第148話 聖なる泉の伝説
竜骨の溶岩地帯にて、カシュオン団は次なる石像を発見した。
「これでふたつめの……」
「カシュオン様! あれをご覧くだされ」
真っ赤な溶岩を押しのけ、試練のためのリングが徐々に浮かびあがってくる。
「よく来たね、少年!」
その中央に降り立ったのは、スーツ姿の紳士だった。立派な髭を生やし、そこはかとないダンディズムを醸し出す。
「お初にお目にかかる。私はバッカス男爵と申す者」
彼こそが今回の相手なのだろう。
その優雅な佇まいを前にして、ゾルバは声を震わせた。
「油断してはなりませんぞ、カシュオン様。こやつはオシリス以上の手練かと」
「そうみたいだね……。メルメダさん、チャーリーさんも手は出さないでください」
カシュオンはフルプレートを脱ぎ捨て、ビキニパンツ一丁となる。
「僕だけ鎧を着ていては、フェアじゃありませんからね」
「フム! 見上げた根性ではないか」
男たちは戦いにも美学を求めた。
一方でメルメダは岩場に腰掛け、暢気に爪を研いでいる。
「試練はカシュオンだけでいいんでしょう? まあ頑張んなさいな」
「さすがはメルメダ殿。カシュオン様の勝利を信じておられるのですな」
暗黒騎士チャーリーは今回も審判を務めることに。
「溶岩には落ちるんじゃないぞ、カシュオン」
「はい! チャーリーさんは公平なジャッジをお願いします」
カシュオンは円形のリングに立ち、バッカスと相対した。少年の身体は小さくとも、曲線のついた筋肉で固められ、ボディビルダーばりに引き締まっている。
バッカスはファイティングポーズを取りながら、小刻みにステップを踏んだ。
「私との勝負は純然たる格闘技だよ。いいね?」
「望むところです!」
カシュオンもゾルバに教わったドワーフ拳法の構えに入る。
不意にマグマが噴きあがり、リングを持ちあげた。しかし揺れなどものとせず、バッカスがローキックで奇襲に打って出る。
「ゆくぞ、少年!」
それをカシュオンの腕が防いだ。スウェーバックも織り交ぜ、間合いを一定に保つ。
「ほう? 素人ではないようだな」
「驚くには早いですよ、バッカス男爵!」
そして時間差で踏み込むとともに、カシュオンはアッパーカットを放った。
リーチの短さは跳躍力と瞬発力で克服し、一気に詰める。
(決まった……!)
タイミングはばっちりのはずだった。ところが命中の寸前にバッカスの身体がくねり、アッパーカットをかわす。
「ふっ。その程度かな? ムキムキの少年よ」
「ま、まだまだ!」
続けざまにカシュオンは肘鉄、蹴りと繰り出した。
しかしバッカスには掠りもせず、空を切る。
(……おかしいぞ? これは一体)
攻撃すればするほど、違和感は大きくなっていった。
一発さえ当たらないのは、決してリーチが足りないからではない。むしろカシュオンの攻撃はすべてバッカスを『掠めて』いる。
バッカスは付かず離れずの距離で常にリズムに乗っていた。
「も、もしかして……?」
「フフフ! おわかりいただけたかな」
戦うにしては優美なダンスが、少年の身体まで弾ませる。
「これぞ我がダンディー奥義! ダンシング・イリュージョンだッ!」
そのリズムに無意識のうちに乗せられ、カシュオンもまた『彼に合わせる』ようにステップを踏んでいたのだ。これでは攻撃しようにも、タイミングは彼に決められる。
バッカスのダンスにはゾルバも目を見張った。
「迂闊に近づいてはなりませんぞ、カシュオン様!」
「そ、それがだめなんだ……はあっ、逆らおうとしても……!」
カシュオンは踏み留まろうとするものの、俄かに息を乱すばかりで、足は勝手にステップを刻む。始まったが最後、自分の意思ではダンスを止められなかった。
「今度は私から失礼しよう! ハアッ!」
ノリにノリながら、バッカスが拳打を浴びせてくる。
「ぐぅ? がっ、ぐはあっ!」
一発ごとに鉛のように重たいパンチがカシュオンを苦しめた。なまじ身体が頑丈なせいで倒れることもできず、サンドバッグ同然に打ちのめされる。
(このままじゃやられる……ど、どうすれば……?)
バッカスの猛攻に耐えつつ、カシュオンは反撃の糸口を求めた。
審判のチャーリーは兜の中で押し黙っている。
「……………」
それは試合の続行、つまりカシュオンにまだ逆転の余地があることを意味した。
(そうだ、どこかにチャンスがあるはずだ!)
今一度カシュオンの瞳に闘志が宿る。
「防戦一方では勝てんぞ、少年!」
その間もバッカスは攻撃の手を緩めなかった。
だが、ラッシュの合間にふと悲しげな表情を浮かべる。
(このひとは……もしかして?)
彼のダンスもまた、音もなしに痛切なメロディを奏でていた。戦いの最中に流れる、苦悩と葛藤の旋律――それが少年に閃きをもたらす。
「も、もうやめてください、男爵……!」
「うん? 命乞いかね?」
「そうじゃありません。さっきから『泣いてる』んですよ、あなたのダンスが!」
その一言にバッカスが顔色を変えた。パンチを打ちきれず、カシュオンをラッシュから解放してしまう。
「な……何を言ってるんだね? 君は」
「あなたにもわかってるはずです。ダンスを武器にすることの愚かしさが」
片方の膝をつきながらも、カシュオンは彼に本気の言葉をぶつけた。
「一緒に踊ってたら、伝わってきたんですよ。あなたはみんなを楽しませたくて、ダンスを始めたんですよね? なのに、今は戦いに勝つために踊ってる」
「ぬ、ぬぬぅ……」
少年の気迫に気圧され、バッカスはたじろぐ。
「あなたは間違ってるんです!」
「ぐはああッ!」
ついにはバッカスにダメージを与え、ダウンを奪った。
「はあ、はあ……なぜお前の言葉がこれほどに……」
暇そうに見物していたメルメダは、何のことやらと首を傾げる。
「……あの子、バッカス男爵とは今日が初対面でしょう? どうしてあんなに男爵の事情に詳しいのよ」
「フッフッフ! それはわしがお答えしよう」
ゾルバはにやりと笑みを噛んだ。
「あれこそがカシュオン様の素質! 『崇児孔の切気予』なのじゃ!」
ごく一握りの勇者だけが生まれながらにその力を持つ。かの崇児孔(すうじこう)はこれを切気予(せっきよ)と呼び、悪に染まりきれない敵への切り札とした。
相手に有無を言わせず、己が間違いを悟らせる。ほかの誰でもない崇児孔と、その意志を継いだ者だけが、神によって許されている神聖な一撃なのである。
「有り体に言えば『大きなお世話』ってやつでしょ? それ」
「水を差さんでくだされ、メルメダ殿。もっと素直な心で物事を……ぬうっ?」
バッカスはゆらりと立ちあがり、再び得意のステップを踏み出した。
「少年よ。悪いが、私ももうあとには引けないのだよ。ダンスを悪としたからには、最後まで悪を通すのみ! せぇえええぃやあああっ!」
高速でスピンも交えながら、猛然とカシュオンへ迫る。
だが、すでにカシュオンはダンスの支配から解き放たれていた。
「この……わからずやめーーーッ!」
渾身のアッパーがバッカスを高々と打ちあげる。
「がはあああっ?」
放物線を描いて、バッカスは今度こそリングへと沈んだ。
カシュオンとて彼を力任せに殴り飛ばしたかったわけではない。そのような迷いだらけのアッパーカット、バッカスほどの実力者なら簡単にかわせるはずだった。
あえて彼はカシュオンの一撃を受けたのだ。
「ふ、ふふふ……私の完敗だ。心優しい少年よ」
「バッカス、あなたは……」
「もっと早く君と戦っていれば、私も道を踏み外さずに済んだかもしれんな」
打ちのめされながらも、バッカスは吹っ切れたようにはにかむ。
そんな彼にカシュオンは手を差し伸べた。
「まだまだこれからですよ。男爵」
「……ハハハ! 大した男だ」
新しい友情が芽生え、ゾルバは感激のあまり涙する。
「カシュオン様、ずびいっ、また大きくなられて……わしは嬉しゅうございますぞぉ」
その一方でメルメダは口元を引き攣らせていた。
「え、ええと……? これって、もう次に行っていいのかしら?」
暗黒騎士チャーリーは溜息を漏らす。
「私の目に狂いはなかったようだな。フッ……」
かくしてカシュオンはバッカス男爵の試練を乗り越えた。
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