第160話

 剛勇、叡智、慈愛。それらは三原理とも呼ばれる。

 そして、その原理が八つの美徳を構成した。

例えば、剛勇にして叡智なるものが『名誉』であり、叡智にして慈愛なるものが『正義』となる。『霊性』はみっつの原理すべてを内包し、逆に『謙譲』は原理の外にあった。

また、ひとは誰しも心に何らかの徳を持つ。

ハインはまさに『剛勇』を、ゾルバは『献身』を有していた。

 それはアダムとイヴの末裔が考え出した理屈であり、屁理屈でもある。彼らは動物じみた情動を抱きながらも、理性的であろうとして、文化とやらを育む。

 シビトの王エディンには理解の及ばないことだった。

 シビトは自身が長寿のため、子も少ない。そのせいか、王のエディンにさえわからない情動があった。それが愛。

 カーテン越しに金色の月を眺めながら、エディンはワインの香りを仰いだ。

「ふ……」

 この『ワインが好き』という嗜好も、一種の愛なのだろうか――と、人間のように理屈を捏ねてみる。思えば、あの樹里に拘った気持ちに似ている気もした。

 孤高の孤独もまた、この王の好むところ。

 その背後に立つ人影があった。

「クロノスか」

「こんばんは、我が王。ご機嫌はいかがですか?」

 彼は顔の左半分を仮面で隠しつつ、意味深な笑みを含める。

「いえ……ご隠居様と呼ぶべきでしょうか」

「お前は変わらんな」

 クロノスも昔はエディンの下僕であり、この城に住んでいた。それが今では時の番人として、エディンすら超えた高次の存在となっている。

 彼にとって『昔』や『今』という言葉は、もはや意味を成さなかった。おどけた調子で会釈を交え、韻を踏むように口ずさむ。

「我が王は心配事がおありのようですね。ですが、それには及びませんよ。邪悪の王セイランも、所詮は脇役……今回の舞台は最初から彼のものではありません」

 エディン王は静かにワインの息を吐いた。

「……前回はどうだったのだ?」

「ふふふ! さすが我が王、聡明でいらっしゃる。特別にご覧に入れましょう」

 カーテンの向こうで夜空がまったく別のビジョンと入れ替わる。

 その中で、街はシビトの群れによって蹂躙されていた。ひとりの少年が駆けつけるも、コズミック・スレイヤーを制御しきれず、ついには倒れる。

 耳の長いエルフの少女が、彼の亡骸に縋りついた。

「……なるほど」

 すべてを察し、エディンは口角を曲げる。

「宝物庫の妙な騒ぎもこいつか……」

「ご名答でございます」

 タリスマンを集めるセリアス団とは別にもうひとつ、城塞都市グランツには『鍵』となるパーティーが存在した。ただし、今回の『彼』はパートナーを替えて。

「確かにセイランの舞台ではなくなったな」

「そちらはセリアス団が決着をつけてくれることでしょう」

 セリアス団にとって、本当の敵は邪悪の王ではなかった。ハーフエルフの少女イーニアは知らず知らずのうちに舞台に立たされ、ヒロインを演じさせられている。

「泣き止まぬ湖で、お前がケリをつけるのではなかったのか?」

「僕はあくまで傍観者ですから。それに……あの剣士を信じてみたくなったのです」

 ヒロインには騎士がつきもの。

「……見物だな」

「はい。これから面白くなりますよ、きっと」

 セリアス団の勝利を願い、傍観者たちは乾杯した。


                  ☆


 案の定、真っ先にグウェノが音を上げる。

「あぢぃ……あぢぃっての、まじで……なあ? ジュノー」

 ジュノーも熱で顔を赤らめていた。

「本当にたまりませんね……さっきも休憩したばかりなんですけど」

 涼しい顔をしているのは、今回もハインだけ。

「熱中症になってもいかん。何か手を考えんと、まずいのではないか? セリアス殿」

「ああ……」

 スターシールドの加護のおかげで、体感的な熱気は和らいでいるはず。それでも竜骨の溶岩地帯は凄まじいまでに気温を上昇させており、呼吸さえ苦しいほど。

「あっちから出られそうですよ」

「早く行こうぜ!」

 セリアスたちは横穴を抜けて一旦、火山の表へ出た。

 残暑が厳しいとはいえ、直射日光を浴びるほうがまだ涼しい。

「こいつは街で聞いた以上だな……」

 温度計はとっくに上限を超え、役に立たなかった。グウェノが叡智のタリスマンに力を込め、何とか拳大の氷を作り出す。

「あんなとこ何時間もいたら、口ん中まで火傷しちまうぞ?」

「モンスターが平気でいられるのが信じられません」

 セリアスたちの想定と溶岩地帯の実態には、どうにも乖離があった。これでは余所のパーティーも苦戦は必至で、探索などままならないはず。

「もしかしたら、あの神殿のように別の入り口があるんじゃないですか?」

「可能性はあると思います。氷壁のほうもそうでしたから」

 溶岩の水位を下げる手段も、まだ見つからなかった。水分を補給しながら、セリアスはあえて悪い方向にイメージを膨らませる。

(画廊の氷壁は……コルドゲヘナが氷漬けにしてるんだったな)

 恐ろしい結論に達してしまった。

「そこいらの骨格が『作品』としたら……どうだ?」

 イーニアがぎくりと顔を強張らせる。

「六大悪魔……!」

「デュラハンとコルドゲヘナが目覚めたんだ。炎の魔人……エクソダスとやらが暴れまわっていても、おかしくはない」

 五十年前の記録においても、画廊の氷壁と竜骨の溶岩地帯は『二大の難関』と記されていた。その理由は単に苛酷な環境だけではない。

 氷壁はコルドゲヘナ、そして溶岩地帯はエクソダスの縄張りであるためだ。

 ハインが腕組みを深める。

「エクソダスが蘇ったことで、溶岩地帯の熱気が高まっておる、と?」

「可能性の話だ」

 忍者のジュノーは当然、リスクを見落とさなかった。

「洞窟の中で遭遇しては、逃げ場がありませんよ。タリスマンで対抗はできるかもしれませんが……危険な賭けになるかと」

「そいつは絶対に避けるべきだな。全員で生き残れないなら、負けと同じだ」

 ただでさえ足場の悪い溶岩地帯で六大悪魔に襲われるなど、想像したくもない。

(先にジュリエットと一緒にエクソダスを片付けるか? ……いや、場所が悪すぎるか)

 イーニアの氷結魔法にも限界はあった。冷却のために魔法使いの手が塞がっては、パーティーの戦力も落ちる。

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