第179話

 その夜、セリアスたちは屋敷で食卓を囲んだ。

「市場も開いてねえからなあ……これで我慢してくれや」

「充分さ。なあ、みんな」

 まだ住民が避難先から帰ってきていないため、街は静まり返っている。

 ソアラがエプロンで手を拭った。

「とんでもない女がいたものですわね、執念深いわ、凶暴だわ……。イーニア、あんなのになってはいけませんことよ?」

「は、はあ……」

 色男のジュノーが大変な過去を白状する。

「実は僕、ああいうタイプに刺されたことがあるんですよ……ハハハ」

「お前ってさあ、本当は結構、遊んでんじゃねえの?」

 ハインは不機嫌そうに眉を顰めた。

「まったく……拙僧はこんなに男前だというのに。そうは思わんか? セリアス殿」

「お前には愛すべき女房がいるじゃないか……」

 恋だの愛だのの話題が続き、セリアスはげんなりとする。

 今夜は珍しい客もいた。クロノスは顔の半分を仮面で隠しつつ、はにかむ。

「悪いね、グウェノ君。僕まで押しかけてしまって……。ジュノー君も迷惑を掛けてすまなかった。許してくれるかい?」

「別に構いませんよ。みなさんには正体を明かすつもりでしたし」

「オレぁまだ、ザザがジュノーってことが信じられねえよ」

 タリスマンの探求が終わったことを、セリアスたちはようやく実感し始めていた。

「バルザック殿への報告は明日でよいのか?」

「王国軍はまだばたばたしてるからな」

 セリアス団の活躍を知る者は、ごくわずか。

「ちぇっ。報酬はもらえそうにねえよなあ、やっぱ」

「変に注目されるよりいいさ」

 かの王との決戦を表沙汰にしないことは、すでに話がついていた。今後もセリアス団はあくまでグランツの一パーティーとして名を連ねるのみ。

「マルグレーテやバルザックから、個人的にはあるんじゃないの?」

「さてはメルメダ殿、それが狙いか」

「そりゃあね。せめて経費くらいは回収しておかないと、割に合わないでしょ」

 そんなセリアス団にクロノスが意外な報酬を持ちかけた。

「君たちは僕に代わって、白き使者を食い止めてくれた。エディン様とも相談してね、特別にお礼をしようと、今日はお邪魔したんだよ」

「へえ~。ケーキでも焼いてくれんの?」

「うふふっ、グウェノったら……」

 やっとイーニアも落ち着き、柔和な笑みを綻ばせる。

「エリクサーを持っておいで」

「……へ?」

 セリアス邸にはエディンからもらったエリクサーが二本、保管されていた。ただし経年劣化のせいで変色し、大した効力は期待できない。

「これだが……クロノス殿、一体何を?」

 半信半疑ながらも、ハインたちがエリクサーを持ってくる。

「ちょっとした手品さ。僕は『時』を司る者だからね。ワン、ツー、スリー!」

 クロノスが指を鳴らすだけで、瓶の中身が青色に染まった。ぼんやりと輝きを放ち、素人の目にも魔力の強さが見て取れる。

「こっ、こいつは?」

「エリクサーの『時間』を生成直後まで戻したんだよ。これで役に立つ」

 グウェノはごくりと目を見開いて、両手を震わせた。

「じゃあ、メイアの足も? 治るんだ……ははっ、本当にあいつの足を治せるんだ!」

「う、うむ……!」

 ハインも大事そうにエリクサーを手に取り、父親の涙を滲ませる。

 彼らにとっては念願の霊薬。ただハインの顔は晴れなかった。

「だが、よいのだろうか? 拙僧らだけ……エリクサーを必要としておるのは、ほかにも大勢おるというのに……」

「それを言っちゃ、きりがねえよ」

 ハインの葛藤を、グウェノは粋な心意気で乗り越える。

「せめて自分の手が届くやつだけでも、助ける……そいつが精一杯なんだからさ」

「ほかのひとにも、きっと手を差し伸べてくれるひとがいる……ですね」

 イーニアの言葉はセリアスの心にも沁みた。

 メルメダが食卓に身を乗り出す。

「ねえねえ! 私にも何かくれるんでしょうっ?」

「え……ごめん。何も考えてないんだけど」

 しかしクロノスに一蹴され、がっくりと肩を落とした。

「それはないでしょ? ちょっとジュノー、あんたも何か言いなさいったら」

「借りておけばいいじゃないですか」

 ジュノーは欲張ったりせず、セリアスに目配せする。

「セリアスはどうです?」

「これといって思いつかないな」

 セリアスはソアラの頭をぽんぽんと撫でた。

「お前がもらっておけ」

「え? いえ、私も特に……身長はもっと欲しいんですけど」

「だったら、私に権利をちょうだいってば!」

 メルメダの癇癪を余所に、イーニアは愉快そうに笑みを含める。

「クロノス、私はお願いがあるんです。でも、ここではちょっと……ふふ」

「いいとも。君にお願いされるなんて、僕も楽しみだ」

 年下の少女と目を合わせ、セリアスは首を傾げた。

(……?)

 彼女の笑顔にはどことなく見覚えがある。


 時を遡ること、八年前――。

 十七歳のセリアスは故郷を出て、大陸の各地をまわっていた。

 その道中、ひとりの少女に声を掛けられる。

「こんにちは、剣士さん。スタルドへ行くなら、一緒に行きませんか?」

「君もスタルドへ? いいよ」

 セリアスは彼女を連れ、手頃な馬車に乗り込んだ。

「僕はセリアス。君は?」

「イ……イアナです」

 ふたりで一緒に馬車に揺られた、たったそれだけのこと。八年後にフランドールの大穴で『目の前の彼女』と再会するなど、若き剣士には知る由もない。

「うふふっ。私のこと、どう思いますか? セリアス」

「え? 変な女の子だなあって……」

「……減点です」

 若い頃のセリアスに会ってみたい――それを聞いて、クロノスは大笑いした。


                  ☆


 城塞都市グランツを発つ朝がやってくる。セリアス団は荷物をまとめ、街の出口に集合した。ソアラは名残惜しそうにハンカチを噛む。

「マスター、メイドの資格を取ったら、すぐに追いかけますので……ずびびっ」

「焦らずにゆっくり勉強してこい。マルグレーテにもよろしくな」

 この少女を押しつけるにあたって、給仕の勉強は体のよい言い訳だった。マルグレーテもセリアスの本音を知りながら、ソアラの教育を約束してくれている。

 イーニアが小声で囁いた。

「本当にいいんですか? セリアス。ちょっと可哀相です」

「俺と一緒に来ても、退屈するだけだからな」

 セリアスの仏頂面を見上げ、ロッティはつぶらな瞳を瞬かせる。

「セリアスはこれからどうすんのぉ?」

「おいおい考えるさ」

 新進気鋭のセリアス団は本日で解散。よっつのタリスマンとともに。

 コンパスは今後、ウォレンのギルドが管理することとなった。女神像を拠点として、調査や救助に役立ててくれるだろう。

 記憶地図のほうはバルザックの王国軍に譲渡している。

「ロッティはいつまでグランツにいるんですか?」

「年内にはフランドール王国に帰るつもり。イーニア、こっちのアカデミーに来るんならさ、絶~っ対に連絡してよねっ!」

 同い年のイーニアとロッティは再会を約束した。

 セリアス、グウェノ、メルメダは西へ。イーニア、ハイン、ジュノーは東へ。どちらもエリクサーを使うため、魔法使いのメルメダとイーニアが同行する。

 また、イーニアには新しい目的があった。それは『エルフの母親に会う』こと。

「無茶はするなよ? エルフの里は根っからの排他主義で有名だからな」

「心配には及びませんよ。僕がお手伝いしますので」

「ジュノーが一緒ってことのほうが、不安な気もすっけどなあ……」

 メルメダも昨日のうちにカシュオン団に別れを告げた。

「こっちはまずグウェノのお相手を拝見するとして……んふふ」

「余計なこと吹き込むんじゃねえぞ?」

 セリアスはハイン、ジュノーと握手を交わす。

「世話になったな。奥さんと子どもを大事にしてくれ」

「おぬしこそ、次に会う時までには身を固めておくようにな。わっはっは!」

「ジュノーも。もう俺の命は狙わないでくれよ」

「どうでしょうか……? 夜道にはお気をつけください」

 そしてイーニアとも、しっかりと。

「母親に会えるといいな」

「はい! セリアスもお元気で」

 朝日が彼女のあどけない笑顔を照らした。



 のちにグウェノはある剣士をモデルにして、冒険小説を執筆。

 たちまちベストセラーとなり、大陸の全土で愛されることになる。



                  ~忘却のタリスマン END~










 ご愛読ありがとうございました。

 『忘却のタリスマン』編は完結です。

 今後の公開・連載については著者近況をご覧ください。

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