第91話
しぶとく残った一匹は、ハインの豪腕が叩き潰した。
「フンッ! ……片付いたか」
メルメダは防寒具のフードを外し、一息つく。
「悪かったわね、イーニア。触媒を無駄にしたんじゃないの?」
「いいえ、発動はしてませんから」
決してイーニアの詠唱が遅いわけではなかった。実戦にも大分慣れ、さっきもセリアスの合図を待つことなく、自分の判断で魔法の準備に入っている。
ただ、魔導においてはメルメダのほうが一枚も二枚も上手だった。詠唱の速度は言うに及ばず、魔法の選択も理に適っている。
実際、アイシクルは岩タイプのモンスターであるため、ウインドカッターで『斬る』よりロックレインで『殴る』ほうがダメージも通りやすかった。敵の数が多いことから、より効果範囲の広い魔法を撃ったのも頷ける。
「でもよぉ、メルメダ。お得意の炎の魔法はなんで使わねえんだ?」
「少し難しい話になるわよ? いいのかしら」
あえて彼女が火属性の攻撃魔法を用いなかったことにも、理由があった。
そもそも『魔法』とは触媒を供物として、大気中の精霊に奇跡を起こしてもらうもの。だが、画廊の氷壁のように極端に寒い場所では、火の精霊はかなり希薄となる。
このようなところで無理に火属性の魔法を使おうとしても、触媒の消耗が激しくなる一方で、効果は今ひとつ。それをメルメダは熟知していた。
「火属性のマジックオーブがあれば、しっかり機能するんだけど。ほかにもスクロールで代用するとか、方法は色々あるわね」
グウェノは呆れ顔で降参する。
「何言ってんのか、わかんねえっての。セリアスは?」
「聞くんじゃない」
「ロッティ殿にもメルメダ殿にも頭が上がらんのぉ。わっはっは」
セリアスも頭を垂れ、ハインは笑って誤魔化した。
その一方で、イーニアは思い詰めるように視線を落とす。
「メルメダさんみたいには、とても……」
「焦ることはないさ」
まだまだイーニアの不調は続きそうだった。
しかし剣士の自分ではアドバイスに限度がある。だからこそ、今日のところはメルメダを頼りにもした。小声で念を押しておく。
(もっとイーニアに色々教えてやってくれ。実戦でこそ学べるようなことを、な)
(この借りは……っと、この借り『も』高くつくわよ?)
その後もセリアス団はモンスターを蹴散らしながら、洞窟の中を進んだ。ここの氷には光を帯びる性質があるようで、小さな照明でも充分に明るくなる。
「む? 行き止まりか」
「いや……上だな」
やがて回廊は突き当たったものの、十メートルほど上で道が続いていた。
「結構な高さだぜ、こりゃ……イーニア、念のため、レビテートを敷いててくれよ」
「わかりました。気をつけてくださいね、グウェノ」
身軽なグウェノがロープを肩に掛け、ごつごつとした壁面をよじ登っていく。
「投げるぞ~!」
「ああ」
ロープの具合を確認しつつ、セリアスも彼に続いた。
グウェノに手を引いてもらい、上に辿り着く。
「拙僧は最後がよいだろう」
「イーニア、あなたから行きなさい」
次はイーニアがロープを手に取り、揺れながらも少しずつ登ってきた。セリアスとグウェノはふたり掛かりでロープを押さえる。
「……で? セリアス、本当のところはどうなんだよ?」
「何の話だ」
「メルメダのことだって。いい女じゃねえの」
無性に逃げたくなった。
「……お前まで、ロッティみたいなことを言わないでくれないか」
妹分のロッティがグランツに来てからというもの、何かと女性関係を深読みされる傾向にある。メルメダの晩酌に付き合った(付き合わされた)のも失敗だった。
「まあまあ。お前は二十五で、メルメダは二十一だろ? あっちは割と折り合いつける気でいるってのは、あると思うぜ」
夢見がちなロッティと違い、グウェノの言葉は筋が通っている。
「わからなくもないが……」
「ボヤボヤしてっとカシュオンに取られちまうぜ? なんてな、ハハッ」
まさしくボヤボヤしていたせいで恋人に逃げられたという、苦い経験もあった。
もちろん言われっ放しではいられない。セリアスはグウェノに同じ言葉を投げ返す。
「そういうお前はどうなんだ? それだけ愛想がいいんだ、女もいるんだろう」
「い、痛いとこ突いてくるじゃねえか」
しかしそこでイーニアが到着してしまった。
「ふう……お待たせしました」
「しっかり掴まれ」
セリアスとグウェノで彼女を引っ張りあげてやる。
それからメルメダも合流し、最後は四人でハインを引きあげた。
「手間取らせてすまんのう」
「気にするな。しかし……結構なタイムロスになるな」
「かといって、外壁は登っていけねえだろ」
画廊の氷壁の探索には骨が折れる。
ただ、コンパスの指す方角から外れることはなかった。
「もっと上ですね。とにかく上に登っていけば、きっとタリスマンが……」
記憶地図があれば、そう迷うこともない。
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