第149話 聖なる泉の伝説
その後もフランドールの大穴のあちこちで石像を見つけては、試練に挑む。
美の化身オフロディーテとの戦いでは、お互い丸裸となり、一輪のバラだけを武器とした。露出しても敗北となるため、不埒な息子はバラで隠す。
「これでとどめだ、少年! ビューティフル・ローズ・チェーン!」
「相手を傷つけることが美しいもんかっ!」
カシュオンとオフロディーテはすれ違いざまに渾身の一撃をぶつけた。
オフロディーテのバラだけが散り、絶世の美男子はくずおれる。
「まさか私を降すとは……」
「女子だっているんだから、少しは遠慮なさいよねぇ」
試練をこなすにつれ、男と男の勝負も白熱した。
やがてすべての石像を巡り終える。
カシュオン団は風下の廃墟を抜け、再び聖なるプロテインの泉を訪れた。どこからともなくマッスルシファーが現れ、カシュオンの活躍を称える。
「素晴らしい! ここまでやり遂げたのはあなたが初めてですよ、カシュオン」
「へへへ……みんなのおかげです。僕ひとりじゃ石像のもとへも辿り着けませんから」
石像を探してフランドールの大穴を探検するうち、カシュオン団のレベルもあがった。メルメダやチャーリーはA級冒険者に数えられ、依頼も増えつつある。
だからこそリーダーのカシュオンにも隙はなかった。
「さあルシファー殿、男杯をカシュオン様に……」
「まだだよ、ゾルバ。これから最後の試練が始まるんだ」
「な、なんですと?」
マッスルシファーがシニカルに微笑む。
「フフフ……では、いよいよ最強の戦士にご登場いただきましょう!」
魔方陣が浮かびあがって鈍い光を放った。その中からビキニパンツの巨漢が現れ、威風堂々と鋼の筋肉を見せつける。
ギャランドゥの魔人にはカシュオンも戦慄した。
「アラハムキ……やっぱりあなたが最後の試練だったんですね」
「その通り。果たしてオレに勝てるかな?」
城塞都市グランツには『サラス団』という冒険者パーティーが存在する。彼ら――いや彼女らは武器や防具を一切使わず、鍛え抜いた己の身体だけで戦った。
そんなサラス団のメンバーにして、バーバリアン族の狂戦士。
「さあ、リングにあが……ガハッ?」
そのはずが、アラハムキはカシュオンと拳を交わすことなく倒れる。彼を一撃で仕留めたのは、筋肉質という意味で肉感的な女性だった。
「ずるいわねえ……男だけで面白そうなことして。私も混ぜてくれないかしら」
サラス団のリーダーことサラス=バディ子の登場にゾルバは面食らう。
「なんとおっ? お、おぬしはアマゾネス族の……!」
「ご存知のようね、この私を……」
不意にバディ子の姿が消えた。
「いいえ、私の強さを!」
「グハッ?」
そして一瞬のうちにゾルバの背後を取り、逆立ちの姿勢から、脚だけで老戦士の首を絞める。さしものゾルバも青ざめ、苛烈なロックに苦悶した。
「ぐぬぬぬ……ぶはあっ! はぁ、はあ……」
「うふふ、冗談よ。ごめんなさいね」
あと一押しのところでそれを外し、バディ子はくるりと着地する。
先ほどのアラハムキへの奇襲にしても、カシュオンにはまるで見えなかった。
(只者じゃないぞ? このお姉さんは……)
武者震いではない、恐怖による震えが脚に来る。
「いいでしょう? ルシファー。最後の試練は私がやっても」
「もちろんです。さあ、おふたりとも戦いの舞台へ!」
聖なる泉の上でテトリス石が次々と組みあわさり、四角いリングとなった。
カシュオン団の面々がリーダーの少年に発破を掛ける。
「敵は強大ですぞ! カシュオン様、今こそ男の見せどころでございましょう!」
「やあね、男、男って……私としてはあっちに勝って欲しい気もするけど」
「骨は拾ってやる。全力で行け」
カシュオンは鎧を脱ぎ、なりは小さくとも逞しい姿となった。
「いってきます!」
リングの上でカシュオンとバディ子が睨みあう。
「それでは楽しませていただきましょう。レディー……ファイッ!」
マッスルシファーがゴングを鳴らした。
いきなり真っ向からバディ子の肘鉄が襲い掛かってくる。
「ハアッ!」
「ぐ? ……くっ、くく!」
防御は間に合ったものの、凄まじい『重さ』を感じた。一回受け止めただけでも腕が痺れ、指の感覚が怪しくなってくる。
「どんどん行くわよ! てやっ! はっ!」
さらに裏拳、膝蹴りと繰り出され、こちらは防御に徹するほかなかった。
(つ、強い……! これがサラス団のリーダーの実力!)
強力無比な連続攻撃に晒され、肝を冷やす。
それでもカシュオンは抗い続け、ひとまずバディ子の猛攻を凌ぎきった。感心したようにバディ子が目を丸くして、小柄なカシュオンをしげしげと吟味する。
「思ったより頑丈なのね。並みの戦士ならもうダウンしてるのに」
「生憎、僕は『並み』じゃないんです」
強気に返すものの、策があるわけでもなかった。
「カシュオン様もガンガンお攻めくだされ! 攻撃は最大の防御ですぞ!」
が、ゾルバの声援にはっとする。
「そうだ……僕はここへ戦いに来たんだっ!」
奇跡の男杯を目前にして、尻込みしてなどいられない。
脳内のお風呂ではイーニアが腰まで湯に浸かり、恥ずかしそうに背を向けていた。それを振り向かせるためにも、カシュオンは小さな身体に全身全霊の力を漲らせる。
「勝負です! バディ子さん!」
「そうこなくっちゃ!」
カシュオンとバディ子のラッシュが真正面から激突した。
互いに相手の後ろに抜け、カシュオンだけが膝をつく。
「い、一発も入らないなんて……?」
カシュオンの拳打が十に対し、バディ子は二十を超えていたのだ。ダメージは大きく、脚に力が入らない。
バディ子のほうは余裕を持て余していた。
「本当によく頑張るわね。でも手加減はしないわよ、カシュオン!」
少年の健闘ぶりを称えながらも、奇妙な構えでてのひらを揺らめかせる。そしてロープへ飛び、たっぷりとバネをたわめた。
「私の四神大筋星に耐えられるかしら? 青龍上腕筋!」
砲弾じみたラリアートがカシュオンの喉笛を抉る。
「ガハ……ッ?」
カシュオンは首で『く』の字に折れつつ、ロープへと投げ込まれた。跳ね返ってきたところを、今度はブリッジで真上に打ちあげられる。
「玄武腹筋!」
それを追いかけ、バディ子はロープから矢のように跳躍した。
「さらに白虎大腿筋!」
「……ッ!」
空中で少年のみぞおちに膝蹴りがめり込む。
「これでとどめよ! 朱雀背筋!」
フィニッシュは宙返りで勢いをつけ、カシュオンをボディ・プレスで撃墜。
「ぐはあああぁああああッ!」
カシュオンはリングへと強烈に叩きつけられてしまった。
ゾルバは真っ青になり、ルシファーの言葉も聞き流す。
「あ、あああ……カシュオン様が……」
「これほどの実力差は如何ともし難いでしょう。頑張ったほうだとは思いますが」
メルメダは唖然とし、チャーリーは黙り込んだ。
「無茶するわねぇ。あの子、大丈夫なの?」
「……………」
勝敗は誰の目にも明らかとなる。
(僕は……負けるの……?)
痛みが感覚できるレベルを通り越してしまい、何も感じられなかった。身体は指一本さえ動かず、磔にでもされたかのようにリングで仰向けになる。
薄れゆく意識の中、カシュオンは悟った。
(……違う、僕はまだ全力じゃ……)
確かにサラス=バディ子は強い。試合を一度や二度やりなおしたところで結果は変わらないだろう。ただ、少年は百パーセントの力を出しきっていなかった。
たとえ正当な試合であっても、女性に手をあげることなどできない。断じて。
幼い頃よりホルート族の勇士として、何より『名誉』を重んじてきたのだから。それこそがカシュオンの美徳であり、美学なのである。
しかし『名誉』を学ぶ以前の自分は、こうではなかった。
(あ……あの時の潔さがあれば、き、きっと……)
マッスルシファーが右手をかざす。
「では、バディ子さんにお納めいただきましょうか。勝者、バ――」
ところが審判の判定は降りず、一同は目を丸くした。
「カ、カシュオン様っ?」
カシュオンがゆらりと立ちあがって、勝負を続けようとするのだ。とはいえ目の焦点は合っておらず、足元もおぼつかない様子で、意識があるかも怪しい。
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