第96話

 コンパスは鎮まっていた。前にこのあたりで遭遇した、デュラハンの反応もない。セリアスたちは防寒具を脱ぎ、九死に一生を得たことに安堵する。

「竜の御仁よ、先ほどは拙僧らも助かった。……だが、なぜ急に正気を?」

『叡智のタリスマンが六大悪魔を感知し、我の理性を揺さぶってくれたのだ。この数ヶ月はやつらに会っては逃げ、を繰り返していてな……我にとっては、自我を取り戻すチャンスでもあったのだが』

 竜の左足で輝くものこそ、第二のタリスマンだった。

「じゃあデュラハンとも……?」

『やつとは戦えぬから、氷壁のほうの巣で身を隠していたのだ』

 彼はデュラハンを避け、氷壁の頂上へ移ったものの、コルドゲヘナに遭遇したという。ただ、今回は運よくセリアス団がいたため、聖杯の呪いを解く絶好の機会となった。

「あんたでも逃げるほどの相手なのか」

『不死身の化け物は我にも手に負えぬ。件の旅団は惜しいことをした』

「白金旅団を知ってるんですね」

 このドラゴンは昔からフランドールの大穴に住んでいたのだろう。話しぶりからして知性に溢れ、セリアスたちにも礼儀を尽くしてくれる。

『挨拶が遅れたか。我はレギノス』

「オレはセリアスだ」

 セリアス団のほうも名乗りつつ、彼――古竜レギノスの話に耳を傾けた。

『さっきは済まなかったな。聖杯の力には我も抗えんのだ。もう二十年……いや、三十年はあれに悩まされていたか』

「三十年……徘徊の森の長にも、そう聞いたのう」

『ほう、オーウェン老にも会ったか』

「そういやぁ、あの爺さん、自己紹介を忘れちまってたっけ。……三十年、なあ……オレたちにとっちゃあ、途方もない時間だぜ」

 イーニアがおずおずと歩み出る。

「あの……ひょっとして、あなたのもとにも白き使者と黒き使者が来たのですか?」

『使者? あぁ……顔を見せようともせぬ、奇妙な輩のことか』

 これもオーウェン(徘徊の森の老木)の話と一致した。

 災厄が終わってから二十年後、まずは白き使者がフランドールの大穴に現れている。そして彼はオーウェンに剛勇のタリスマンを託した。

 レギノスが念力で足首のタリスマンを外す。

『あの者は我にこのタリスマンを委ねた。いつの日か、勇気と知恵を兼ね備え、真実を探求する者に渡して欲しい……と』

 それはみるみる小さくなり、グウェノの左足にかしゃりと嵌まった。

「へ? ……オ、オレが?」

『タリスマンが選んだのだろう。叡智とは風……風の心を持つ、そなたを』

 白き使者からレギノスを経て、第二のタリスマンを託される。

「どうして俺たちにタリスマンを?」

『なあに、聖杯の呪いから解放してくれた礼だ』

 レギノスは長い首で空を仰ぎ、物憂げに続きを語った。

『だが、我にもやつらの素性は知れぬ。使者とは誰の使いなのだ?』

「実は私たちもよく知らないんです。白き使者が大穴にタリスマンを持ち込んで、それを黒き使者が追ってきたらしい、としか……」

『ふむ……追ってきた、か』

 黒き使者はレギノスのもとにも現れ、誘いを掛けたという。

『怪しげな輩に騙される我ではない。しかし隙を突かれ、聖杯の魔力を額に埋め込まれてしまってな。欲求を押さえ込むのには苦労した』

「そんな状態で何十年も? すげえな」

 ロッティの推測が正しければ、黒き使者はタリスマンが誰の手にも渡らないように、聖杯の力で新しい秘境を作りあげた。徘徊の森も災厄時代の数十年後に誕生している。

「レギノスはずっと足にこいつを嵌めてたんだろ? じゃあ、黒き使者はレギノスがタリスマンを持ってるってことに、気付いんじゃね?」

「かもな。だから、何が何でも聖杯の呪いを掛けたかったのさ」

 白き使者はレギノスにタリスマンを委ね、黒き使者は聖杯で呪いに掛けようとした。新たな真相の発見には至らなかったものの、ロッティの持論の裏付けにはなる。

 レギノスは首を降ろし、羽根を休めた。

『……どうやら我の与り知らぬところで、何かが起こっているようだ。六大悪魔の復活も凶兆のひとつやもしれぬ』

「あの怪物が出てきたのは、最近のことなのか」 

『うむ。残りの悪魔もじきに目覚めよう。ひとの子はもう大穴に立ち入らんことだ』

 古竜の忠告は真に迫る。

 その一方で、レギノスはセリアス団にこうも語った。

『だが、おぬしらはフランドールの大穴でタリスマンを探さねばならぬ。かの災厄の再来を食い止めるためにも……この運命からは、もはや逃れられぬぞ』

「災厄だと……?」

 五十年前に終結したはずの災厄と、謎多きタリスマン。そのふたつが繋がっているらしいことを知り、セリアスはレギノスを見上げる。

「時が来たら、エディン王がすべてを話してくれよう」

 一同が押し黙る中、夏の風が吹き抜けた。

「でかい話になってきおったではないか。かの災厄が再び始まろうとは……」

「タリスマンはその対抗手段になるんでしょうか」

 まだ実感はないものの、使命の大きさには気後れしそうになる。つくづく自分は厄介な案件に巻き込まれるタイプらしい。

(たまには普通に冒険ごっこをさせてくれないものか)

 とにもかくにも、これで叡智のタリスマンは獲得できた。その足で立ち、グウェノは厳めしい古竜に愛想笑いを向ける。

「ところでよぉ、レギノスさん? ここにあるお宝も、ついでに少し……へへっ」

『ハハハ。暇潰しに集めただけのものだ、好きにするがよい』

 商魂逞しいグウェノのおかげで、思いもよらない収穫もあった。手分けして、レギノスの巣から手頃な宝や魔法の品々を回収しておく。

『さらばだ、タリスマンの勇士たちよ』

「そんな大層なものじゃないさ」

 それから竜の巣をあとにし、セリアス団は前と同じルートでシビトの城を目指した。そこまで行けば、女神像を経由してグランツに帰還できる。

 イーニアが胸を撫でおろした。

「ドラゴンと六大悪魔が出てきた時は、どうなることかと思いましたね」

「まったくだ」

 レギノスとの戦いでは早々に劣勢と判断し、撤退を決めている。しかしコルドゲヘナと挟み撃ちにされては、逃走など不可能だったに違いない。

「拙僧らは運がよかったのだ。が、次もこう上手く行くとは限らんぞ、セリアス殿」

「ああ。ドラゴンに真っ向勝負を仕掛けたのは、早計だったか」

 今回は首尾よく窮地を脱することができたものの、フランドールの大穴はセリアスの予想を超えつつあった。今後はもっと慎重に探索しなくてはならない。

 道の途中でハインが魔導杖を見つける。

「ん? イーニア殿、これは」

「私の杖です! デュラハンから逃げる時に落とした……」

 幸運にもミスリル製の魔導杖が戻ってきた。氷壁の探検も終わったため、これでイーニアは本来の力を発揮できるだろう。

「おわあっ?」

 不意にグウェノが素っ頓狂な声をあげる。

「……どうした、グウェノ」

「いや、それが……多分、タリスマンの力ってやつでさ」

 いつの間にやら彼の背が高くなった。よく見れば、地面から足が浮いている。

「風の力……そうですよ、グウェノ! 叡智のタリスマンです!」

 最初のうちはよろけていたグウェノも、徐々にバランスを掴んだ。地面すれすれを滑るように先行し、ターンで振り向く。

「わかってきたぜ! ハハッ、面白ぇじゃねえの」

「その力があれば、探索も捗りそうだのう」

「レビテートの魔法でも、浮かせるのは難しいですから」

 地面から足を離せない冒険者にとって、この力の恩恵は大きかった。無論、モンスターとの戦闘でも優位に立てることは、想像に難くない。

「やったな、イーニア」

「はい。あとふたつ……なんだか、やれそうな気がしてきました」

「慢心だけはせんようにな。さあて、今夜は一杯やろうかの」

 グウェノは足を止め、神妙な面持ちで呟いた。

「こいつさえありゃ、もう……」

「グウェノ? どうかしたんですか?」

「あ……いや、なんでもねえよ、イーニア。さっさと帰って、飯にしようぜ」

 彼らしい陽気な笑い声が響く。

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