第122話 大聖不動明王伝

 シャバトの高笑いが響き渡った。

「ホーッホッホッホ! 粋がっておった割に、呆気な……」

しかし煙が晴れても、大男は立っている。

「……もう終いか? デコボコ頭」

『生意気な坊主め! 今一度、食らうがよい!』

 再び裁きの雷が降った。にもかかわらず、ハインはしれっと雷雲を仰ぐ。

「確かに悪党であれば、木っ端微塵だろう。……だが、スガンマよ。おれはこれでも割と信心深いほうでなあ……」

 そして小汚い道着を脱ぎ捨て、鋼の肉体に力を漲らせる。

「おれにはお前の威光も裁きも、通用せん」

『な、なんだと? 馬鹿な!』

 ハインの足が一歩、また一歩と踏み込むたび、スガンマは動揺した。

 いくら神であれ、道を踏み外した破戒僧を畏怖させることはできない。また根っからの悪党ではないため、裁くことも敵わなかった。

「もう少しだけ我慢してろ、ヒミカ、ロベルト。すぐに終わらせてやる」

 スガンマはいきり立ち、声を荒らげる。

『小癪な! 我が下僕どもよ、こやつを殺れ!』

 妖魔の群れが一斉に襲い掛かってきた。それでもハインは退かずに吼える。

「ウオォオオオオオーッ!」

 その時、ヒミカは見た。

(あれは……)

 悪鬼羅刹を踏み砕く、かの『明王』を。


 さあさあ、不動明王のおなぁり~!

 憤怒の叫びは天を裂き、その暴るるは地を割るがごとし。

 千切っては投げ、千切っては投げの立ちまわり!

 数で勝る妖魔ども、恐れ戦くもすでに遅し。

 叩き潰されては握り潰され、捩じ切られてはぁ、へし折られ。

 あれよあれよと明王のひとり勝ちでございます。

 ナウマクバサンダ・バサラダンカン!

 アシュラナータ、ここに在り!


 ハインの拳が妖魔を貫く。肘鉄が骨をへし折る。

 ある妖魔は顎を打ちあげられる衝撃ひとつで、首が飛んだ。またある妖魔は腹に蹴りを食らい、自ら内臓を吐き出す。

 凄惨なまでの地獄絵図。だからこそ、ヒミカは『畏怖』せずにいられなかった。

(ハイン殿、あなたはまさしくアシュラナータの化身……!)

 同じものを目の当たりにして、ロベルトも震えあがる。

「こ、これが……ハインさんの底力!」

 スガンマの下僕として、とうとうシャバトまで無理やり駆り出された。スガンマに操られてハインの正面に出てくるものの、腰を抜かす。

「ヒイイッ? あぁ、あの……」

「ぬぅん!」

「あっひぇえええ~ッ!」

 ハインの鉄拳はシャバトの脇をすり抜け、後ろの妖魔を粉砕した。あまりの恐怖にシャバトは失神してしまい、白目を剥く。

「貴様で最後だ!」

『こ、こんなことが……我が威光を畏れもしない僧がいる、だと?』

 坊主頭の強烈な頭突きが、仏像の額をかち割った。

 威圧感が消え、ヒミカたちは解放される。

「ハイン殿! 大丈夫なのですか?」

 明王は妖魔どもの返り血を浴びながら、自身も血を流していた。それでも二本の足で雄と立ち、坊主頭を撫でる。

「どうということはない。それより……」

 そこに仏像などなかった。大きいだけの岩が真っ二つに割れている。

 ロベルトも起きあがって、目を点にした。

「……ひょっとして、これが?」

「うむ。でかい岩を神格化して祀るうち、本当に力が宿ったのかもしれんな」

 スガンマの意外な正体。何の変哲もないただの石ころが『神』を気取っていたなど、信じられない。社は廃墟と化し、潮風がじかに吹き抜けた。

「僕らは結局、何を信じているんでしょうか」

「難しいですね。今まで考えもしなかったことが、今はとても……」

 スガンマだったらしい石片を拾い、ヒミカは物思いに耽る。

 ハインがヒミカの肌蹴た背中をひと撫でした。

「ひゃっ? な、何を……」

「梵字も消えとるぞ。安心せい」

 晴れつつある空に豪快な笑い声が響く。

「さあって……帰ったら、まずは風呂。それから飯だ!」

 初めて彼に会った時と同じ、元気な言葉だった。

ヒミカはロベルトのマントを借り、穏やかな笑みを綻ばせる。

「ソジ殿にも報告しなくてはなりませんね」

「もっと可愛いことが言えんのか? まったく……」

 ふとロベルトが足を止めた。

「あ……ところで、こいつはどうしましょう?」

 忍び足でこの場を去ろうとしていたらしいシャバトが、ぎくりと背筋を強張らせる。

「まっ、まま……麻呂はその、急用を思い出して……ホ、ホホホ……」

 ハインは馴れ馴れしい調子でシャバトを引っ張り寄せた。

「わかっとる、わかっとる。お前が悪いんじゃーない。悪いのはスガンマで、お前は操られとっただけだもんなあ。うんうん」

「そ、そうでおじゃる! 麻呂は巫女殿のため、やつの裏をかいたのであって」

 破戒僧と小悪党の笑い声が反響する。

「そーか、そーか! わ~っはっはっは!」

「ホ~ッホッホッホ!」

 あとの展開は言うまでもない。

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