第218話

 言い争っている場合ではない。それにキラーロブスターの甲殻を叩き割るには、セリアスの剣より、彼のハンマーのほうが効果が見込めた。

 セリアスはあえてキラーロブスターの正面に出て、フェイントを仕掛ける。

「こいつは泡を噴くぞ、気をつけてくれ、クーガー!」

「やべえぞ、そいつは……ザリガニが口から噴くモンっつったら」

 セリアスとクーガーは同時に横へ跳んだ。

「「小便だ!」」

 キラーロブスターが毒性の泡を吐き散らかす。

(魔法剣なら斬れるが、触媒も詠唱の時間もない!)

 セリアスは果敢に踏み込むと、キラーロブスターの脇腹に一撃を入れ、すぐに飛び退いた。キラーロブスターがハサミを振り上げた時には、もう遅い。

 その間にクーガーはモンスターの左脇へまわり込む。

「どーらあッ!」

 キラーロブスターの巨体にガツンと衝撃が走った。ハンマーによる打撃は甲殻の防御力をものとせず、本体にダメージを与える。

 それだけの腕力がクーガーに備わっていることに、セリアスは感心した。

(この調子なら、俺が手を出しても邪魔になるだけだな)

 こちらは牽制に専念し、攻撃はクーガーに任せる。

 キラーロブスターは決して弱くはないが、セリアスの経験豊富な判断力と、クーガーの攻撃力が功を奏した。次第にキラーロブスターは劣勢に追い込まれ、毒の泡をばらまくのも、闇雲なだけになる。

 重量級のハンマーを携えながら、クーガーが旋回を始めた。

「こいつはオレからのプレゼントだ! 取っときな!」

 遠心力の乗った強烈な一撃が、キラーロブスターの顔面にクリーンヒットする。

(あれだけ回転して、大した命中率じゃないか)

 ついにモンスターはくずおれ、祭壇の上で突っ伏した。右腕のハサミが落下し、祭壇に突き刺さったのが最後。

「……終わったか」

「行き当たりばったりで、よく片付いたモンだ」

 キラーロブスターの絶命を確認してから、セリアスたちは武器を収めた。

 ばつが悪そうにクーガーがはにかむ。

「朝の件は気に入らねえが……助かったぜ」

「俺は手伝っただけさ。それより……」

 セリアスは冒険者の死体に視線を向け、溜息をついた。

 コンスタンツ領で大型のモンスターが出現――この一報に領民は恐怖し、逆に冒険者は歓喜するだろう。王国軍の締め付けは当然、今よりも強くなる。

(ロッティが遺跡を調査するのも、当分は無理か)

 似たようなことを考えていたらしいクーガーが、やれやれとかぶりを振った。

「ったく……。こりゃ二十四時間体制で見張りを置かねえと、領民も安心して眠れねえってもんだぜ。大尉のコーヒーがまた苦くなりそうだ」

「領民はともかく、冒険者が厄介だな」

「お前みたいな冒険者が、な。フランドールの大穴へ行けってんだ」

 死体の埋葬は部下を呼ぶことにして、セリアスたちは踵を返す。


                  ☆


 その夜、酒場ではロッティの悲鳴が木霊した。

「ええええ! 調査できない~っ?」

 セリアスに代わって、相席のクーガーがまくし立てる。

「当然だろーが、お嬢ちゃん。手配書レベルのモンスターがうろついてる場所に、ガキを連れていけるかよ。お勉強なら、お家でやりな」

「きい~っ! なんでこんなヤツ、呼んだりしたのよ? セリアスぅ」

「俺が呼んだんじゃない」

 セリアスはしれっと茶を啜った。

 クーガーは恨めしそうにメニューを眺める。

「酒場まで来て、飲めねえなんてよォ……オレにどうしろってんだ? 女将さん」

「さすがに今夜はねえ……大尉さんからのお達しなもんで」

 案の定、キラーロブスターの出現はハーウェルの街に激震を走らせた。シグムント大尉はただちに警戒を指示、クーガーも今夜は見張りに当たらなくてはならない。

 住民にも今日のところは外出を控えるように言い渡された。

「許可なしに居座ってる冒険者も、じきに追い出されるだろうぜ。こういう酒場にとっちゃあ、迷惑な話かもしれねえけどな」

「その分、王国軍の騎士様が贔屓にしてくれんだろ? 隊長さん」

「あいつらに飲ませる酒はねえよ。真っ先に逃げやがって」

 クーガーがテーブル越しに前のめりになる。

「おい、セリアス。今朝の件は水に流してやるから、お前も夜番を手伝えよ」

 その誘いをセリアスは一蹴した。

「俺には関係ないことだ。別に水に流してもらわなくても構わんしな」

「ケッ! これだから冒険者は」

 傍らのロッティが愉快そうに笑う。

「アハハ! クーガー、振られてやんの~」

「気色悪いこと言ってんじゃねえよ。ハア……お楽しみはアリアだけか」

 気落ちする一方のクーガーに、女将が念を押した。

「言っとくけどねぇ、アリアちゃんに手ぇ出すんじゃないよ? そん時ゃ、私がじきじきにアンタを挽き肉にしてやるからね」

「これからラム肉を食おうってんのに、恐ろしいこと言うなっての」

「ところで……」

 セリアスは脇へ目を逸らし、酒場の入り口を見据える。

「あの少年は何をしてるんだ?」

 セリアスの視線を目で追い、女将が呟いた。

「ありゃあ、うちのバカ息子だよ。トッドって名前でね。たまにああやって、酒場の客を物色してんのさ」

 少年は辺境の街で退屈しているらしい。

「ロッティと同じくらいか?」

「まっさかー。あたしのほうがお姉さんでしょ、どう見ても」

「ちょいと相手してやろうじゃねえか。おーい!」

 クーガーが呼ぶと、トッドは弾むような足取りで近づいてきた。ロッティには目もくれず、クーガーとセリアスを交互に見上げる。

「なあなあ! 兄ちゃんたち、遺跡を探検しようってんだろ? おれも連れてってくれよ~。ほんともう絶っ対、役に立つからさあ!」

 セリアスは女将を呼んだ。

「今日もブロッコリーのサラダを頼めるか? ロッティに克服させたい」

「余計なお世話よ!」

「無視かよ!」

 女将に聞けば、トッドはまだ11歳。危険な場所へ連れていけるはずもない。

 にもかかわらず、クーガーは二つ返事で認めてしまった。

「オレはいいぜ? オレの言うことは聞くって、約束できりゃあな」

「聞く聞く! ちゃんと聞くよ、おれ!」

 セリアスは口を挟まず、成り行きに任せる。

 女将は息子のことだけに反対するも、それでトッドが頷くはずもない。

「あんたはっ! ろくに店の手伝いもしないで!」

「でも、こっちの兄ちゃんが認めてくれたもんねー。ヘヘッ」

 こういった少年は田舎ほど多かった。畑仕事であれ、牧畜であれ、同じことの繰り返しに飽き飽きしており、常に刺激を求めている。

 そこへ遺跡の発見と、モンスターの登場。好奇心旺盛な少年の冒険心に火がつくのも、無理はなかった。放っておいては、近いうちに遺跡へ忍び込むだろう。むしろクーガーに同行させるほうが、安全と言える。

「心配いらねえって、女将さん。オレがついてるし、どうせ……ゴニョゴニョ……」

 クーガーに耳打ちされると、女将は不敵に微笑んだ。

「確かに……わかったよ、トッド。ただし騎士さんの指示には従うようにね」

「何を言ったんだよ? 兄ちゃん……怪しいなあ」

 わからないのはトッドだけで、セリアスもクーガーの言葉は想像に容易い。

(怖い思いをさせるほうが早いか)

 この手の少年は、大人がどれだけ口やかましく言ったところで、まず聞かなかった。だったら好きにさせて、失敗したところを笑ってやればよい。

 ロッティが不満そうに拗ねる。

「何よぉ~。こいつは連れてっていいのに、あたしはだめなわけ?」

 対し、トッドは意気揚々と胸を張った。

「男だからなっ! 女の出る幕じゃねえんだよ、ワハハッ!」

 後日、この少年は迷宮で大失態を晒すことになる――。

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