第223話

「黙って聞きなさいってば。とりあえず昨日はコンスタンツ領の歴史を、地理の観点から洗ってみたのよ。そうしたら、興味深いことが見えてきたわ」

 進めやすいようにセリアスが合の手を入れる。

「地理というと……湖か」

「正解よ。さすがね、セリアス」

 それなりの湖があるのだから、普通はこの地に国が興り、繁栄するはずだった。にもかかわらず、コンスタンツ領の歴史は『勢力的に空き地』だったところへ、ひとびとが移り住むことで始まっている。

 ロッティが後ろの噴水を見上げた。

「湖はひとびとに大きな恵みをもたらしてくれるから、自然と信仰の対象になるわ。そうでしょ? アリアさん」

 アリアが頷く。

「はい。この公園も水の精霊のご加護を意識して、造られています」

 セリアスたちが立つ広場は、噴水を中心とし、水路で放射状に模様が描かれていた。水の精霊に感謝を示しているらしい。

 その効果には議論の余地があるものの、魔導大国と称されるフランドール王国では、どこでも見られる光景だった。

 ロッティがメモ帳に目を走らせる。

「で……調べたところ、この噴水はフランドールの治世下で三回、改築されてるの。修理といったほうが正確かな?」

 苦し紛れにクーガーが答えた。

「オレは歴史全般が苦手なんだが……ここがフランドール王国に従属してから、軽く百年は過ぎてんだろ?」

「そうよ。その間に修理が三回、これ自体は普通よね」

「そろそろ古くなってきましたから、また直そうという話です」

 湖に近い街で、水の精霊に感謝する――そこに違和感はない。また、繰り返し修繕を施していることからも、領民の信心深さが窺えた。

 ロッティが人差し指を立てる。

「ところが、よ。フランドール王国が支配下に置くまで、ここに噴水はなかったの」

 議論についていけないらしいトッドは首を傾げた。

「何がそんなに不思議なんだよ? 噴水がなかったくらいで……」

「湖を神聖化する『文化』が存在しなかった、ということだ」

 セリアスは一面の水路に目を遣り、息をつく。

「そう。ここに土着の文化があれば、必ず湖を神聖視したはずなのよ。その形が噴水じゃないにしてもね。なのにフランドール王国が領有化するまで、その動きがなかった……」

 コンスタンツ領の歴史が紐解かれるにつれ、一同の緊張も高まった。

「この地に流れてきた移民も、ですか?」

「そこはまだ断言できないわ。あたしの考えでは多分、移民も湖に感謝して、崇めるようなことはしたと思う。問題はその『前の時代』よ」

 セリアスの脳裏でひとつの等式が成り立つ。

「その時代にあったのがダナクスか」

「アニマ寺院の伝承を信じるならね。ここで、みっつの可能性が考えられるわ」

 セリアスたちはしばらく押し黙り、考え込んだ。

 やがてクーガーが音をあげる。

「わっかんねえよ。どういうこった?」

 ロッティは勝気に微笑むと、核心に触れた。

「ひとつめはダナクスが湖を利用しながらも、何ら感謝しなかったこと。でも、これは大陸各地の歴史と照らし合わせても、考えにくいことね」

 ここで一息を入れ、

「それから、ふたつめは……そもそも湖が存在してなかった可能性」

「おいおい……本気かよ? ロッティ。あんなにでかい湖が、昔はなかったぁ?」

 トッドは一笑に付すも、思い出したようにアリアが相槌を打つ。

「あっ! それなら色々と説明がつきますね」

「でしょ? 土着の信仰が育たなかったのは、湖がなかったからだし、湖を奪い合うような戦争も起こり得なかったわけ」

 さらにロッティは自信満々に付け足した。

「それにあの湖って、浜らしい浜がないじゃない? 巨大な池って感じで。あれも、あとから水が流れ込んできて出来たとすれば、辻褄は合うわ」

 クーガーは感心気味に首肯する。

「なるほど……。そんで、みっつめは?」

「みっつめはふたつめとも関連するんだけど。ダナクスが『消滅』した場合ね」

 セリアスたちは再び目を点にした。

「……それは?」

 ロッティは咳払いを挟んで、淡々と続ける。

「国家の興亡って、普通はじきに次が出てくるものでしょ? 華皇国で言えば、唐王朝の次は宋王朝が立ったわけで。国家の滅亡は新しい国家の始まりでもあるの」

 その間も噴水は静かに音を立てていた。

「だから千年前にダナクスが滅んだのなら、次の国家なり王朝なりが興ってないと、おかしいのよ。なのに、その歴史が残ってない……」

「それで『消滅』か」

 ロッティの言わんとすることが、セリアスにも読めてくる。

 水源豊かな湖があるにもかかわらず、この地には土着の信仰が息づいていなかった。ダナクスの滅亡以降、この土地の歴史には実に数百年に及ぶ空白がある。

「あたしが思うに、地下遺跡の文明……ダナクスは後継者や敵さえも巻き添えにして、完全に滅んだのよ。例えば、大規模な水害があったとか……」

「その結果、湖ができたと仰るのですね」

「現時点ではあくまで推測よ? 今後の調査で新しい発見も出てくるだろーし」

 とりあえずセリアスにも、この地の『特異性』は把握できた。

「さすがだな、ロッティ」

 考古学者の少女を称え、クーガーは豪快に笑う。

「大したモンじゃねえか、なあ! お前、オレの十倍は頭がいいだろ? お嬢ちゃんなんて言ったことは謝るぜ」

「わかってくれればいいのよ。ふふん」

 ロッティはこれ見よがしに胸を張った。

 アリアも感心した様子で、ロッティに協力を申し出る。

「もしかしたら、アニマ寺院の伝承を裏付けることができるかもしれません。ロッティさん、ご用があれば、いつでも寺院へお越しくださいね」

「ええ。アニマ寺院には色々と聞きたいこともあるから、近いうちに」

 一方で、トッドは声を落とした。

「すげえな……おれとひとつしか変わらねえのに、まじで学者やってんだ……」

 その気持ちはセリアスにもわからなくはない。

「ロッティは少々規格外だがな」

「お、おう」

 少年の視線を余所に、ロッティは十月の青空を仰いでいた。

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