第97話
その夜――グウェノはこっそり屋敷を抜け出した。わずかな荷物を抱えながら、タリスマンの力で夜道を駆け抜けていく。
夜間のため、城塞都市の門は固く閉ざされていた。とはいえ外壁を越えれば済む。
だが、その上でグウェノは待ち伏せに遭ってしまった。
「……やっぱ気取られちまったか。セリアス」
「ああ」
セリアスは大砲にもたれ、腕を組む。
いつになくグウェノの様子がおかしいことには気付いていた。しかしイーニアやハインの手前、おいそれと追及はせず、この場を待った。
グウェノの背後はザザが取る。
「てめえまで……挟み撃ちたあ、やってくれるじゃねえの」
「ザザにはまだ何も話してないさ」
初夏の月夜は人知れず緊迫感に包まれた。
グウェノ越しにザザの動きを警戒しつつ、セリアスは仲間に問いかける。
「詮索するつもりはなかったんだが、叡智のタリスマンを持ち出されてはな……せめて事情を聞かせてくれないか? グウェノ」
今回のグウェノの行動が悪意によるものではないことには、勘付いていた。単に金目的であれば、正体不明のタリスマンよりもレギノスの宝を持ち出すだろう。
ところが彼は、宝には一切手をつけていない。
「……わかったよ」
グウェノは諦めたように嘆息した。いつもは軽い口が、今夜は重々しい調子で開く。
「実は故郷で恋人が待ってんだ。幼馴染みでさ……病気で足を悪くしちまって。だから、オレはフランドールの大穴でずっとエリクサーを探してた」
「あれか……俺も地底で見つけたことがあったな」
「でも、エリクサーってだけじゃだめなんだよ。純度の高ぇのが必要で……」
その言葉が焦りと苛立ちを滲ませた。
完全純度のエリクサーなど、そう簡単に見つかるものではない。これまでにも数々の情報に振りまわされ、骨折り損に終わったらしいことは、容易に想像がつく。
「……けどよ、このタリスマンがありゃあ、あいつを歩かせてやれるかもしんねえ。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなっちまって……」
足の悪い恋人にとって、叡智のタリスマンはまさに『魔法の靴』となるだろう。
かといって、彼は平気で仲間を裏切るような人間ではなかった。その表情が葛藤の色をありありと浮かべ、唇を噛む。
「だから、オレは……」
夜空の月を仰ぎ、セリアスは淡々と言い放った。
「……行け。ハインとイーニアには、俺が適当に言っておく」
「セ、セリアス? お前……なんで」
質問には答えず、夜風に耳を澄ませる。
一分にも及ぶ沈黙が続いた。ザザも動かず、静かに成り行きを見守る。
「……すまねえっ!」
やがてグウェノはタリスマンの力で風に乗り、外壁を降りていった。ぶっきらぼうなセリアスの胸にも、人並みの寂寥感が込みあげてくる。
「行ったか……」
彼を引きとめるつもりなどなかった。ただ理由を聞きたかっただけに過ぎない。
気を張ったのは、ザザがいたせいだった。
「お前はあれでよかったのか? マルグレーテの指示はどうした」
「……………」
この忍者はタリスマンを奪取すべく、グウェノを狙うのでは――万が一の時はグウェノを守るつもりで、セリアスは構えていた。
しかしセリアスの懸念とは裏腹に、今夜の彼は動こうとしなかった。
「……ふ。話す気がないなら、いいさ」
初夏の夜が更けていく。
グランツは夏が長い。蒸し暑い日々が始まろうとしていた。
PART 2 ~END~
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