第123話 大聖不動明王伝

 港町まで戻ってきたところで、ハインはぼろ雑巾のようなシャバトを解放する。

「どこへでも行け。何なら、もう一発くれてやろうか?」

「ごっご、ご、後生でおじゃる~~~っ!」

 シャバトは鼻血を拭いもせず、一目散に逃げていった。それを見送りながら、ロベルトはやれやれと肩を竦める。

「とんだ外法使いがいたものですね」

 一方、ヒミカはとても安心などできなかった。

「本当に逃がしてしまって、よかったのですか? ハイン殿。あの男はシカログやアギーハとは違いますよ。放っていては、また悪事を働くことでしょう」

 シャバトは危険な思想と邪法の力を併せ持つ。御仏の慈悲を旨とするヒミカとて、彼が今回の件で懲り、改心するとは思えなかった。

 が、ハインはにんまりとやにさがる。

「むっふっふ……わかっておらんなあ、ヒミカ。ああいう手合いであれば、おれも好き放題に殴れるだろう? だから逃がしてやったのだ。ワハハ!」

 血の気が多すぎる発想には、もはや言葉もなかった。

「何でも力任せに解決するの、やめてください」

「まあまあ、ヒミカさん。これでシャバトが足を洗うならよし。また悪さをするなら、ハインさんにお任せしようではありませんか」

 ロベルトはハインの肩を持つ。

「そんじゃあ、ひとっ風呂浴びてくるとするか。行くぞー、ロベルト」

「そうだ、ハインさん。少し北に寄り道して、温泉街で一服するのはどうです?」

「おっ! そいつは名案じゃないか」

 酒飲みの男どもに呆れ果て、ヒミカは溜息を漏らした。

「はあ……」

 ハインはどかどかと歩いて、風呂へ。

 しかしロベルトは残り、ヒミカに声を掛ける。

「この旅は僕らで盛りあげていきましょう。ハインさんのためにも」

「……どういうことですか?」

「これがハインさんにとって、最後の旅になるかもしれないから、ですよ」

 旅の目的地はシャガルアの都だった。

 ラムーヴァの怒りに触れ、魔都と化してしまったシャガルア――そこで彼がなすべきことは、単なる妖魔狩りではない。

神キドリに対抗できるのは、破戒僧のハインだけ。

 信心が深くては畏怖し、逆に信心が浅くては罰せられる。だが、ハインはその境界線に立ち、神キドリと対峙することができた。

「ラムーヴァと戦って、無事に済むはずもありません。シャガルアへは急がなくてはなりませんが……ハインさんもまだ覚悟を決めてはいないのでしょう」

 今になって彼の真意を察し、ヒミカは声を落とす。

「ではシャガルアに着いたら、ハイン殿は……」

「それまでの旅路、寄り道も大いに結構ではありませんか」

 無論のこと、彼がシャガルアのために命を懸ける義理などなかった。それでも自身の宿命から逃げようとせず、御仏の都を目指す。


   夜風吹き 酒酔う友へ また勧め 木々赤に枯れ 美しき哉


 進め――と、己に言い聞かせながら。

「おぉーい、ロベルト! ヒミカ! 早ぅせんと、晩飯が遅くなるぞ!」

「すぐに行きますよ。さあ、ヒミカさんも一緒に」

「……え、ええ」

 明王と巫女の旅は続く。




 かくして坊主はともを連れ、シャガルアの都へ往きまする。

 かの胸にあるのは、己が死への恐怖か……いえいえ勇気にほかならぬ。

 肝の据わった大男、酒に酔っては大いびき!

 長い旅が始まったのでございます。

 これにて終幕。嗚呼、結末はいかに?

 それは御客人もご存知で。

 ふたりは一子を設け、物語はたりすまんの探求へ。

 悪鬼羅刹を踏み砕くは、東も西も同じこと。

 大聖不動明王ハイン、いざ往かん!

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