい部活と言える。実績がないと言うことは、たいてい活動が弱かったり。その証拠に『B級映画研究部』や『道路表札撮影部』といった放課後という青春ポイント上乗せ特化ゾーンを台無しにしてしまいそうなものや、『
進路選びと同じだ。たいていやたら宣伝する進路はろくなものがない。本当に良質な部活は泰然としており自ら部員など集めたりはしない。そんなことをするまでもなく集まるはずだ。
「一年生まだ一人しか入ってなくて寂しかったんだよねえ」
若菜は蓬の手を引いたまま困り顔でおどける。
部活発足の条件の緩さと部員が一人でもいれば存続できるという廃部率の少なさから、でたらめに増えすぎた部活動の数は40を超える。それゆえに新入生の競争率が異常に高い。
私立のわりに偏差値60という中途半端な学力のためか入学希望者が少なかった当時、理事長が取った方策のコンセプトが『自由な校風の実現』というものだったせいだ。
だからその気になれば部活の一つや二つ作り放題だしカーディガンに色の指定も無いしし蓬のように髪を亜麻色に染めても若菜のように某嶺上使い並にスカートを短くしても問題なし。なんなら宗教勧誘も扇動行為も校則に明記はないからオッケーだろう。おかげで男子生徒の女装が黙認されているくらいなのだから。
とはいえ、支柱のない朝顔の蔦が柵や家や他の花々に絡まってしまうように、時に自由は無秩序という名になり弊害を生むこともある。
前述のように競争率が高いため本来の活動より仮入部の方がずっと気合の入ったものになってしまいそのギャップで幽霊部員が増えるし、あまりに数が多すぎるせいで素養のある生徒が分散してしまうため、チーム競技の運動部は基本的に一回戦敗退常連校で、部員が足りなくて助っ人を用意しないと試合すらできない部活さえあった。
「まあ特別部員が必要ってわけじゃなかったんだけどね」
そう断るわりには若菜の顔は嬉しそうだった。口角は鼻のしたくらいの高さまで上がり目元はだらしなくたれ下がっている。
そんな顔を見せられては、たまたま凝視するような体制を取っていたとはいえ無理矢理連れてこられてしまった蓬と言えど訳を説明して帰してもらう気にはならなかった。
「ついたよ!」
かわいく手書きで『手芸部』と書かれた表札のある扉の前で、じゃーん、言いながら若菜は片膝を突いて手を伸ばしせわしなく回転させた。
(まあ、とりあえず見学するだけしてみよう)
蓬はぼんやりと考えながら、先に入る若菜に続いた。
八畳ほどの部室はカーテンが開いているせいで西日がたっぷり差し込んでいて、光に慣れていない蓬の瞳には少し痛かった。
窓側には白いカラーボックスが置いてあり、毛糸や裁縫箱に成果物と思しきクッションやニットの帽子やぬいぐるみがしまわれている。
部屋の中央には4つの机で島を作られており、そこに座る一人の少女の横顔を見て、蓬は息を飲んだ。
あまりにも、かわいすぎたのだ。
身長こそ多分よもぎより少し低いくらいだったが、小顔の上幼い顔だちのためどこか儚さにも似た雰囲気を帯びている。ピンクベージュの髪をくるくるふわりとカールさせていたが、校章の入った灰色のカーディガンのおかげで下品な華美さを感じられない。机の下に隠れた足は細く、それでいてミニスカートから覗く太ももはぷっくりと健康的なものだった。その様は童顔な容姿とは不釣合いな艶めかしささえも感じさせた。
「あ、おかえりぃ」
彼女は若菜の方を見るとおっとりとした口調で柔らかく微笑む。
そんな笑顔を見せられたら宇宙の果てからはるばるやってきたさすらいのプレデターも地球に留まることを決め、超高速で飛空する円盤に乗ったエイリアンも思わず彼女をかどわかし「私があなたをアブダクトしたのではありません。あなたが私をアブダクトしたのです。そう、私の心をね」なんて一昔前のB級映画でも言わないような糞寒いジョークを言うことだろう。
「えぇと、その子は?」
彼女は唇を二回叩いて蓬を指差す。
「この子はねっ!……タマ? タカマズ……? 蓬ちゃんだよ!」
「よろしくお願いします」
「うん~。ほたるは
「仲良くしてあげてねっ蓬ちゃん!」
「ぅん? “ちゃん”?」
ぺこりと頭を下げる蓬を蛍はじっと見つめる。
「? ちゃん」
「くんじゃなくて?」
「? なに言ってんのほたるん」
「だってこの子、男の子だよぅ」
「は?」
「男の子」
蛍の水晶のような大きく澄んだ双眸に映る蓬の顔色は青く、うっすらと冷や汗を浮
「なんでわかったんですか?」
蓬の声に覇気はなく、占い師に真相を暴かれた犯罪者のように不安と恐怖に苦悶した表情をしている。
「だってぇ」
言いかけて、蛍は指をぷるぷるとした唇に置く。口が少しだけ空いて前歯が少し見えてるせいかいとけなく見え、それがまたかわいらしかった。
(ほんとは普通にわかったけどぅ。なんか泣きそうだしなぁ)
顔を翳らせる蓬を見て蛍は一度ぷにっと唇に指を押し当て離すと、今度は所在無さげにくるくる円を描き、蓬の顔を指すとそのまま下に下ろし、あるところでピタリと指を止めた。
「?????????」
若菜が指された方を見やって困惑する。目どころか髪の毛一本一本まではてなマークに変わるんじゃないかと思うほど混乱した表情をしていた。
「?? なんでおズボン???」
「男の子だからじゃない?」
若菜が俯く蓬を訝しげに覗き込む。蓬は申し訳無さそうに小さく頷いた。
「……ヘンタイだっ」
若菜は蓬から離れるように窓側へ退くと、吐き捨てるように呟いた後大きく息を吸い込み、
「ヘンタイだあああああああああああああああああああああああああああああああ」
あらん限りの大声で叫んだ。
プレハブ棟がキシキシとなった。漫画だったらサザエさんのエンディングのように形を何度も変えていただろう。
「若菜~、落ち着いて~」
「無理無理無理無理無理無理っ意味分かんないっ意味わかんない」
「いたたた」
泣きながらクッションやらぬいぐるみやらを蓬に投げつける若菜をそう諭す蛍は楽しげで、本気で止める様子は見受けられない。カーディガンで親指だけ覆った手で口元を抑え笑っている。
そんな部室の騒ぎに緊急事態と思われたのか外から忙しい足取りでガラガラッと部室の扉が勢いよく開いた。
「ちょっとちょっとなにごとですか不審者ですか!? しかもなんで玉鬘くん!?」
そして現れた藤野麗葉は蓬を見て目を見開く。
「藤野さんこそ……」
彼女としては状況を説明して欲しかったがそれどころではない。
「た、たたた、たた……たなんたらくん!? やっぱ”くん”なんだ!? やっぱ男子なんだ!? やっぱヘンタイなんだああああああああああ」
力尽きたように床に座り込み、一層大粒になった涙をボロボロこぼして泣き叫ぶ若菜の方を見やり麗葉は「あっちゃー」と頭を掻いた。
「ユウさん男子が大の苦手なんだよね」
「なるほど……」
麗葉が蓬のそばに寄って耳打つ。
「あれ、うらばちゃん知り合いなのぅ?」
「知り合いっちゅーか、クラスメイトなんです。そんで結局なんで玉鬘くんがいんの?」
「ん~。たぶんいつものあれじゃない? たまたま部活のポスター見てたら~」
「拉致られた?」
本当は見てすらいなかったけれど蓬は頷く。
「まあたしかに玉鬘くんを男子とは思わないか……」
「ほんと? 思わない?」
「ぇえ? うんたぶん。ですよねミヤさん」
目をキラキラさせて確認する蓬に、麗葉は口を尖らせながら蛍に同意を求める。
「ん~。そうだねぇ」
蛍は柔らかく笑い頷いた。
「そうだよっ……まさか男の子だなんて思ってなかったよっ知ってたら連れてこないよっなんでそんな格好してるんだよおおおおおおお」
降伏した犬のように床に寝そべる若菜がうめき声を上げる。
「あ、それ私もちょー気になるそれ」
「蛍も知りたいよね!」
「ん~? ん~」
蛍がにこにしながら両手で大きな丸を作ると若菜は勢いよく立ち上がった。
「じゃあ話してもらおっか!」
「え?」
「賠償代わりにねっさもないと……」
いつのまにか若菜はロープ並の太さまで紡いだ毛糸を持ち、自分の首の前で張っていた。カラフルでファンシーな毛糸を笑顔で握っているのに殺意しか感じられない。
「ユウさん、それはさすがにちょっと」
「そうだよぉ。元はといえばわかなが無理矢理つけてきたんだからぁ」
「えっ無理矢理じゃないけどっ合意の上だけどっそうだよねだよねこの野郎!」
「あ、ははは」
「笑ってんじゃねえぞコラッ」
もはや笑うことしかできない蓬からさらに選択権を奪う若菜。
今にもその小さな体躯を最大限に活かし襲いかからんとする若菜に見かねた蛍は、おもむろに立ち上がると、
「ぎゅー」
「わふわふっ!」
なぜか若菜を抱き寄せた。
「どぅどぅ」
蛍はふともも同様健康そうな胸に若菜の顔をうずめながら彼女の頭を撫でる。
「え、どゆこと」
「ミヤさん曰く鎮静剤らしいよ。小学校の時からユウさんが暴れた時はああするんだって」
「たしかに落ち着いてきたみたいだ。体がだらんとしてる」
「なんかちょっと悪いもの見てる気がするけどね」
「たしかに。……なんか麗葉さんさっきより話しやすい」
「そう? なれてきたのかも」
「なにに?」
「光景に」
麗葉は指でカメラを作って蓬を捉えてみせる。
ぽかんとする蓬の顔がちょっとおかしくて、思わず笑う。
「って、そんなことよりあれ大丈夫?」
蓬が先輩二人の方を指す。麗葉はカメラをそちらに向ける。
「わ、わふー!(し、死ぬー!)」
「いんがぁおーほーぅ。」
「わふわふわふっ! わふわふわふわふっ!(未遂だからっ! まだ未遂だからっ!)」
「くすぐったいなぁ。ふふ」
おかげで殺人現場の決定的瞬間を克明に映してしまうのであった……。
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