第7話 女装男子とコーヒー
「おまたせしました」
蓬が電気ケトルを抱えて部室に戻ってくる。
「まってないよっ。拒絶的な意味でっ!」
「ちょっと、さっきまでやりすぎたかなって――」
「部長パンチッ」
「ほぎゃ」
その中学生と見紛うほどの体躯に似つかわしくない若菜の一閃(ボディ)に麗葉はノックアウトする。
突然の惨劇――というか寸劇――に蓬は狼狽しながらもティポットの隣に用意されていた電源ベースにケトルを置くと、
「もらってきたよぅ。マグカップ~」
調度蛍が戻ってきた。
「えっ いったいどこからっ」
目を丸くする若菜と対象的に蛍は目を細め楽しげに体を揺らす。
「陶芸同好会にねぇ、友達がいてねぇ、失敗したや――あ~、あまってんのないか訊いたんだぁ」
蛍は柔らかく笑いマグカップを席についた蓬の机に置く。
マグカップ黄土色で円錐を途中で切ったような形をしていた。
「変わった形ですね」
「”バベルの塔”だってぇ」
「流行ってるんですかね︙︙」
蓬がまじまじと眺めているとケトルが沸騰を知らせる。
倒れていた麗葉が腹部を抑えながら立ち上がりドリップを始める。
「ていうか麗葉ちゃんコーヒー淹れられるんだ。すごいね」
「実家が喫茶店だからね。子どもの頃からやってたからめっちゃ得意」
そう語りながら泡立ちを見つめる彼女の表情は確かに様になっていた。
「喫茶店?」
「そそ、こっから歩いて十五分くらい。休みの時とか今度来てよ。昼とかはどーせちょー暇だからさ」
「わかった。行ってみる」
「きゃはは」
麗葉は少し照れくさそうに笑った。
そんな二人を傍目で見ながら肩を並べて座る先輩二人はないやらこそこそ話す。
「やっぱいい感じじゃないですかっ」
「ん~? ほたるは男の子の友だちいないからわからないけどぅ、あんな感じじゃない~? 前クラスメイトの――」
「いいよ話さないでっ! また決定的瞬間目撃したんでしょっ!?」
「いや~。まさかぁ。ただ今日はお家に親がいないからなんとかぁかんとかぁ」
「やっぱり盛ってんじゃんっ、この高校ギリギリ進学校だと思ってたのにっ!」
「いやぁ、ほら。頭が良い分大人びちゃうっていうかぁ。あるかもしれないしぃ」
「ないよっ! 思春期卒業できてないじゃんよっ!」
「よしこんくらいかな?」
若菜が母校の精神年齢を憂いているうちに、どうやらコーヒーを淹れ終わったようだ。
麗葉は得意気に口を尖らせながら美しく膨らんだ白泡がしぼんでいくのを見つめる。
「そいえば蓬くん、砂糖とかは?」
「︙︙大丈夫」
「りょーかい」
本当は苦いものは得意な方ではなかったけれど、染まるタイプの恋をする蓬は篝の嗜好に合わせたくなる。あまりに暴走しすぎて、尾行をしない新手のストーカーみたいになっている気もするが。
各々の前に置かれたマグカップに、若菜はいまだ真剣な表情でコーヒーを注ぐ。
「あ、も~いいよぅ」
「りょーかいです」
最後に蛍のマグカップに注ぐと、彼女はすぐに若菜に告げた。
「少ないですね」
「ふふ~ん。じゃ~ん」
小首を傾げる蓬に、蛍は自慢気に紙カップの牛乳を見せる。
「カフェラ、あ~、カフェオレ~」
「いや、ほぼミルクじゃんっ!」
「だって苦いの苦手だしぃ。それに熱いのも苦手だしぃ」
「あ、ボクも実は「ちゅーか先輩も砂糖山のようにもいれるじゃないですか」」
蓬の言葉は麗葉に遮られる。
「だってっ、苦いのだしっ」
「あ、ボクm「まあいいんですけどね「やっぱ喫茶店の娘としてはブラック派なの?「まあ、そうですね」「でもぅブラジルでは砂糖いっぱい入れるって言ってたよぅ「ちょー詭弁ですよねそれ。寿司の本場の日本でも回る寿司食べるじゃないですk「たしかにっ「まあ一番嫌いな輩は通ぶってシングル頼んでスマホで撮る人ですね。いいですか。コーヒーってえのは30分で冷めるんですよ。魚介類よりずっと足が早えんです。だから「あっスイッチ入れちゃった」「迂闊だったねぇ「こうなると止まらないからまいったまいったっ」イスコーヒーってのもなんなんですかね。お父さんも好きなんですけど、やっぱそらあコーヒーとして「ほらまだ喋ってるっ」「止まらないねえ」」」」」」」」」」
怒涛の速度で展開される会話は閉じ括弧さえも置いていく。これが世に言うガールズトークである。
「……」
蓬は一人蚊帳の外でその様子を見ていた。
(話に混ざるタイミングがわからない……!)
あまりのスピードに彼はついていけない。そしてまだまだ女子になりきれていない自分に忸怩たる思いになり、所在なさを紛らわせようと彼はコーヒーを啜る。
口に広がる芳香。優しい舌触り。雑味のない苦さ。
「おいしい」
思わず溢れた彼の声に、言葉が本当にダンガンだったら指名手配度は確実に5に達していただろう麗葉のカラシニコフが止まる。
先輩二人は(やったか……?)みたいな顔をして成り行きを見守る。
「……でしょでしょ!」
麗葉は目をキラキラさせて瞬かせると、マグカップをジョッキのように掲げ冷めやらぬコーヒーをグビグビと飲む。
「やっぱコーヒーは【ドリップ】だとめっちゃ思うんだよね。【エスプレッソ】も【サイフォン】も好きだけどさ――どうやら標準を切り替えただけのようだ。さらに記号を増やし、そして致命的読みづらさは第二弾階へと移っていく……。移るな移るな――蓬くんはなにが好き?」「ん? ボクは……あんまり詳しくなくて……。でも、……知り合いが【エスプレッソ】が好きだって言ってた気がす「【エスプレッソ】かあ! まあ悪くはないんだけどね。【アメリカン】とかあんないい香りなのにちょー飲みやすいしね。やっぱその子は苦いのが好きなのかな?「いや、強いのが好きって言ってたk「強いのって! きゃはは。お酒と間違えてんじゃないの「麗葉さんの方が間違ってそうだけどね。それマグカップだよ「へ?「ビールじゃないんだから「きゃははは。美味しいコーヒーがあるとつい盛り上がっちゃってね「喫茶店で働いてんじゃないの笑(あ、だんだんペース慣れてきた)」」」」」」」」」」」
蓬がガールズトーク構文を体得していた後も会話は続き、麗葉がダンガンを枯らす頃には部室は茜色に染まっていた。つまりは下校時刻が近い。
麗葉と蛍の二人は食器を洗いに行き部室には蓬と若菜が残っていた。
若菜は窓から住宅街を眺めている。肩越しに席に座る蓬をちらりと見やる。行儀良く席につき毛糸を指にからまれていた。
(もう諦めればいいのにっ。)
若菜はほくそ笑む。これで部活に蓬は入らない。男子は入らない。
(計画通りっ……!)
そもそも素人の男子がたどり着けるわけないのは当たり前なのだ。初心者向けに分類されるコースターとはいえ、二色種類の毛糸を使う作品を今日編み物を始めた人間ができるはずがない。
そしてなにより麗葉に教えた指で行うリリアン編みでは作れない。
読者諸賢もお察しの通り、最初から入部させるつもりなんてなかったのだ。
完成は万が一もしない。
「……夕霧先輩」
「……なにっ?」
トーンの暗いくらい蓬の声に、若菜は口を手で覆う。
(だめだっ……! まだ笑うなっ……!)
――そのことに、蓬は気づいていた。
「ボク、8個上の従姉さんが美容院で働いてるんです」
「えっ なんの話」
「この格好になる時、ハーフアップにしたいって言ったらウィッグ使って編み込みの練習させられたんです。ゲーム・オブ・スローンズの、デナーリス・ターガリエンの髪型を」
「そっ それはすごいねっ……!」
――気づいてて指摘しなかったのは、そこに強い意志があることにも気づいていたから。
「先輩の同じように自分で理解できないとだめなんて無茶振りされて。でも『こんなこともできなきゃ女の子になれないよ』って言われて。そのあとは、執念でした」
――そしてなにより、自分でできると自分を信じていたから。
「どんなことにも、意味ってあるんですね」
下校時刻の予鈴が鳴る。若菜は震える肩を抑えながら踵を返す。
黄色の円を白の円で囲った目玉焼きのようなコースターを、蓬は持っていた。
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