第8話 女装男子と入部
帰宅時刻が近い部室棟の放課後間もない時とは打って変わって閑静なものだった。廊下は至る窓から降り注ぐ夕暮れに染め上げられ、寂莫とした空気を助長されていた。
ピカピカになったカップやポットもまた、麗葉の持つトレイの上で夕光を湛えている。
「なぁに?」
並んで歩く蛍がふと麗葉の方を向き、首を傾げる。
「なにかぁ、ほたるに訊きたいことあるって感じするけどぅ?」
「……気づいちゃいます?」
「ますねぇ」
困り顔の麗葉が口を尖らせると、蛍はふわふわの髪を指にくるくると巻き付けて得意気に笑った。
「なに飲んだらそんなに胸大きくなるんですか?」
「ん~? ライフガードかなぁ」
「……まじすか」
「アミノ酸がねぇ。カロリーあるしねぇ。しょせん脂肪だからさぁ」
はぐらかすために適当に言ってみた言葉に意外な回答を出され思わず自分の胸に手を当てる。
(私炭酸のジュース嫌いなんだよなぁ。小学生の頃コーラでコーヒー淹れてめっちゃまずくてそれ以来……)
苦い経験、というより味覚的な意味で後味の悪い経験を麗葉は思い返す。
「で、本当は~?」
「はい?」
「ごまかしたでしょぅ?」
「……気づいちゃいます?」
「露骨だからねぇ」
麗葉は小さくため息をついて口を尖らせ足を止める。
嘘は苦手だと自覚していた。
素直というわけではない。ただの経験不足。と、自分では認識している。
「なんでユウさんはあんなちょー抵抗するんですか」
「ん~」
問われて、蛍は困ったように声のトーンを落とす。
(答えが返ってくるとは思っちゃいない。だから訊かなかったんだし)
若菜と蛍の人柄か、例の放課後マジックか、入部してから一週間しかたっていないのにすごく打ち解けている方だと麗葉は思っている。
でも、なぜ若菜があそこまで男子生徒の入部を拒絶するのかは知らなかった。
男子入部を拒むのは、今に始まったことではない。蓬の女装癖が、不審者性が招いたことではない。
部活のポスターには男子禁制の文言があり、それを確認せずに足を踏み入れた男子生徒はしめ縄並に紡がれた毛糸で亀甲縛りにされ窓から投げ飛ばされるのだ。
男子が苦手だから理由は、さきほど曖昧な答えで若菜にはぐらかされた。
(まぁ、気になるよねぇ)
蛍は唇を二度叩くと、ゆらりと歩き始める。
(まぁ、ほたるのことなら別に話してもいいのだけれどぅ)
「中学校の頃いろいろあってねぇ」
だがこの事案は『ほたるたち』の事案だった。だから、曖昧な答えになってしまう。
蛍は一歩後ろをついてくる後輩を肩越しに覗く。
彼女の表情に怪訝さや腑に落ちないといった様子はなく、蛍はくすりと笑った。
「優しいよねぇ、うらばちゃんって~」
「そーですか?」
「ん~。わかなくらい」
その言葉に麗葉は目を丸くしたが、楽しげに震える彼女の語気に、つられて笑った。
「おょ?」
「どーしたんですか?」
手芸部の扉に手をかけた蛍の動きがふと止まる。
「ん~。なにやら変な空気がねぇ」
「変な空気?」
蛍が音を立てないようにこっそりと扉を開き、二人は部室の様子を覗いた。
――めちゃくちゃなとは言ったけど……。
座ったままの蓬からコースターを受け取った若菜はそれをまじまじと観察する。
「ほんとっ めちゃくちゃだね」
そしてそれをひらひらとはためかせると苦笑いを浮かべた。
それは嘲笑というよりは呆れといった方が正しいニュアンスで、ともすれば関心さえも読み取れるような笑みだった。
蓬が作ったそれは、緩く丸く小さく結んだ糸を始点に、そこから渦を巻くように編まれていた。いや、編むというよりはからませるといった方かもしれない。編み物を模倣して作られた、ただの円状の毛糸。
展開の公式の知らない小学生が、掛け算と足し算だけで答えをひねり出すような、強引で乱暴な手段。
「ほんとっ 男の子のこういうところがだいっきらいっ」
若菜が吐き捨てた言葉に、蓬は長い前髪を垂らす。影がかかり目から光が失せる。
「ちょ、先輩! いい加減酷くないですか!」
「あ~。うらばちゃ~ん」
怒りを露わにしながら扉を力強く開け押し寄る麗葉のことは気に留めない様子で、若菜は続ける。
「でもっ 私が君に必要としたことは編み物ができるかじゃなかったね」
蓬が俯いた顔を上げて若菜を見上げる。彼女は重なった視線をそらしくるりと蓬に背を向ける。
「たしかに素人だろうけどっ あんたは二人より器用そうだしっ 面倒見る必要はなさそうだ」
そう言って蓬のコースターをいじると、肩を上げ、そして下げ、振り向きもう一度彼と視線を合わせる。
「だからっ うん。合格。入部を認めますっ」
「ほ、ほんと、ですか?」
「うんっ」
若菜は首を強く縦に降ると、蓬の震える手を取りコースターを握らせた。
「やったじゃん蓬くん! ちょーすごいし!」
「――麗葉ちゃん」
麗葉に思いっきり背中をはたかれたのに、蓬の表情には笑顔が溢れてくる。
「そのかわりっ」
そんな二人に割って入るように、若菜が指を立てる。
「部室にいる時は“蓬ちゃん”だからっ。少しでも男子みたいな素振りを見せたらすぐに退部してもらうからねっ」
「わかりました」
願ってもないことだった。
好きな人に振り向いてもらうため女装をする蓬にとって、女子として受け入れてくれる場所があるということは、なによりも嬉しいことだった。たとえ男子であることを禁止さえたとしてもそんなことはあまりに些細な問題だ。
「おめでとぅ。これからよろしくねぇ」
「……ありがとうございます」
なによりここには目指すべき人がいる。
そんな場所にいられるなんて、こんなに嬉しいことあるのだろうか。
蓬は作ったばかりのコースターを強く握りしめる。誤ってほつれてしまわないように。たとえ酷く絡まり形を変えてしまtても、解けてしまわないように。
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