第3話 女装男子と恋相手

そんな出来事を知る由のない蓬は、目に見えてるんるんだった。

 高校生活2週間目にして初めてクラスメイトと話したのである。当たり前であろう。

 弾む歩調からは音符がほとばしり、愛らしい相貌は朝日を湛えた湖水のようにきらきらしていて、彼の通った後は虹色の残滓が軌跡を描いていた。

 もちろん比喩である。そんな人がいたら天然記念物としてエリア51の職員たちの見世物になった上で解剖されて以下略である。

 

ともかく蓬の嬉々とした様子は誰が見ても伝わるようで。そんな楽しげな様子の見た目美少女が階段を闊歩していたら弥が上にも視線は集まり、彼のことを知らない男子生徒たちは彼が目の前を横切るとデレッとした表情を浮かべ、遠ざかるその出で立ちに一様に困惑するのだった。

 

階段をリズミカルに降り手すりに捕まりながら大げさにターンをする。

正直蓬自身、このまま友だちできないんじゃないかなーとかそんな灰色の高校生活を思い浮かべて軽く参っていたところだった。


女装しながら高校生活なんてどうかしているってことくらい、蓬にだってわかっていた。

 おかしいと思われないほうがおかしい。

 仮に今の状態の蓬(女装しながら、あるいは女子になりきろうとしている)に話しかけてくるなんて人がいたら、そんなのは十中八九好奇心に支配された野次馬的な人間でしかない。そういう輩は彼を適当に暴いて、適当にからかって、適当に吹聴して、そして飽きたら突然関わりを無くすような人間だろう。


 幸いなことに1-Aにはそういった人は誰一人としていなかった。この半月、誰もがちんぷんかんぷんな存在たる蓬のことを遠巻きに観察しれているだけ。

 

 蓬はこの二週間『ぼっち』だったが、そういった意味では反証的に、クラスメイトを信頼していた。

 少なくともからかわれたり晒されたりはしない。

 異常を異常のままでいさせてくれている。

 我関せずと言った具合に誰も彼に接触しようとしないから、彼に『ぼっち』という居場所を与えてくれる。


 でももちろん、寂しかったわけで。


 階段を下りきり、渡り廊下に差し掛かると落下運動という加速装置を失くした蓬の歩調はトボトボとしたそれになる。

 さっきまで纏っていた気配もすっかりと落ち着き傍目からは失恋ほやほやで攻め時の美少女だった。皮肉にも、むしろ現在進行系の恋がもたらした状態なのだが。

 我ながらやりすぎだったかなあ。彼は後悔に近い反省の念を漠然と浮かべる。


 初恋のために女装して生活するんなんて。


「どうかしたのか? ため息なんてついて」


 俯いていた蓬は背中にこんにゃくをつっこまれたかのように見開らかれたその瞳は、目の前の女生徒(黒髪の乙女)の全体像を必死に写し込む。

 腰ほどまで届くほど伸びた真っ黒な髪。リボンは一年を表す赤をしていたが、そのリボンが上向きになるほど豊満な胸や長い足や蓬より高い身長や、なによりその怜悧で大人びた雰囲気のせいで三年生と言われた方が自然に感じてしまう。

 蓬は彼女を知っている。

 

「あ、明石さん……!」

「やあ」


 蓬が喉に詰まった言葉を無理矢理出すと、声の主である明石篝あかしかがりは細くしなやかな手を軽く上げる。


「相変わらず君は喜怒哀楽が激しいな」

「うっ」

「責めているわけじゃない」

「ほんと?」

「ああ。面白い」


 褒められて(少なくとも彼はそう認識して)、蓬は紅潮する。デレデレと顔のパーツが溶け落ちていく。それに相対するように篝の表情に変化はない。いや、微妙に口角を上げている。およそ2.5度。

 

「……えと、それでなにしてたの?」

「ああ、これだよ」


 篝は親指で左の壁を指す。部活動のポスターが掲示板を隙間なく貼られていた。内容は大体同じで新入部員募集との文言が書かれていた。


「剣道部ないよね」

「これだけあるのにな」

「他の部活は?」


 嘆息する篝に蓬が訊くと、彼女は肩を竦めた。


「まあバイトしようとしていたから」

「バイト?」

「猫カフェ」

「アレルギーじゃなかった?」

「ネコミミカフェの」

「あー」


 え? 風営法的に大丈夫なの? なんて疑問なんて持つこともなく、蓬は手をグーにして口元を隠しながらクスクス笑った。


「たしかに明石さん好きそう」

「大好きだよ。可愛いものは」


 その風貌と全くそぐわない言葉を篝は平然と言ってのけた。3年以上の交流がある蓬だからこそ、なんてことは決してない。

 自分の好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。彼女は自分のキャラとか立ち位置とか、そんなものには絶対に縛られることなく自分の感情にどこまでも素直に考え、そして行動する。


 そんな天衣無縫な彼女の振る舞いが、蓬はひどく好きだった。


「蓬は?」

「なにが?」

「部活」

「決めてないけど」

「そうか」

「うん」

「……」

「……」

「では」


 篝がもう一度軽く手を上げて踵を返すと、


「待って」


 蓬は掠れた声で呼び止める。


「……なにか?」


 篝が振り返り彼をじっと見据える。照明を吸い込むような濃い黒髪が翻る。たなびく髪と夜空よりも深い黒の瞳が荒涼とした空気を生み出す。

 

「ええと」

 

 蓬は息を飲むと手をぐっと握って、


「えいっ☆」

「……なに?」

「……ウィンク、です」

 

 そう、篝に向かってウィンクをしたのだった。

 今どき野毛のキャッチすらやらないような、一見意味深な行為だったが、どうやら篝は理解したらしくため息を漏らしながらゆらりと蓬の背後に回り込む。


「失礼」

「うひっ」


 そして蓬の頭に手を乗せ彼の体を這うように下へ下へと滑らせる。


「喉の形」


 さわさわ


「肩幅、胸のふくらみ」


 さわさわさわさわ


「腹の肉付き、腰の骨格、尻の弾力――」


 さわさわさわさわさわさわもぎゅっ


「ひわっ」


 すでに涙目だった蓬が卑猥な擬音に短い悲鳴を上げると篝は下半身から手を引っ込め薄く開いた目で彼の前に立つ。


「やはり違う」


 撫でられまさぐられ握られた蓬は前屈みで手を膝に置いて肩で息をする。

 そんな彼を気にもとめない様子で再び踵を返すと、彼女は前髪をしだれさせ低いトーンで呟くように告げる。


「あなたは女の子じゃない」


 そして蓬を置いて帰路についた。

 寂寞が訪れる。

 運動部の掛け声とブラバンのチューニングが遠雷のように響く中、蓬は悔しげに手を握りしめた。伸ばした爪が痛い。

 

「しょうがないじゃん」


 篝の言葉が大分聞いているようで、呟くと反対の手を壁につきため息を漏らす。

 

 そう、篝こそが蓬の女装奇行の元凶だった。いや発端と言ったほうが正しいか。女装という迷走に舵を切ったのは間違えなく蓬なのだから。

 

「ありゃ?」


 トトトトッと小気味良い足音が近づいてくるのに気づいて蓬は顔を向ける。


「ありゃりゃりゃりゃりゃりゃ?」


 パーマの掛かった金髪のショートカットの少女だった。中学生か成長の早い小学生くらいの背丈だったがリボンの色は緑。どうやら2年生のようだ。


いや、あるいはお姉ちゃんのものを勝手に借りてるだけかもしれない。


思わずそんな考えを巡らせてしまうほど、どこか垢抜けなく幼い雰囲気の生徒だった。


「手芸部に興味あるのかなっ?」

 

 小柄な少女は目を輝かせて蓬に訊ねる。

 造花の髪飾りが小さく揺れた。


「え?」

「食い入るように見てたからさっ!」


少女は掲示板を指差した。ちょうど蓬の手の横に手芸部のポスターがあったようだ。


「一年生だよねっ! 私は二年の夕霧若菜ゆうぎりわかなっ。あなたの名前は?」

「えと、玉鬘蓬です」

「タ…カズマ……? よもぎちゃんだねっ! じゃあ部室に行こうか!」

「ちょ、ちょっと」


 蓬が取り付く島がなく、でや次小さな手が彼をの腕をがっしりと掴むと、フルスロットルで廊下を駆け出した。

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