第217話

 昼食を取ってから、セリアスは湖のほうへ足を向けた。

 ハーウェルの街を北に抜ければ、ほどなくして湖の畔へ辿り着く。

「ここか……」

 湖とはいえ、周囲は浜というより『沼』に近かった。人工の舗装が行き届いているのは一部のみで、雑草は根元が水没している。

(このあたりを歩きまわるなら、別の靴が要るな)

 残念ながら、湖の景観としては『美しい』ではなく『不気味』に近い。

 ロッティによれば、コンスタンツ領の歴史はこの湖に関し、不明瞭な点があった。

『水産資源はイマイチにしても、水は引けるわけでしょ? 普通は水源を巡って、争いのひとつやふたつは起こるはずなのよ。でもコンスタンツ領の歴史で、湖が戦争の原因になったことは一度もないの』

 大陸の歴史を紐解けば、肥沃な土地を巡り、有力貴族が争った事例も枚挙に暇がない。ところが、コンスタンツ領の湖は争いの火種とならなかった。

『仮にダナクスが千年前に実在したとして……だったら、余計にわからないのよね。普通は同じ場所に次の国なりが生まれるはずだもの。ここに湖があるのは、みんな知ってたんだからさ』

 ロッティの考察には毎度のように驚かされる。

(あれで12歳か。末恐ろしいな)

 とりあえず、セリアスは噂に聞いた祭壇とやらを目指すことにした。

 その祭壇は湖の畔にて、数か月前に忽然と姿を現したらしい。そこから調査が始まり、巨大な地下遺跡の発見に至っている。

 ところが、そこには先客がいた。今朝の連中が祭壇の上でたむろしている。

「もう帰りましょうよ、クーガー隊長。調査団に任せておけばいいじゃないっスか」

「バカ野郎。あと一時間だ、黙って見張ってやがれ」

 セリアスと対峙した大男は、クーガーという名前らしい。

(面倒くさいな……)

 セリアスは頭を低くして、手頃な柱の陰に隠れた。

 部下たちはクーガーの命令に渋々といった様子で従っている。

「はあ~っ。なんだって、こんな田舎まで……シグムント大尉も、なんで引き受けたんスかねぇ? せっかくエリートコースまっしぐらだったのに」

「保守派の嫌がらせだよ、嫌がらせ。大尉みたいなのは『出る杭は打たれる』ってな」

 セリアスの読み通り、やはり王国軍は左遷も同然のようだった。彼らはシグムント大尉とともに辺境の地へ追いやられたことを、恨みがましく嘆いている。

 クーガーも苛立っていた。

「しょうがねえだろ、オレたちは大尉の部下なんだからよ。……なぁに、あの頭が切れる大尉のことだ。上手いこと話をつけて、すぐ王都へ戻ってくれるさ」

「置いてかれないことを祈りますけどねえ」

 セリアスとて少し同情したくなる。

(なるほど……アリアに目をつけるわけだ)

 そしておそらくクーガーという男は、ハーウェルの街で王国軍の評判がよろしくないことを、自覚していた。今朝の件はともかくとして、ここで長々と張っているのは、部下に街で好き放題させないためかもしれない。

 もっと好意的に解釈すれば、今朝の一件さえ彼なりの配慮と考えられる。クーガーが表立ってアリアに絡めば、部下は彼女に手を出せなくなる、という寸法だ。

 それなら、邪魔に入ったセリアスに反撃する必要もない。

(まあ、考えすぎだとは思うが……)

 気付かれないうちに引き返そうと、セリアスは忍び足であとずさった。

 ところが――次の瞬間、祭壇の傍で水柱が噴きあがる。

「うわああっ?」

「た、隊長! あれを!」

 湖の中から巨大なモンスターが飛び出してきたのだ。下っ端の騎士たちは浮足立つ。

 さしものクーガーも顔を強張らせた。

「んだとぉ? おいおい、こいつはデカすぎるだろーが……」

 その全長は優に5メートルを超えている。ザリガニのようなモンスターで、右腕のハサミだけが異様に発達していた。

(キラーロブスターか! 手配書レベルだぞ)

 その隙間にあるものを見つけ、騎士たちは戦慄する。

 クーガーが舌打ちした。

「冒険者か……チッ」

 その男はすでに息絶え、ハサミの間でくの字に折れている。

 下っ端たちの判断は早かった。

「逃げろ~っ!」

 キラーロブスターに背を向け、一目散に逃げていく。

「あっ、コラ! 待ちやがれ、てめえら!」

 クーガーの号令が虚しく反響した。

 その間にもキラーロブスターは祭壇へ距離を詰め、クーガーに狙いをつける。

 すかさずセリアスは躍り出た。

「加勢する!」

「て、てめえは朝の……いーや、話はあとだぜ」

 セリアスが剣を抜くとともに、クーガーも得物のハンマーを構える。

 手配書レベルの大型モンスターを相手に、こちらはふたりだけ。普通なら撤退を考えるべき局面だった。

「クーガーだったな。なぜお前は逃げない?」

 セリアスの質問をクーガーは鼻で笑う。

「ハッ、あの死体が見えねえのか? ここはヤツの縄張りで、あの冒険者に縄張りを荒らされたと、いきり立ってやがるんだ。しかもハーウェルは目と鼻の先と来た」

 この論理にセリアスは舌を巻いた。

 クーガーの主張は正しい。縄張りを荒らされたことで、キラーロブスターは人間への敵愾心に燃えている。

 おまけに今しがた、騎士たちが街のほうへ逃げてしまった。キラーロブスターがそれを追いかけ、ハーウェルの街へ至るのは自明だろう。

「あの腑抜けども! 帰ったら、徹底的に根性を叩きなおしてやらあ!」

「同感だ」

 何より許し難いのは、ハサミにぶらさがっている死体だった。王国軍の目を盗んで遺跡に侵入した挙句、おめおめとモンスターの逆鱗に触れてしまったのだから。

 キラーロブスターが死体を投げ捨て、襲い掛かってくる。

「てめえ、名前はなんつったっけ?」

「セリアスだ!」

「よし、セリアス! お前はハサミを引きつけろ!」

 クーガーの命令を強要される形になったが、セリアスは頷いた。

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