第132話

 フランドールの大穴でもとりわけ風光明媚と名高い。

 爽やかな夏空のもと、瑠璃色の湖は静かに波を打っていた。湖面が絶え間なく揺らめいて、きらきらと輝きを放つ。

 その美しさを前にして、セリアス団は一様に見惚れてしまった。

 グウェノが得意げに鼻を鳴らす。

「どうだい? この『泣き止まぬ湖』は。綺麗なとこだろ」

「拙僧も驚いたぞ。なんとも幻想的な湖ではないか」

「オッサンの口から『幻想』なんて言葉が出るなんてな。ヘヘッ」

 綺麗や美しいといった、月並みな言葉では言い表せない――朴念仁のセリアスも、これには息を飲むほどに見入った。

(駆け出しの頃は一時間でも二時間でも眺めていた、か)

 同時に心が荒んでいるのも自覚する。

 隣ではイーニアも感嘆めいた溜息をついた。

「何をしに来たのか、忘れちゃいそうですね。……モンスターはいないのかしら」

「ほかに冒険者もおらんのぉ。拙僧たちで独り占めか?」

 湖の一帯は風の音が聞こえるくらいに静まり返っている。畔の一角には広場があり、キャンプの道具が中途半端に残されていた。

 グウェノの表情が渋くなる。

「綺麗っちゃ綺麗なんだけどさ。実入りが少ないってんで、あんま人気がないんだよ」

「やれやれ。冒険者というやつは現金だのぉ」

 稼ぎにならないことには、探検する意味も薄かった。

 湖底の神殿に入るのが難しいせいもある。水中を探索できないのなら、湖の周囲を散策する程度の調査しかできない。

 地平線が剥き出しの湖面を一瞥し、イーニアは瞳を瞬かせた。

「……グウェノ、あれは?」

 湖には大きな橋が架かっている。

「ありゃあ『星と天秤の大橋』っつってな。このあたりにタリスマンの反応がねえようなら、向こうまで足を伸ばしてみようぜ」

「コンパスはどうだ? イーニア」

 観光もそこそこに、セリアス団はタリスマンの捜索に入った。

 コンパスの針が敏感そうに揺れ、ふたつの方向を示す。

「おっ? こいつは思った通りじゃねえか」

「はい! 大当たりみたいですね」

 よっつのタリスマンは四大元素の『地水火風』を踏襲している。ならば、その元素と関わりの深い場所に隠されているのではないか、とセリアス団は推測した。

 実際、剛勇のタリスマン(地)は徘徊の森に。叡智のタリスマン(風)は画廊の氷壁で見つかっている。

 手応えを感じつつ、セリアスは肩を竦めた。

「しかし相当な広さだぞ」

「かといって、秘境で二手に分かれるのも……のう? ザザ殿」

 忍者は今日も口を噤む。

「……………」

「この景色を見て、一言もねえのかよ? ハア」

 それでも実力は随一の彼をしんがりとして、セリアス団はコンパスを追った。

 泣き止まぬ湖の周辺は開けているおかげで、視界も広い。ほどなくして、新しい女神像と対面を果たす。

 グウェノがぱちんと指を鳴らした。

「やりぃ! これで次からはテレポートで直行できるぜ」

「順調すぎて怖いくらいです」

 イーニアの何気ない一言に、セリアスの顔も緩む。

「試験のほうが難しいな」

「ふふっ。そうですね」

 それだけイーニアは冒険者として着々と成長しつつあった。ペース配分も安定し、以前ほど疲労の色を浮かべることもない。

 女神像にコンパスをかざすと、セリアス団は優しい光に包まれた。

「……なんだ? また便利アイテムがもらえんじゃねえのか?」

 グウェノは首を傾げる一方で、ハインが頷く。

「これは法力の……癒しの力に似ておるぞ」

 彼の言う通り、徐々に身体が楽になるような気もした。試しにイーニアが回復魔法を唱えると、女神像の輝きとシンクロする。

「本当だわ。ここの女神像にはヒーリングの……」

「いや……もしかしたら、ほかの女神像でもできるのかもな」

 おかげで街との往復時間は大幅に短縮され、拠点の目処がついた。置き去りにされていた物資も借りて、セリアス団は女神像の傍でテントを張る。

「氷壁みたいに寒くもねえから、楽だよなあ」

「もう夏ですし……ハイン、こっちもお願いします」

「うむ! 力仕事は拙僧に任せておけ」

 キャンプの設営も慣れたもので、小一時間ほどで仕上がった。

 作業の間、ザザは手頃な木に登って警戒に当たる。

「……………」

「モンスターはいない、か」

「なんでか寄りつかないらしいぜ? 開発が進んだら、このへんも賑やかになるのかね」

 泣き止まぬ湖は夏の日差しを受けながら、黙々と波を湛えていた。

「嵐の前の静けさでなければ、いいんだがのぅ」

「不吉なこと言うなよ……どうする? セリアス。早速、潜ってみっか」

「ああ」

 拠点に物資を預け、セリアス団は湖に臨む。

 泣き止まぬ湖の底には摩訶不思議な『神殿』が沈んでいるとのことだった。コンパスも湖の中央を指している。

 水に潜るため、全員が軽装となった。グウェノが空気の果実を頬張る。

「突入に失敗して、溺れたやつもいるんだろ? そんなとこで泳ぐのかあ……」

「グウェノ殿こそ、怖いことを言わんでくれ」

 イーニアも本日の探索はホットパンツで身軽な恰好だった。海神の守りを首にさげ、適度に四肢をほぐす。

「二十メートルくらいまでなら、潜ったことがあるんですけど」

「お前が先行してくれ。ザザは最後尾だ、行けるな?」

「……………」

 いよいよセリアス団は湖への侵入を開始した。

 水面を境にして、冷たく重たい水の世界へと沈んでいく。

(みんな、落ち着いてるみたいだな)

 空気の果実のおかげで一時間は息が持つ。

 湖の中は底のほうまで充分に明るかった。水面が遠ざかるのを少し不安に思いつつ、セリアス団は湖底を目指す。

 グウェノが魚の群れに親指を向けた。

(釣りをすんのも面白そうだなあ)

(あとにしろ)

 水も食材も豊富にある。キャンプをする分には至れり尽くせりだろう。

 緩やかな浮力をすり抜け、やがて湖底まで辿り着く。

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