第158話
だが、セリアスには納得できなかった。湖底の神殿で慈愛のタリスマンは『自ら』イーニアを選び、あたかも蝶のように彼女の胸元へ留まったのだから。
「そう気を落とすな。何か原因があるんだろう」
「タリスマンの力を借りるまでもないって、判断されたんじゃないかしら?」
セリアやメルメダに励まされ、イーニアは笑みを綻ばせる。
「とりあえず、こっちはグウェノにお返ししますね」
「オッサンのといい、サイズがぴったりになんのも、不思議だよなあ」
現に叡智のタリスマンはひとまわり小さくなり、イーニアのくるぶしにフィットした。イーニアのすべてを拒絶しているわけでもない。
「でも困りましたね……溶岩地帯は私の氷結魔法をメインに?」
「それだと、戦闘で魔法が使えないからな」
竜骨の溶岩地帯に挑むにあたって、セリアス団の手段は限られてくる。
(ここは頭を下げるか……)
あてがないわけでもなかった。セリアスが折れさえすれば。
「お前も付き合わないか? メルメダ。そこそこの稼ぎにはなるだろう」
けれども魅力的な彼女はセリアスの野暮な誘いに乗ってくれない。
「タイミングが悪いわね。カシュオン団は今、忙しいの。聖杯の……偽物? が出てきてね、あの子が俄然やる気になってるものだから」
「え? 偽物なのに?」
「カシュオンにも思うところがあるわけ」
十三歳の少年が率いるカシュオン団は、護衛がベテラン揃いで有名だった。最近では暗黒騎士チャーリーなる男が加入したことで、噂になっている。
「ぼやぼやしてたら、あの子にタリスマンを取られちゃうわよ? うふふ」
「そいつは面白くないな」
グウェノの冗談ほどには冷えなかった。
下戸寄りのセリアスとて、たまには飲みたい夜もある。七年ぶりに再会したばかりのウォレンやニッツからも誘われ、今夜は同席することにした。
「オッサンは親父会、メルメダは女子会なんだとさ」
「ジュノーにも声を掛けたんだが……逃げられてしまったな」
セリアスが黙っていても、お喋りなグウェノが適度に盛りあげてくれる。
この面子では年長者のウォレンが、冷たいビールで息をついた。
「夏場はこいつに限るぜ! ……で、どうだ? セリアス。スターシールドは」
「助かってるとも」
スターシールドの経緯を知るニッツが、意地悪な笑みを噛む。
「二、三年前か? おれたちゃあ、ミレーニア女王の即位式に出席してよ。そん時に『セリアスを見つけたら連絡をくれ』って頼まれてたんだ」
城塞都市グランツにセリアスが滞在していることは、彼らを経てスタルド王国まで伝わったらしい。その結果、セリアスのもとに光の盾が届けられてしまった。
「怒ってたぜぇ~? 女に恥だけかかせて、逃げやがったってよォ」
「誤解を呼ぶ言いまわしだな……」
黙していたいセリアスの隣で、グウェノは大笑いする。
「あっはっはっは! お前もやるこたぁ、やってんじゃねえか」
「……そろそろ勘弁してくれないか?」
ばつの悪さを感じつつ、セリアスはビールを喉に流し込んだ。
グランツの夏はまだまだ長く、夜中も蒸せる。こういう時期のビールは正しい。
「にしても……よく王国の秘宝を寄越す気になったな」
ウォレンは不思議そうに肩を竦めた。
「女王陛下が言うには、なんだ? スターシールドがお前を捜してたんだと」
スターシールドと同様にソルアーマーも自らの意志でセリアスのもとまで来ている。
心当たりはあった。おそらく両方とも、フランドールの大穴でじきに大きな戦いが始まることを予感したのだろう。
グウェノがセリアスに視線を寄越す。
「なあ、ウォレンたちには話しておいたほうがいいんじゃねえ?」
「……そうだな」
バルザックに口止めされているとはいえ、隠し事をする間柄でもなかった。セリアスは声のボリュームをさげ、彼らにエックスデーについて明かす。
ウォレンもニッツも驚きを隠せずにいた。
「防衛戦か……そいつが本当なら、一大事だな」
とりわけニッツは痛いところを突く。
「日和見な連中はまず信じねえぞ。白金旅団の件も、一部じゃデマだって思ってるバカもいるくれぇだしな」
城塞都市グランツに限らず、安定期にある国家や都市ではこの手の怠慢が蔓延した。危機が迫っていると声高に警告されても、何かの間違いだと済ませてしまうのだ。
備えあれば憂いなし――その言葉は誰もが知っている。なのに地震などが発生すると、その備えがどこにもなく大混乱に陥ることと同じだった。
事なかれ主義の大衆心理が働くせいで、全員の初動が遅れる。
そのことをウォレンたちは正しく認識していた。
「俺のほうから、信用できる筋のパーティーにも相談してみるとしよう。キングスナイトのデュプレやビースト・アームズのギースあたりは聞いてくれるだろう」
「あいつらは頼りになるぜ」
バルザックの手腕はあてにしているものの、水面下で準備を進めることに。
グウェノがグラスを空けた。
「はあ~っ。オレはメイアさえ救えりゃ、ほかはどうだっていいってのに。でかいことになってきやがったよなあ、セリアス」
「まったくだ。こっちは少し稼ぐだけのつもりだったんだが」
セリアスも、イーニアも、グウェノも、ハインも、この大陸を丸ごと救ってやろうなどと大それたことは考えていない。
せめて自分の目に映るものは守りたい――その程度のこと。
ウォレンが囁くように問いかけてきた。
「使命感はないにしても、好奇心……でもないんだろう? 今のお前は」
図星を突かれ、セリアスは素直に降参する。
「ああ」
世界中を冒険したくて、十七歳で故郷を出た。スタルド王国でウォレンらとともに戦ったのは、十八。その後もセリアスは各地を転々としている。
最初のうちは純粋に『好奇心』だった。
けれども今は刺激を求めているわけではない。
「スタルドを発ってから、お前に何があったのかは聞かんさ。ただ、投げやりになってるような気もしてな……と、おっさんの説教になっちまったか」
「ケケケ! 子どもができたせいで、えらく大人になったじゃねえの、てめえも」
ウォレンやニッツは昔のセリアスを知っているだけに、わかるのだろう。
グウェノも真剣な顔で口を揃えた。
「お互い干渉はしねえって話だけどよ。オレでよけりゃ、いつでも聞くぜ?」
「……ああ」
こんな時でも『ああ』としか答えられない自分が、少し情けない。
二十歳を過ぎた頃から、自分は他人と深く関わることを避けるようになった。自身のことだからこそ、心当たりはある。
それはあたかも『呪い』のごとく背後にあった。
「女で失敗したのさ」
白状すると、同席の男たちが陽気な笑い声をはもらせる。
「ハハハッ! ミレーニア王女のあとでも、やらかしてやがったか」
「顔立ちはそこそこだったからなァ、てめえ」
「故郷の女とは別の、だろ? そいつは誠実さが足りねえってことじゃねえの?」
しかし三人とも笑うのは表向きだけのことで、すぐにトーンを落とした。
「一度くらい失敗したやつのほうが、周りがよく見えるもんさ」
「……かもな」
セリアスは腹を決め、残りのビールを飲み干す。
若くして旅先で出会い、失ってしまった恋人のために――彼女の分まで旅をして、闇雲に答えを求める日々も、終わりが近づいているのかもしれない。
(フィオナ。俺は……)
生き残った自分が彼女のためにできること。
「さっさと片付けて、もう一稼ぎといくか」
「おうよ! いよいよ正念場だぜ」
フランドールの大穴に『たまたま凄腕の剣士がいた』ことを、かの王に思い知らせてやろう。それが今のセリアスにできる、ひねくれた悪あがきだった。
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